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『バリー・リンドン』を観る

 3時間。途中休憩が入る。昔の昔、映画青年だった頃観たいと思いながら、何故か見ることができなかった。何故観たかったのか、わからない。

 監督がキューブリック。だから観たかったのだろうか。

 ところが、休憩が入る長い映画が面白くない。バカバカしい内容。でも、最後まで観てしまった。でも、観終わって、いいとは思わない。

 途中で、ローソクが多く使われているなァと思った。そういえば、高校生の頃から映画の本やら雑誌を読んでいた時、「ローソク云々」の記述があったようなことを思い出した。ローソクだけであの明かりが可能かという疑問は残る。でも、試みは面白い。

 キューブリックが何故ライアン・オニールを主役にしたのかも疑問。バカな映画だからそういう俳優ということか。

 

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演劇雑誌の定期購読をやめる

 定期購読をしていた演劇雑誌をやめることにした。『テアトロ』と『悲劇喜劇』。

 学生時代は『新劇』だけ。東京で働いていた頃は新宿の紀伊国屋書店で買っていた。教員になって、行く先々で学校に来る書店に定期購読をしてきた。『新劇』が『レスペック』になってすぐに廃刊。あの頃は、『演劇ブック』まで定期購読してた。10年くらい前に、全部譲った。活字にはなっていない三谷作品掲載されているものもあり、惜しいナとは思ったが引き取ってくれる人に申し訳ないから、全部。

 最近(これがどれくらいの時間かはわからない)、劇評が面白くない。分掌が粗雑で、見識が浅く(ぼくのような田舎者に刺激を与えないという意味で)、芝居はかなり進化していると思うけれど、評論家の先生方は進化していない。感想文でしかない。芝居をつくっている連中は懸命なのに、劇評を書く連中の何とノホホンとしているこか。

 佐伯に演劇の情報はない。あえかな糸口として、刺激されたいから今まで定期購読していた。でも、掲載される戯曲も、劇評も、チャライ。面白くない。安上がりにつくりすぎている。高校演劇を語るには若手で面白い連中がいるのに、まだご老体。どんなに企画を練っても、狭い範囲での右往左往だけ。

 演劇雑誌とはほぼ40年の付き合い。本日でオシマイ。

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クルマの選び方

 スカイライン→アコードエアロデッキ→アコード→ステップワゴン→フィット。そういうクルマ経歴。いちばん走ったのはエアロデッキで、20万キロ。生徒を乗せて甲府での全国大会に行った時が一番走った。発表を見ずに「日本海を見に行こう」と富山に行き、能登半島にちょっとだけ入り、兼六園、鳥取砂丘、津和野、と、途中道に迷ったりしてかなり走った。最後はやっとの思いで帰り着いた。それぞれのクルマに思い出はある。

 今のフィットは最初こそあちこちに行ったけど、最近は市内のみ。現在のところ8月の給油は一回。市内といっても、広い佐伯なので、自転車では気が遠くなる場所もある。田舎なので少ないバスでは時間のシバリが強い。来年3月で退職なので、税金を考えれば、軽がいい。ただ、時に遠出をしたいこともあるだろうから(数か所考えている)、それを考えれば軽ではひれったいかもしれない。

 HONDAの新しいフィットがリッター36キロを出したということで、それかナと思うものの、ハイブリッドは電池の交換にお金がかかる。おそらく10万ではきかない。それはガソリンが安く上がった分でチャラになるだろうか。安くなったとしても、一気に十数万はきつくないか?

 そこでマツダのスカイアクティブ。ディーゼルだからガソリンより安い上に、20キロ以上走る。電池交換がないことを考えれば、これがいいのかも、と、思う。

 結局、軽にして、もう少し力のいる時はレンタカーでいいというところに落ち着いた。ところが、自民党は軽の税金を上げようとしているというニュース。アメリカから「安すぎる」とかのクレームがあるとかいう話だが、もしそれが本当なら、アメリカが軽をつくればいいだけの話じゃないか。それを何故言えないのか。

 政府、自民党は、国民を見ているのだろうか。観ていない。政府の「事情」が優先されているのだ。ばかやろー!だ。
 

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田村京子『北洋船団女ドクター航海記』を読む

 1985年12月20日発行。日本初の女性船医が鮭鱒漁の船団の母船に乗っての2カ月の奮闘を活写している。ずいぶん前の本なので、戸惑ったものの、古さは全く感じなかった。それはおそらく、船の人間を中心に描いているためだろう。なかなかの書き手で、映像が浮かび、わかりやすい。彼女が船の男たちを愛してやまないのがわかり、それが読み手にも伝わり、会って話したくなる。

 図書館の書棚を眺めていて、ちょっと興味を持ち、手にする。それが面白いとかなりトクした気持ちになる。ただ、佐伯の図書館は蔵書が少ない。閉所愛好症のぼくは、四方天井までの書棚に囲まれた空間がベストなのだが、程遠い。そして広さと深さがない。もし、シェイクスピアを勉強しようと思ってもできない。これがじれったい。そんなの必要とする人間はごくごくわずかなんだろう。それより、多くの人に求められる書籍を優先せざるを得ないのはわかるとしても、だ・・・。

 子どもが家を離れてからが、ぼくの老後になるのだろう。そこで本は今より大切になると思う。あと2年半。

 アッ、田村の本は豊南高校の図書館だった・・・。

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眠りが変わった

 まず目覚めが遅くなった。そして動きの多い夢をみるようになった。
 原因はオルニチンではないかと思う。毎月7日前後に届くのだけれど、新しいのが届く時には少し余っている。今回ドタバタの中で料金を支払う用紙を取り出した時に、肝心の中身をどこかにポイと置いた。そして前の月の分がなくなり、いざと探すと、ない。ゴミ出しの日に間違って出したんだろうと結論。
 使い始めて2年半。朝の目覚めがよくなって、最近は4時過ぎには目覚めていて、犬との散歩にも体がすぐ動いた。ここ10日、オルニチンが切れて、目覚めは5時半。やたらとアクションの多い夢で疲れているのかもしれないが、以前はそんな疲れる夢はみなかったように思う。
 電話して送ってもらおうかと思ったが、いそおのこと現状を具に観察しえおいた方がいいかと思う。

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着てしまった・・・

 9時25分に着いた。駐車場はもちろんがら空きだった。あってもいい車もなかった。15分前と言っていたので、生徒は黄色いTシャツを着て集まってきたが、その車はまだ来ない。店が開くと同時にビニール袋に入れた小銭を持ってきてくれる人がいるのに、まだ来ない。担当者に電話すると「○○の方に行っているので、もう少し待って下さい」とのこと。オイオイ、何故オレが9時25分に来たのかわかってるのか、10時にはできる状態で臨まんか馬鹿者!という言葉を飲み込んだ。

 24時間テレビの募金。豊南高校の生徒がボランティア活動によく動くことは今まで書いてきた。学校独自の募金活動でもすぐに必要な人間は集まる。24時間テレビの募金も同様。通常募金活動募集は生徒会会長と副会長が行うが、24時間はTシャツのサイズを知らせる必要があるので、ぼくが行った。25人の店員はすぐに埋まった。そして、募金活動認定者を表す黄色いTシャツを生徒もぼくも着て、店先に立った。
 10時から、1時から、3時からの3班に分けて募金活動。ぼくは最初だけ一緒に声を上げたけれど、主役は生徒なので、あとは写真を撮るだけ。カメラを向けると敏感に察知して笑顔で指を2本たてる者もいれば、顔をそむける者、逃げ出す者さえいる。どっちも困る。
 でも面白いことがある。たとえば、パトカーが巡回していて、生徒の一人が敬礼したら、運転席の警官が敬礼を返してくれたので大喜び、それを知った生徒がまた敬礼したら今度は助手席の警官が返してくれたという。「優しいよな」「いい人やな」とかの弾む会話がひとしきり。
 あるいは、何の踊りかは知らないが、一つの動きにドータラコータラが始まり、その動きが腕から身体に広がり・・・。

 時々言われる、今年で退職のジジイを生徒会顧問がおかしいとか。しかし、ぼくが希望したこと。20数年前生徒会を担当したが、生徒と張り合って怒鳴り合ったこともある。次の学校で特活主任の時はかなり生徒会顧問に譲るよう言い聞かせた。次の学校では外野席で見ながら、昔の自分を見ながら、ああマズイなと思った。もちろん、今のぼくが上手にやっている訳ではない。ぼくは、今、生徒から学ぼうと思うようになっているだけなのです。

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いとうせいこう『想像ラジオ』を読む

 「花は花は花は咲く・・・」という歌がNHKでよく流れる。番組と番組の間のつなぎの時間なので、タイトルも知らないし、歌詞の断片しかわからない。とにかく「花は花は花は咲く」の部分だけが確か(だと思う)。その後に「私は何を残すだろう」とか「いつか生まれる君のために」と続いているような気がする。気がするという不確かな状態であれこれ言うのはダメだとは思うが、これは死んだ人の歌かと最初は思った。そして生まれてくるとかで、どうもこの歌は命のバトンの連綿を歌っているのだろうか、と、誰かに訊ねたいような・・・。

 3.11は様々な形で多くの人を動かした。ボランティア活動をした人の数はどれくらいの数になるのだろうか。冒頭に書いた歌や多くの演劇を生んだ(それだけしか知らんのかいな)。
 戦後は終わったのか云々で論議されることがある。終わったとかいうことではなく、忘れないようにすべきだではないか。
 3.11は終わっていない。終息に向かう気配するらない。加えて東電の無能と無責任で、汚染水が更に問題を深刻化している。海に流れ出て、問題は世界に広がるかもしれない。電気代が高くなるからとかで原発を再開しようという電力会社は、最悪の事態と廃炉までを「想定」した対策を示さないといけないのではないか。

 伊藤製鋼(いとうせいこう、と打って変換するとこうなった)の『想像ラジオ』は3.11を面白い発想と視点で描いている。死んだ人も生きている人も、愛しくなる。いい作品。でも、ぼくには面白くなかった。

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藤圭子とイチロー

 テレビで初めて藤圭子を見た時、表情を余り変えない人だと思った。能面、そんなことを言われたような気がするが、彼女に対してであったのかは自信がない。
 今なお現役でベストセラーを出している五木寛之が多分一番売れていた頃で、五木が演歌を「艶歌」だか「怨歌」とか、何かそんな言葉遊びをしていた頃だと思う。そいう言葉を引き出したのは藤圭子の出現だったと思う。
 しばらく聞かなかった名前を、娘がデビューして、その母親という形で接して驚いた。娘の歌はトント聞かないけれど、歌える遺伝子みたいなことを思ったものだ。
 藤圭子が突然引退して、アメリカに行ったのは、わかるような気がする。歌手は、レコード会社からすれば商品だから、パッケージングを考える。藤は悲劇的な色合いの強い包装をされて売り出された。だから笑顔を禁じられたのかもしれないし、笑えなかったのかもしれない。

 藤圭子の冥福を祈る。

 イチローが生涯での4000本安打を記録。色々と報道されているので、繰り返さない。ぼくなりの言葉で言えば、イチローは野球と身体と精神を実に上手に科学しているように思う。たとえば、彼はうまくいったことより、失敗を心にとめるところがあるようだが、何故うまくいったかより、何故失敗したかを考えるほうがはるかに有効だろう。「できた問題なんかドーデモいい。できない問題こそチャンスなのだ」とぼくは生徒に言う。できない問題が、できるようになるために考えなさいと教えてくれているのだ。
 スポーツ界の暴力的な指導は、「私には指導力がありません」という自己表明なのだ。そんな愚かな人間の下での苦労は意味がない。できないからこそ、指導者が必要なのだ。もちろん、時には厳しい言葉が効果的なこともあろう。でも、言葉で伝えられないから暴力を使う者は、ゼロから言葉で指導する方法を学んだほうがいい。
 
 イチローには是非自分を科学して、夢の50歳までプレイして欲しい。最後は代打で数試合に一回だけでもいい。アスリートとして限界を超えていても、これだけやれるのか、と、アメリカで見せて欲しい。日本のプロ野球には戻ってほしくない。

 イチローの快挙に拍手!

 延岡学園、残念。でも、とてつもないことやったんだぜ。面白い試合を見せてれてありがとう。

 

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延岡学園をサウナで観る

 バテバテ。これはイカンと、補修が終えると休みを取って、汗をかきに行った。
 ちょうど延岡と花巻がやっており、延岡の攻撃の間に汗をかき、花巻の攻撃になると水風呂を繰り返した。結果的にいつもより汗をかいた。
 声の大きい年配の方が、友人に色々と話し、それがサウナ室のみんなに解説という形になった。
 最近、下の娘が甲子園の試合を観ている。訊くと、中学の同級生がベンチに入っているという。野球との出会いにこういう形もある。
 そして延岡が花巻を下し、決勝に。横瀬投手の気迫の投球が印象に残った。佐伯の野球少年の目は、北より南に向くかもしれない。

 たっぷり汗をかいた。体調は良い。あとは十分な睡眠か。

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包丁を研ぐ

 昔、毎年学校に刃物類を扱うおじさんが職員室で品物を広げた。どうもぼくはそういう品物が好きみたいで、必ず一つは勝った。おじさんの口癖は「これは一生もんでっせ」。中にはそうでもないものもあり、おじさんはそれを正直に言った。ぼくは一生もんの爪切り、包丁数週、「外に置いてたら盗まれまっせ」という砥石、そういうものを買った。

 ぼくが家事をする時、その包丁を使う。今でもよく切れる。「職員室まで持って上がるのがたまりませんわ」と言った次の年から来なくなった。もう10年ちょっとになる。もう引退したんだろうが、

 今日放りっぱなしだった、「もう手に入りません」という高額の砥石を見つけ、いつも使っている包丁を研ぐことにした。ただ、正しい研ぎ方は知らない。
 子どもの頃、みんな小刀を持っていた。「肥後守」とかいう文字があった。その小刀で竹や木を伐り、削って、加工していた。だから、鉛筆はカッターで削る。そういう些細な小技を観に着けた。
 生活必需品の小刀の手入れはした。その手入れは研ぐこと。ただ、研ぐ真似事だったんだろう。入念に包丁を研いだ。最初は荒い砥石。徐々に粒子の細かい砥石に換えていく。結果を、包丁切っ先を葉っぱにあててスーッと引く。切れない。どこかで、あるいは全部、研ぎ方が間違っているんだろう。

 研ぎ方の勉強。新しい課題。

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ジェフリー・ディーヴァー『静寂の叫び』を読む

 A Maiden's Grave が原題。Amazing Grace をそう聞き間違えた登場人物の一人のエピソード。直訳すれば「乙女の墓」になるだろうが、まさにそれが描かれている。聾学校の8人の生徒と2人の教師を乗せたバスが脱獄囚に乗っ取られ、今は使われていない食肉工場に立てこもり、FBI捜査官との丁々発止が、それのみで描かれている。余計な要素はない。完成度は高いのではないか。
 ただ、ずっと疑問になっていることが、ラストに解決されるものの、そういう終わり方しかないのかという不満が残る。

 ディーヴァーの作品は映像が浮かぶ。だから、最後まで読んでしまう。つまり、登場人物が活きてるってことかもしれない。

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『恋におちたコロンボ』で気になったこと

 毎週土曜日の夕方に『刑事コロンボ』が放映されている。最近のレコーダーは一回録画すると、次回からの録画ができるようになっている。おじさんには嬉しい。それにしても、某レンタル店で過去に観たものも含めて全部借りて観たんだけれど、観てないものばかりで、土曜日の夜はそれを観ている。

 今日の放送には、犯人役がフェイ・ダナウェイ。コロンボは「きれいな人でね」と語るが、ぼくはそうは思わない。ただ、表情がとても魅力的で。それを見ながら、昔好きだった人に似てると思い、彼女との過去の蘇りがうねるように襲ってきた。
 彼女といる、目の歓び、耳の歓び、向かい合う歓び。恋に順番はつけられないけれど、とても好きだった。

 こういうことがある。

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ジェフリー・ディヴァー『眠れぬイヴのために』を読む

 最近佐伯の図書館が行動範囲に入った。脚本を書こうと新しいノートと読みかけのディーヴァーを持って出かけた。

 図書館の本は様々な人の手に触れている。中に、誤記を許せない人がいるようだ。彼(彼女)はそれに訂正を書き込む。ところが、それが間違っているのだ。例を一つ。
 「店を買いに行く」を彼(彼女)は、「を」に二重線を入れ、「に」と書いている。そりゃあ、それだけならそう思うだろうが、かなり前の部分で「店を買いにきた」というエピソードの部分があるのだ。だから訂正氏は、よく読んでいなかったことを露呈してしまったのだ。

 この小説が良かったのは、嵐の到来をストーリーに絡ませたことだろう。少しずつ読めていく部分はあるが、最後に「そう来たか」と思わせる部分がある。それがディーヴァーの魅力だろう。

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138

 新豊南高校の体験入学。記録係で、体育館の写真を撮った。

 鶴岡高校には10年前まで12年間勤務した。思い出をたどろうにも来年の開校に向けてあちこちで工事が行われていた。古い革袋に、どんな新酒をつめることになるのやら。全大会で、今度の新しい学校の魅力が力説された。しかし、今彼らが思い描いている通りにやれるのかは疑問だ。想定していないことに足をすくわれることは珍しいことではない。ただ、そこに行く生徒のことを考えれば、許されない。

 体育館では介護の体験授業。2回行われた。1回目は写真を撮った。2回目は、中学生が違うだけですることは同じ。
 ぼくは体験授業はあまり意味がないと思っている。断片では何もわからないと思うし、中にはやっていないのに、体験授業用の拵えものをやることもある。もっといい方法があるのに・・・。

 介護の体験授業は車椅子、体温・血圧、クイズコーナーに分かれていて、10分ごとに3班がそれを経巡る。血圧のところが、もう終わったというので、血圧を測った。中学生が測ったら、上が149という数字が出たので、それより高い数値を見せてやろうと思ったのだ。健康診断ではいつも150超えなのだが、ナント、138。アルコールをかなり減らしたのがよかったのだろうか。ウ~ム。

 さて、明日から18日まで夏休み。今夜はちょっといつもより飲んで、明日からは念願の仕事に専念したい。はて?

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ブルーベリーを収穫しながら

 5時過ぎに家に帰り、洗濯物を取り込んで、うだる暑さの部屋でチョコチョコとパソコンをいじり、花や木に水をやる。駐車場付近は、風呂水をバケツに入れて、それを使う。以前はバケツ4敗ほどを使っていたが、最近は2杯。限界前から西側は水道水を使う。玄関前に1本、西側に1本、ブルーベリーを植えている。そのブルーベリーが濃い紫の実をつけているので、それをチョコチョコと問ってはホースの水で洗い、口に放り込む。まだ陽がさす中、水やりは熱いが、ブルーベリーのついでと考えれば、なんてことはない。まだまだ緑の実もあるので、しばらくは楽しめるかも。
 その後、シャワーを浴びる。ついでに、風呂を洗う。シャワーは最初は30度くらいのお湯で汗を丁寧に洗い流し、最後は水にして、冷やす。

 それにしても暑い。炎天下、野球部の生徒は活発に動く。スゴイなァ。あの元気の数パーセントでもあれば、と、思う。

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ジェフリー・ディーヴァー『バーニング・ワイヤー』を読む

 福島の原発が津波にやれれて、その夏の電力供給で東京は混乱した。スイッチを押せば、明かりが灯り、テレビがつき、エアコンや洗濯機が動く。その当たり前が、当たり前でなくなった。電力抜きの生活は考えられない。
 今回のリンカーン・ライムは電気で殺人道具に使う犯罪者に挑む。凄まじい殺傷力に、驚いた。そして、『ウオッチメイカー』がここで解決する。次々にディーヴァーが仕掛けてくる大波小波に揺られる。読書の歓び。
 これで、現在手に入るリンカーン・ライムシリーズは全部読んだ。新作が待ち遠しい。

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藤山寛美『あほかいな』を読む

 昔テレビで部分を観たことがある。伝聞で借金やらがスゴイことを知った。上演する芝居を観客のリクエストで決めるという見出しを読んだ記憶もある。

 藤山寛美じゃアナログだと思う。アナログだからこそ芝居は成立するのではないか。

 土屋アンナの舞台中止が様々な形で報じられている。制作サイドは原作者の意向を余り考えていないようなフシがある。プロならきちんと書類に残すべきだろうと思う。また、「刺激的な方がいい」とか脚本担当は言ってるらしいが、そんなことはない。人間、つまり観客を刺激するのは突飛なことではあるまい。観客は刺激されたいのではない、笑ったり、泣いたり、共有したいのだ。
 マチュアとプロの違いが云々されていた時期がある。プロの芝居が、ヘタクソな素人の舞台より面白くないのだ。たぶん、プロは役に近づき、素人は役を自分に引きつけたようなところがあるのではないか。だから、素人には次がない。

 演じるということは私と向き合わざるえない。そして舞台ではより私になる。だからこそ、芝居は面白いのだ。寛美は舞台で学んで舞台で生きた。こういう俳優が今どれくらいいるだろうか。

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『Late Autumn』を観る

中国の女優、韓国の男優が、アメリカのシアトルを舞台に物語を展開する。片言の英語で、それぞれが母国語で話すことが多ければ、そして英語以外は字幕を出さないようにすれば、観客はもっと深く物語に入り込めるかもしれない。しかし、ほとんどは英語で進行する。

 母親の死で女は72時間の仮出所し、帰りのバスで男と出会う。設定は面白い。しかし、話を面白くしようとして、あれこれを盛り込もうとするが、そうするほどに無理が生じ、政策サイドは観客のことをどれくらい考えているのか疑問に思えてきた。

 アテレコシーンは秀逸。無口な女が他人に自分を重ねて饒舌になる。キスシーンもいい。相田翔子似の女優がなかなかよく、だからこそラストが胸に迫る。

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『サニー』を観る

 高校時代に「サニー」という名のグループに属した7人の女の子が、ひょんなことから集まる物語。妻として母として生きている彼女たちが、自分として生きる感覚を取り戻す訳だが、よくできている。

 以前書いたが、いつごろからか、女生徒の中に、おふくろの少女時代の姿を探すことがある。彼女に色々と質問して手がかりを得ればいいのだが、どうも照れくさい。ただ、韓国にもそういう思いの人がいるような気がして、親近感を覚える。政治面では日韓はギクシャクしまくっているが、若い人たちは文化面でお互いの理解を深め、動脈硬化のヒステリックなオトナ達を超えた交流ができればいいなァと思う。

 

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『007スカイフォール』を観る

 もう派手なアクションに観客は驚かない。だからもっともっと、と、エスカレートして、どんどん映画がつまらなくなっていくのではないか。この映画の中に活きた人間がいるとは思えない。

 ただ、上海の夜景には驚いた。こんなにスゴイ街になっているのか。中国は途轍もなく発展している。

 ショーン・コネリーのアナログ007に慣れてきたぼくには、ボンドガールとの甘いラストもないので、ガッカリ感だけが残った。

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恩田陸『猫と針』を読む

 市立図書館に行った。いつものように演劇関係の書棚に行く。少ない。我が家の100分の1くらいか。一冊知らない本。恩田陸が戯曲を書いているのだ。『夜のピクニック』は楽しく読めたので、読んでみるか。
 開くと、登場人物は全員喪服。これは神の恩恵ではないか。はて、『夜伽の部屋』を刺激してくれるか。
 欠点は突然モノローグが始まるところかもしれない。安易な処理かもしれない。別の形で処理しないと。

 これ以上のものは書ける、と、確信した次第。8月中に完成させることができるか。

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