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組織の作り方

 インターハイについては、最後です。

 今回も組織について、いけないナと思った。あれやこれやが一人の人間に集中する。彼はその全てに対応しないといけない。進行から弁当まで。弁当の係を決めて、その人に任せればいいのだ。

 高文連演劇部の理事になる前、前任者に「一人で全てやると負担が大きい。その大変さを見ると、次がやりたくなくなる」と、ぼくは夏期講習会は任せてくれと言った。トップ(ぼくにはその意識はなく、いつもワイワイガヤガヤだったけれど)は何かあった時の責任を取ればいい。だから、ぼくがそうなった時は、そうした。そりゃあ通常の仕事にプラスの部分はあるが、以前の人たちに比べて、はるかに楽だったと思う。そして、できるなら、そういう仕事は回した方がいい。多くの人に経験してもらうことも必要だろうと思う。誰でもやれる体制をつくることが大切ではないかと思う。まッ、中にはそれにしがみついて醜い姿をさらす人も時々ある。結局、自分もことしか考えていないのだろう。そして、それは周囲には露呈されている。

 今回の総合開会式の失敗は、動ける組織をつくれなかったことだと思う。立ち上げる時に、今までの方法を踏襲した。違うんだ。大分でそれを変えるという意識でやればよかったのだ。だから、朝早くから準備に臨んだ高校生を集めて、短い言葉で解散式という形をつくるというバカなことまでしてしまう。早く帰してやれよ。

 踏襲が悪いとは言わないが、もっと面白くしてやろうという意識が希薄だ。ある事務局員は、それに不満を漏らしたことがある。

 ただ、高校生はスゴイ。もしかすると、今日本で一番「役に立つ」(失礼な言い方です。ごめんなさい)は高校生ではないかと思う。高校生が素晴らしいから、オトナの愚劣さが際立った。

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祭の後(続々)

 13時50分から、出演者の解散式を行うということで、生徒はその20分前からメインスタンドに集まり始める。結構時間がかかる。で、責任者の一人(結局名前を覚えなかった。覚えようとしなかった)が「ありがとうございました。すべては、生徒みなさんのおかげです」みたいな30秒程度の話で終わり。早い生徒は4時過ぎから学校のバスに駆けつけたのだ。早く帰してやれよ。どうせ、当日は大した仕事もないんだから(大会までも、か)、出演が終わった時に行き、お礼を言えばいいだけじゃないか。そういうことを考えることができないのは致命的だろう。

 帰りのバスは福岡のバス。運転席の上に座席があり、面白そう。でも、そこに座るのは大人げないと思い、平凡な席に座った。バスが自動車道に入った時、前の席に座った女生徒が「おじさんが降ってきた」と言った。それから「降ってくるおじさん」の数を数え始めた。その流れから「おじさんが手を振ってくれた」という内容だとわかった。彼女たちは対向車に手を振り、それに応えて手を振ってくれたドライバーの数を数え始めた。その一つ一つにコメントしては笑う。羨ましい才能。

 ぼくは今日いつもの時間に職場に。採点をして、得点を打ち込み、休みを取り、久しぶりの直川の湯に行き、とことん汗を流す。インターハイを流れ落とした。さあ、脚本だ。

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祭の後(続)

 総合開会式は分刻み。広告代理店の一人と話したら、遅れたら、宮内庁からクレームがくrんだと。

 ところが、挨拶のところで、全国高体連会長が時間をオーバーした。その後に、文科大臣(突然フク大臣になった)、県知事、大分市長。事前に時間を知らせているはずなのに、開催者が、バカ。何考えてんだ。お前だけは時間を守らないとイカンだろうが。
 その後の文科副大臣は原稿を読むだけ。顔を上げない。事前に与えられた原稿に目を通した気配するない棒読み。知事も、市長も、生きた言葉がない。死んだ言葉の羅列で、いくつかの単語を「オナラ大会」に換えても通用する、死んだ言葉の羅列。恥ずかしくないのか!

 でも、生徒代表の歓迎の言葉はよかった。先週の「遠し」で言葉に詰まったけれど、今回は手話を交えて話す。加えて、活き活きとして、聞き取りやすく、前がヒドイから、ひどすぎるから、際立つ。ぼくは事務局に、ぜひ彼女の爪の垢を拝領し、自分の言葉で話せない貧しい彼らに分け与えるように言った。

 何故、彼らは死んだ言葉しか使わないのか。パターンを踏襲してるのだ。彼らの読む原稿は、誰かが書いたものだろう。書いた人間は、当たりさわりのないものにする。当たれよ、さわれよ、と思う。生の生きた言葉こそ価値がある。それがわからない文科大臣(フク、だけれど)県知事、大分市長は、それを喋ることで、どう思われているかという感受性を持つべきだ。高校生を愚弄するな!

 もうちょっと、書くかも。

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祭の後

 この前の金曜日、吹奏楽のコンクールを観に行った時、豊南が5時からなので、4時半にグランシアター付近に差し掛かると、警察官の姿が多い。左折して正面玄関の前をノロノロと進むと植木をかき分けている警察官の姿、警察犬の姿さえ見える。何か事件かナと思いながら、どうにか駐車場に入ることができた。今朝、その話をすると、グランシアターに併設するホテルに皇太子が宿泊に来たとかで、そのためだったようだ。
 指定された駐車場にとめると20分近く歩かなくてはならない。自信がない。途中で野垂れ死にするかもしれない。だから、マーチングで出演する豊南の生徒のバスに乗った。5時20分学校発。会場付近には警察車両や、警察官の姿が多い。6時過ぎにバスを降り、歩いて正面ゲートに。佃煮にできるくらい、警察官が溢れている。コンビニ強盗が出たら対応できるんかいな、と、そんなことを心配してしまう。彼らは、シャツの色と首からぶら下げたカードの意味をきちんと理解しており(当たり前か、・・・)、スンナリ。本部で打ち合わせ会議。3分。変更がなければ、それでよい。

 ぼくはロイヤルボックスの上に位置する部屋に入る。観るだけ。何かあったら、それにどう対応するかを考えるとか。何もない。生徒が倒れるとかあれば、その関係者が対応すればいいだけだ。ショー・マスト・ゴー・オン。ある部分で時間が予定より超過しすぎること以外はあり得ない。現在の日本で、皇室は政治家なんざより、はるかに国民に暖かい視線を送ってくれているように思うので、警察のあれこれの苦労は訓練に終わるだろう。外部の妨害がない限り、時間以外は問題ない。ぼくはそう言い続けてきた。時間が超過しても、本番であたふたしても仕方ない。つまり、ぼくは冷房の効いた部屋で一番厳しい観客の一人として観続ければいいだけなのだ。10時に始まるまで2時間ちょっと。同室(?)の人といろいろ話すと、バッグに忍ばせたディーヴァーの短編集を開くことはなかった。

 少々予定より時間は遅れた。でも、瑕疵はない。無事に終わった。

 稿を改めて、問題点を書こうと思う。

 

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池上彰編『先生!』を読む

 今日書店が届けてくれた。それほど期待はしていなかった。だからこそ、グイグイと引き込まれて、時々は涙が出た。

 学校の様々な問題が騒がれて、政治家は制度をいじる。しかし、制度だけでは変えられないのは明白だ。それは現場の教員だけをさらに過酷にし、授業や生徒に向き合う時間を奪うだけでしかない。実際、県から要求されるアンケートやらアレやコレやが多く、それに忙殺されていると言ってもいい。どこかの刑事が「事件は現場にあるんです」と叫んだが、教育は現場にある。しして、文科相も県教委も、現場からの発送ではなく、上から変えようとするから、現場を混乱させ、疲弊させていくだけだ。教祖も力を失い、現場からの声はますます届かなくなっている。文科省も県教委も、「何かやってますよ」という体裁をつくっているだけとしか思えない。

 27人の様々な立場の人が先生に絡めた文章(太田光だけは池上のインタビュー形式をとっている)には現在の教育の問題に風穴を開けるものが在る。読み終えるとすぐに、ぼくは「面白いよ」と妻に手渡した。教師と親は一読したらいい。あッ、平田オリザのはいけない。他の人は実体験で書いているのに、平田は漱石の『三四郎』で書いているからだ。

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ジェフリー・ディーヴァー『ウオッチメイカー』を読む

 暑くて、熱くて、一日400ページのペースが200ページにダウン。仕事の合間に休憩室でソファに寝っ転がって読むと、眠ってしまう。無駄な抵抗はせず、そのまま眠ってしまう。とにかく、集中力が持続しない。こういう時だからこそ、運動して、食って、眠ってという基礎的な部分をきちんとしなければいけないのだろう。体育会系的な読書人をめざそう。うん。

 今回のリンカーン・ライムの相手も手ごわい。読者はある方向に導かれながら、そうじゃないよ、と、なり、でもやっぱりとなって、と、翻弄される歓びを味わうことになる。前半に比べて後半は、だから、読むスピードが上がる。
 今回カリフォルニアから参加した珍しい得意技を持った助っ人が、今後のシリーズでどういう形で絡んでくるのかも興味がある。かなり強力な人材なので、今後の犯人はもっと手強くなりそうだ。

 これで文庫化された8作を全部読んだ。既に単行本は出ているようだが、それが文庫化されるまでリンカーン・ライムシリーズはしばし休憩。インターハイが終わって、新しい作家に挑もう。うん。

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一週間前

 長崎、佐賀、福岡、大分の「北部4県」で開催されるインターハイの総合開会式が大分の大銀ドームで行われる。昨日が総合練習、今日が「ランスルー」。ランスルーはテレビの業界用語ではないかと思う。ドライ、カメリハ、ランスルー、本番。一体事務局のだれがこんな業界用語を使うのか。何故、知っているのか。昨日、進行のマイクを握っていたのが「じゃあ、宣誓台笑って下さい」と言った。そして、「板ついてください」と。業界用語を使わないほうがいい、と、ぼくは担当者にささやいた。
 その業界用語を使っているあり大手広告代理店がけっこう仕切っている。ぼくは名前だけだけれど「総合演出」とか言われているので、おかしいと思えば、言う。熱くて、サバを放り込めばミソ煮ができるほどたぎっている。ただ、高校生の動きに関することなので、高校生に負担にならないようにと考えるだけの「理性」はある。昨日のおエラいさんの怒り任せの発言はしない。

 ぼくは芝居をやっていてよかったと思う。一連の流れに、観客の視線を意識できているし、主人公の高校生が主役であり、オトナの都合は考える必要はないと思えている。都合やウソは観客に失礼。もちろん、高校生にも。

 わかってもらえるかどうかわからないが、一つだけ例を。
 文科大臣やら知事やらが何か言う。そのときに、高校生が「どうぞ」みたいな仕草をして、並んで皇太子に礼をする。並んで礼をするのは奥さんだろう。おかしい。加えて、次々の人達とも。ぼくは形にはこだわらないけど、意味にはこだわる。 

 さて、ぼくは今日還暦。還暦が教えてくれるものない。お祝いのメッセージをいただいた人に深く感謝します。

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ジェフリー・ディーヴァー『石の猿』を読む

 リンカーン・ライムシリーズを7作品読んだことになる。今までの中では犯人以上に脇役が丁寧に描かれていて、小説の完成度は一番高いと思った。今まではストーリーを追う読み方だったが、今回は読んで、楽しんだという感じがする。

 このシリーズには日本の車がよく出る。アメリカで何万台売れたとかいうより、日本車のスゴサを感じてしまう。この作品には東芝のDVDプレーヤーが登場。ソニーやパナソニックではなく東芝なのか。ふうん。

 今回もアメリア。サックスの魅力が光る。「犯人」が彼女に欲望の眼差しを向けている描写は、彼女の魅力を際立たせる。ディーヴァーは、自分で作り出したヒロインに恋い焦がれ、叶わぬ恋だと知れば、銃撃戦で、あるいは車を疾走させて、殺してしまうんじゃないか、そんなことを考えてしまう。でも、ドイルがホームズを帰還させたことを考えれば、わかるだろう、ディーヴァー。なッ。

 

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ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』を読む

 土曜日の午前、本屋がリンカーン・ライムシリーズの残り全巻を届けてくれた。「連休用にと思いまして」という実に思いやりあふれる言葉。
 ところが、その日はトイレから階段を中心に掃除をしようと、朝一番に幾つかのものを買っていたので、ひとまずはそれに集中。汗だくになり、シャワーを浴びて、さて、と読み始めたが続かない。部屋の温度は34度。昨日下巻になり、居間でエアコンをつけて寝っ転がって読み終えた。読み終わって、もし、これを最初に読んでいたら、このシリーズを読んでいただろうかと思った。

 このシリーズは首から上しか動かない犯罪学者リンカーン・ライムと美人刑事(最初は警邏巡査だけど)アmリア・サックスの二人を中心に巧妙悪質な犯人に迫っていく。次々に読者に仕掛けてくるのが面白い。しかし、『ボーン・コレクター』はその最初で、どうしても二人の説明が多い。加えて、ディーヴァーがその二人を使いこなしていないもどかしさがある。最初に読んだ『魔術師』はシリーズ5作目になり、テンポが速い。それを最初に読んだのが、ぼくの幸せだったと思う。

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別役実』東京放浪記』を読む

 もし、という仮定はあまり意味がない。特に「あの時ああしていたら、今はこうではなかったのに」という仮定法過去完了と仮定法過去を使った思いは、着地点がなく、ため息をつくしかない。ただ、齢を重ねるにつれ、その手のことが増えていく。もし別役実が外語大学の受験に失敗して早稲田に入っていなかったら、日本の演劇はある部分が欠落しているかもしれない。

 別役が日本の演劇をダメにしたとか言ったのは、つかこうへいだったか。つかとは演劇の指向性が全く異なるからそう思うんだろうなァと思うくらいだ。ぼくは別役の戯曲をかなり持っているけれど、正直なところよくわからない。わからないのに読み続けるのは、ある感触があるからだと思う。そして、別役のエッセイは面白く、それが別役戯曲への関心を支えているような気がする。

 高校演劇の全国大会で向かいの席に座って、イワガキを美味しいと言いながら食べる姿をよく覚えている。タバコもよく吸っていた。この本の中でパーキンソン氏病にかかっていると告白している。喫茶店での執筆がままならないようだが、着実に進化するというか、もうすでにある領域に達しているというか、そういう別役を確かめることができた一冊だ。

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土田英生『姐さん女房の裏切り』を読む

 土田英生は好きな劇作家。舞台を観たことはない。演劇雑誌に掲載された幾つかの作品を読んだだけだが、バカバカしく遊びながら、いつの間にか納得しちゃってる自分に気付くのが楽しい。『姐さん女房』もポンとバカバカしい台詞が飛び出し苦笑することしきり。
 大分の高校演劇の審査員に招き、酒を飲みながら話を聴き、生徒向けの講演も聴き、笑いっぱなしだった。たぶん、丸っこいアンチャンの内に「ええ加減さ」が潜んでおり、それが芝居に合っているんだと思う。そしてぼくはそういう芝居が好きなんだな。真似ようたって真似られない。

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理想の本屋

 本屋の店員がどれくらい本を読んでいるかわからない。「本屋大賞」があるから、かなり熱烈な読書家が本屋で働いていることは明らかだ。よく読書好きだから図書館の司書に、という話を聞く。しかし本屋の方が新刊が入るスピードも量も勝っているだろうから、本屋の方を選ぶ人もいるだろう。

 佐伯で一番大きい書店は、もちろん昔からあった本屋(書店と本屋の違いを今は考える暇がないが、本屋の方がぼくは好きだ)は量の多さが違うだけで、ぼくのような老人にはむしろ小さい本屋の方が好きなのだが、小さい本屋がもう少しクセのある営業をしてくれたらと思う。

 たとえば、そこの主人がミステリーが好きなら、ミステリーの傑作が必ず書棚にあるようにする。それだけで、そのクセがある部分を人を集めることになる。その店にぼくが行って「リンカーン・ライムシリーズの新作は置いてませんか」と言うと「ああ、あれは人が死にすぎるので、私は好きではありません。試に、このダールを読んでみませんか」と言われたら、ぼくは買って読んでみるだろう(ダールはぼくが好きな作家。面白い。是非!)。
 あるいはミステリーファンクラブを作り、それぞれの人が薦めるベスト5を並べるのもいいかもしれない。「読んでみるか」とつぶやくだろう。

 それと、買った本はとりあえず開いてみたいと思う。そのスペースがあること。手っ取り早く言えば、本屋の中に喫茶コーナーが欲しい。そこは禁煙にしない。できればビール、ウイスキーが飲める。

 本屋を開くのにどれくらいのお金が要るのかはわからない。もしそれが満たされれば、ぼくは本屋を始めるかもしれない。雑誌やコミックは置かない。クセのある読書家達がウイスキーを飲んで侃々諤々をやっていても、書棚の前の人には聞こえないようにした読書スペース。そして書棚にはクセのある本ばかり。儲けることはできないだろうが、仕掛ける本屋があってもいいと思う。広く浅くよりは、狭く深くの方がいい。最近の本屋にはその「深さ」が欠落しているのだ。

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國弘正雄『英語の話しかた』を読む

 中学、高校で6年間英語を勉強しても日本人は英語を話せない。それが問題になることがある。それで、今年の一年生から英語の教科書が変わり「コミュニケーション英語」という冠がついた。そして授業は英語で行う。英語教師が集まった時、「英語でできる?」という話題になることがひところ多かった。つまり、今まで行ってきた文法の説明を考えると、それを行うととてもできない、と、続き、仮に事前にその英語を準備しても、果たして生徒に理解できるか、と、なり、しなくていいという所に落ち着く。

 何でもそうだが、結局は毎日一定時間行うことが肝心だと思う。そして、そのためには学習者にその気持ちがないとできない。好きこそものの上手なれ、だ。

 定年間近に國弘氏の本を開いたのは、そういう所とは全く無縁。フリーになったら、自分のためだけに英語を勉強してみようと思っているからだ。そのための確認作業。
 國弘氏は、中学の英語の教科書を数百回も音読して英語ができるようになったという。最近は音読の言葉が使われていない英語の学習書はない。それくらい、國弘氏の方法は浸透している。それ以外にも英語学習について示唆に富んだ一冊。
 最近、聴くだけで話せるようになるという教材にも國弘氏は否定的。それと同時に単語の知識や文法や文化の理解に努める必要があることは明白だろう。楽してモノにしたいという、全く虫のいいところに目をつけたとは思う。でも、楽してモノになるものは何もない。
 内的必然とそれを楽しく満たしてくれるもの。ぼくの目標はダブリンの居酒屋でどうにか与太話を交わすことができるだけの英語。

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運転免許を更新する

 12時前に自動車道に乗り、臼杵で下りる。タバコがなかったので、思いつくのはローソンや7-11ばかり。そこでは屈辱の「20歳以上です」を押さないといけない。吉野のエブリワンならそれはないので、時間はかかるが仕方ない。

 前回の更新は直前に、芝居の情宣でウロウロしていたら携帯が鳴り、一時停止のところをせずに、ちょうどパトカーが瞠っていて、捕まった。以来違反はないので、今回の更新の講習は30分。担当者も軽口をたたきながら、一応体裁を整えるみたいなことだった。聴いてて、質問したいことがいくつか浮かんだが、向こうも次の講習があるだろうから、と、控えた。

 その後、明野の紀伊国屋に行き、英語の教材を選ぶ。それにしても、洋書が開店時から比べると殆どゼロに近い。寂しい限り。ジュンク堂にはそこそこあるが、大分市内は駐車やらが面倒なので、行かない。でも、別役の本をめっけたのはもうけものだった。後一回更新したら、次は高齢者講習になるので、運転はやめようかと思っている。ウン。

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ジェフリー・ディーヴァー『ソウル・コレクター』を読む

 ディーヴァー作品の魅力は徹底。これでもかというくらいにこだわって読者に仕掛けてくる。児玉清との対談(『ソウル・コレクター』下巻の巻末に掲載されている)でディーヴァーは梗概を書くのに7か月かけるという。なるほど。そうだろう。これだけの作品を仕上げるには並大抵ではない。

 ある人物の日常を徹底的に調査して、ある犯罪の犯人に仕立て上げらる。証拠は完全で、犯人であることは明確。ネット社会で個人情報が収集されている現代の恐怖を描いている。

 授業でも話すので、生徒の中にも読みたいという声が聞こえてきた。ウン、よい。

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ジェフリー・ディーヴァー『12番目のカード』を読む

 今まで読んだ中では動きが少ない。そして人間臭さがちょっと強い。ただ、リンカーン・ライム犯罪ファイルの魅力は、激しい動きに巻き込まれ、人間を人間を思わない犯罪者が追い込まれていくところだと思うので、物足りなさが・・・。

 ついつい読んでしまう。それでいつもは眠りこけている時間にも読んでいる。酒を飲みながら読むと、翌日がヒドイことになるので、酒をやめた。ついつい飲んでいるだけのことで、別に飲むのは水でもいい訳だ。じゃあついでにと(何のついでかわからない)、養命酒を買った。効き目を感じるまでにはいっていないが、このまま酒をやめてもいいか、と、思い始めている。ウ~ム、酒場より墓場が近くなっているような・・・。ただ、酒よりリンカーン・ライムの方が魅力的なだけ、とにかくこのまま今手に入る全作品を読破。酒をやめるかどうかは、そこで考えよう。ウン。

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ジェフリー・ディーヴァー『エンプティー・チェア』を読む

 ディーヴァー作品を読みたい。それは狂おしく、寝ても覚めても。何人かの女性に抱いた恋心にそれに近いものがあった。しかし、もうずいぶん昔のことなので、本当かと訊かれれば、自信がない。大学の演劇部で、学生会館を出ての初の公演に挑んだあの3ヶ月には近いものがあったかもしれないが、これも自信がない。久しぶりにハマッタ状況にあることは確か。

 シーリズ第3作目はリンカーンがサックスとニューヨークを離れて、田舎で犯罪に挑む。「陸にあがった魚」状態で二人は苦労する。物語の運びが少々強引かナと思えるけれど、でも読むのをやめることができない。最後の最後までの仕掛けも相変わらず。

 シリーズ第1作が映画になっているようだ。全作品を読んだら、観てみたい。それは、サックスを誰がどう演じているかを見たいからだ。モデルから警官になり、射撃の腕はトップクラス、愛車はカマロで240キロでぶっ飛ばすこの女性警官。はてどんな俳優がいいのか。頭の中であれこれ当てはめては読んでいるが、まだ決まらない。

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