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気がつかなかった書き込み

つまらない先生の講義聞いて、学校は全部つまらないから、行く価値ないからって言ってるのと一緒。

逆に自分が納得いくお経をきいたら、すべてを捧げてその僧侶に尽くせるの? 
自分が出来ないで偉そうに発言する事は最近の流行でしょうが(政治に関してもそうですが)、自分何様?という気がします。

自分の個を捨ててやってる僧侶はいくらでもいますから。青春もなく修行して、でも自分の寺では食べて行けなくてバイトをしながら布教をしてる僧侶もいますから。

結局は時代の流れに即して、今までの時代の流れに反発したいだけじゃないですか?

現在の自分の自己の持ってる基準ですべてを判断する自己中の考えだと思いますよ。

経験のない子供が、好きなようにできないから法律なんていらない、といってるのと一緒です。

軽はずみなことは言わないで、よくよく考えて発言してください。

 「寺は滅びる」にこういう書き込みがあったこと、今日、気が付きました。申し訳ありません。こういう反論は大歓迎です。
 ぼくは別に軽はずみなことを言っているではありません。祖母と父の死を通して実感したことです。ぼくが否定しているのは「寺の商売」です。ぼくは、二人の葬儀を通して、「商売」以外何も感じなかった。祖母が逝去した時、父とお寺に行った時、その旨伝えたら、「こういう風になっています」と料金表を差し出した。「それは寂しいことで・・・」という言葉もなかった。おかしい。ぼくはそう思った。それからは、その連続でした。

自分の個を捨ててやってる僧侶はいくらでもいますから。青春もなく修行して、でも自分の寺では食べて行けなくてバイトをしながら布教をしてる僧侶もいますから。

 ぼくはそういう人が、檀家に寄り添う人になって欲しい。今、それが皆無だから、「寺は要らない」と言っているのです。時流とか関係ない。ぼくはぼくの経験、そこからの不信感で言っている。そういうことを受け止めることができないのは、所詮、ぼくの相手ではない。ぼくは寺と歩み寄る姿勢はあります。テレビで観る僧侶には感動することもあります。それは宗教ではなく、人に感動しているんです。

 ぼくの考えをきちんと受信してください。でも、それは、ぼくの発信方法がまずいのだナ。悪い。ただ、あなたと同じように、ぼくも、過激なのです。ん。

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コメント

まず、勢いに任せて強い事を書きまして失礼しました。
一部の僧侶が要らないというならともかく、「寺は」と書かれていたので、つい熱くなっちゃいました。

恐らくあなたの周りには、そういう僧侶が多いのでしょうね。自分もそういう僧侶でしたら、お釈迦様を侮辱していると思いまし、不要であると思います。

調べていただければ分かりますが、江戸時代、幕府は檀家制度を旨として、供養専一でやりなさいという(一種の弾圧ですが)宗教政策が取られ、それ以降 約400年、
僧侶はそれが当たり前になって、葬儀法事屋になってしまいました。

当然本来の姿は布教(人を正しい仏教に導く事)第一ですし、時代もそれを求める時が来てるとは思います。

当然なことながら、寺も寺院を維持したり、家族を養ったり、この物質文明、貨幣経済では生きていけませんから、そういう収入は必要ですが、金額を決めてやってしまえば、もう商売ですね。それで、その内容が対価以下のサービスと感じられるとしたら、おっしゃる通りのことになると思います。

あくまで僧侶は、お釈迦様と衆生とのパイプ役、おっしゃる通り、どんな時代になっても1対1の付き合いが最低限必要かと思います。

不幸にもあなたの周りには、そういう料金表でしか付き合いできない僧侶しかいなかったのですが、そうでない人もたくさんいます。人間、対人関係で良い先入観が入ると良い情報が多く入り、逆も然りと言います。

どうか人によらずに、本質を見失わないで頂ければと思います。

あと、蛇足ですが、散骨や骨を捨てる事は法律違反になります。

投稿: belair | 2013年5月22日 (水) 07時47分

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