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演劇右往左往~1973年 後篇~

 ぼくは下宿していた。叔母の知り合いに紹介してもらった。水前寺公園の近くに住んでいたその人は、入学の祝いにシャープペンをくれた。かなり精巧な品で、ぼくはそれを10年以上使った。失くすか壊すかことが多いぼくにしては珍しい。
 その下宿は、畳3枚に畳一枚分の板間の部屋。朝夕の食事に、日曜日の朝食のオマケがついて月12000円。当時、ぼくの仕送りは2万円。タバコ一箱が120円の時代。コンパの会費が1500円くらいだった。
 ちなみに、授業料は年36000円。月3000円。Оさんは月1000円だった。今と違い車を持っている学生は一握り。テレビも電話もなく、とにかくみんな金がなかったから、金がないことが全く気にならなかった。机と部屋には本箱一つとテーブル(炬燵)、それと布団と電熱器しかなかった。電熱器は小さい鍋でインスタントラーメンを作るために使った。その頃、日清から「出前一丁」が発売された。

 学生会館はかなり傷んでいた。一階の食堂や今のコンビニみたいな店は戸締りができるようになっていたが、二階は、ピアノの置いてある部屋は出入り自由。(音が出ないそのピアノで、ぼくは人差し指一本でショパンの「ノクターン」の練習(と、呼べるか?)をしていた。そして、二階のホールも同様で、「日米安保反対」とかのアジがペンキで書かれ、壁の上側のガラスは割れたままのものがあった。「あそこで血が流れたんだ」とОさんは、一隅を指さして言ったことがある。
 そのホールで12月だったか、公演をした。Sさんが書いた『夢幻奏(むげんそう)』。

 どういう芝居だったか、よく覚えていない。上半身裸になり、暗幕で身を包み、コロスのようなことをした場面があったような気がする。そして、ぼくのヤクザまがいのシーンもあった。何が何だかわからない芝居だった(今思えば、その頃はアングラ全盛だった)。ぼくはただ与えられたことを素直に(?)しただけだった。寒風吹き抜ける学館ホールで数回(詳しい数も覚えていない)上演した。観客は舞台の人間より少なかった。

 それがぼくの大学デビューの舞台。

 その公演の前か後か、Sさんがぼくの部屋に来た。大学に入っての少ない写真をきちんとアルバムにおさめ、短いコメントを付け加えていたが、Sさんがそれをめくった時、ヤバイと思った。夏の合宿の写真の下に「やめることばかり考えていた」と書いていたのだった。
 Sさんは、ぼくの本箱を眺め、「こんなに読んでいるんなら、イーダ、ホン書けるよ」と言った。どういうことか全くわからなかった。本箱にどういう本があったのか、どれだけあったのか、全く覚えていない。Sさんが退部させないために言ったのかもしれない。でも、そういう形での励ましは初めてだったので、嬉しかった。

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