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演劇右往左往~1975年 前篇~

 どうもこの辺(どの辺?)の記憶が曖昧なのだが、Оさんが、東京の20人会とかいう劇団に所属していた(いる)Nさんと仲良くなり、二人で芝居をしようということになり、後輩の池田(後輩は名前にする。そうしないとアルファベットだらけになって、ぼく自身訳がわかんなくなってしまう)とかを引き抜き始めた。それで、部長のぼくは大先輩に退部勧告をした。
 Оさんは『黒髪小劇場』というユニットを立ち上げ、子飼商店街近くの寺で芝居を上演した。どんな芝居だったか覚えていないが、美しい女優がいて、彼女が着物をはだけて胸を見せたのは強烈だった。曖昧なので、どの頃かを無視して書けば、Оさんは彼女に惚れたみたいで、ロック研のIさんも同様で、ОさんはIさんの部屋に木刀か何かを持って「殴り込み」。Оさんは捕まって、拘置された。看守に「字が多い本が欲しい」とリクエストすると、英和辞典を貸してくれたという話を聞いた。

 そして、上がいなくなって、さて、どうしようかと考えて、市内のホールでの公演をして解散しようくらいの気持ちになり、どういう経緯を経てかはおぼえていないが、『夏の夜の夢』を上演することになった。ところが、キャストの数に及ばない部員数。ぼく達は講義で座る位置を変え、とにかくキャスト集めを始めた。
 熊本女子大の中川が入ったのはこの頃だと思う。Оさんが彼女といた時、中川が「腹減った~」とか言い、それがいいと言ったのを覚えている。どうも、Оさんとのあれこれは、『夏の夜の夢』を挟んでのことかもしれない。でも、Оさんが、シェイクスピアに賛成しただろうか・・・。
 キャストを集める一方で、ぼくは自転車を漕ぎ、英文科の先輩を訪ねて、翻訳を持っていないか訊ね回った。しかし、主任教授がシェイクスピアが専門なのに、持っている人は少なかった。とにかく、ぼくが脚本に手を入れた。ミュージカル映画がぼくを決定づけた影響か、歌を入れ、舞台にエレクトーンとドラムスで演奏という形をとった。

 どうにかメドが立ち、チケットの印刷が終わり、ぼくはそのチケットを主任教授にある夜売りに行った。和田先生は、奥さんを亡くされ、敷地の隣に娘さん夫婦が住んでいた。チャイムを鳴らすと、和田先生が出て、「何だ」というぶっきらぼうに「芝居のチケットを買っていただけないか・・・」「上がれ」。
 それから2時間説教と講義。説教は「シェイクスピアの専門のオレに何故相談せんのだ」という内容。ぼくは正座して和田先生の言葉を受けた。結局チケットを買ってくれなかったが、「よく来た。頑張れ」という言葉で送り出してくれた。

 公演直前に東京演劇アンサンブルの『夏の夜の夢』(『真夏の夜の夢』、だったかもしれない)が熊本市民会館に来た。タイミングが悪い。でも、みんなで観に行って、ぼくらの方が面白いと、ナント、思ったのだった。

 その年の4月に、長崎出身の戸田が入部した。『夏の夜の夢』のボトム達の市民世界を同学年のHが鹿児島出身だったので、鹿児島弁でやることにした。後で聞いたことだが、戸田は毎朝竜田山に登り(登るというほどの高さではないが)、鹿児島弁の台詞を練習したということだった。

 中心になって、なおかつ学生会館から離れての公演は無謀だったかもしれない。でも、だからこその充実があった。部員も増えた。

 その頃だろうか、ぼくはペンネームを考えた。望月羚。

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