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老いと死のレッスン

 インフルエンザB型でしょうと言われ、その気に(つまりインフルエンザ全型制覇)になっていた。ところが、そろそろ熱が下がって、後二日で復帰でナという頃になっても熱が下がらない。それどころか身体がきつくなってくる。これはインフルエンザではあるまい、と、医者に行った。医者で熱を測ったら、38.2度。そして、肺炎になりかけているとのこと。絶対安静にの厳命。処方箋を持って薬局に行けば、後輩から「お酒もダメですよ」と厳命のダブル。

 しかし、抗生物質は効いた。帰ってすぐに飲んで、ちょっと眠ったら、身体がウソのように楽になっていた。

 もしかするとこのまま死ぬかもしれないとさえ思った。大袈裟に思うかもしれない。しかし、熱にうなされながら寝返り打ちながらの中でのあれやこれやの妄想めいたものが結構現実味があり、その現実味を反芻しているうちに、現在とこれからの生活を考えたし、なかなか問題を解決できなかった脚本の幾つかの問題の半分以上を解決していた。

 2月の3分の一を休んだ。こんなに長い休みは初めてだ。3月はゴールに向けてのラストスパートではなく、これからの新しい生活に向けてのスタートなのだ。それを実感で知ったということ。『夜伽の部屋』も書けるかもしれない。

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インフルエンザ再び

 木曜日の朝ゾクゾクとして、徐々に体調が悪化したので早退。今日医者に行ったら、微妙だけれどB型ではないかとの診察。熱が冷めてから二日は人と接しないようにということ。大分県南部はインフルエンザが県下一の猛威をふるっているようで、このか弱き老人にも容赦ない。

 齢を重ねるにつれ、色々な体の変調が出てくる。
 たとえば、1月下旬の愉しみは、カチカチになった鏡餅を小さく割って、ストーブの上に置いて、焼いて食べること。ところが、今年、カチカチを焼いて香ばしくなったものをかじっていたら、固すぎたものを毎日のように食べたせいか、歯茎を傷めたようなのだ。弁当を食べるのに従来の2倍の時間がかかるようになった。弱くなっている体を、科学して、もう10年は生きるようにしなければ、と、思う。

 オリンピックは多くの感動を与えてくれる。ところが、メダルを取れずに「いい思い出ができました」とかに「税金泥棒」のような批判があるのは切ない。またある国ではもっとひどい。Record Chinaとかを開けば、その一端はうかがえるだろう。加えて、森元首相が「真央は転ぶ」と発言したことも問題になっている。あるアメリカの団体が20年の東京オリンピックは「ヤクザオリンピック」と書いて話題になっているが、そこに森の名前もある。彼は昔から軽はずみなんだな。もちろん、森がそう思うのは構わない。でも、東京オリンピックのトップが言うべきことじゃないだろう。

 熱にうなされた発言でした。

 

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長崎に行く(下)

 7時過ぎに起きて、朝食をそそくさと済ませ、8時前にホテルを出た。どうせなら、と、一般道をしばらく走ったが、面白くないので、武雄から自動車道に乗った。ところが、ガソリンがもたないので、日田で下りて、玖珠の温泉に入ろうと考えた。温泉を探しているとスタンドを通り過ぎ、スタンドを探していると温泉を素通りしてしまう。道路脇の雪がけっこう多く、簡単に引き返せなかったせいもある。結局、庄内でリッター169円を10リッター入れ、家の手前の弥生の湯に入って、3時に帰着。

 収穫の多い長崎だった。後輩二人と短くない時間話し込むことができたし、塚原芝居も堪能した。そしてその結果、芝居に向かう元気が出ていた。よお~し、脚本を完成させるぞー。

 そして、ここ数年で一番嬉しかったことが。塚原芝居の女優からFBの友達リクエストが届いたのだった。応援したい役者。応援するにふさわしいだけの芝居の素養を学ばなければ。ウン。

 演劇右往左往を再開します。

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長崎に行く(中)

 ホテルからタクシーでポケットシアターへ。ところが、運転手さんは知らない。無線で問い合わせてだいたいの場所はわかったようだが、その辺に着いてもわからない。所在無げに立っている女性に運転手さんが訊くと「ここです」。フム。

 6時55分くらいに入る。お金を払って入る、と、キャストがいて、塚原氏が「プレミアム入場ですね」と。それで、開城を出て、先ほどの女性に「芝居観に来たんですか」「ええ、友達が出てるんで」「まだ時間があるから、ビールでも飲みませんか」と向かいの焼き鳥屋示す。「友達と待ち合わせしてるんで」とやんわりと拒否。一人で入ると、満席。とにかく喉がカラカラだった。それで自販機でお茶を買った。

 塚原政司脚本・演出の『電動娘』は教室半分程度のスペースで上演された。約4分の1がアクティングエリア。観客は30人で満席。だから役者にはシンドイかもしれない。役者は3人。塚原氏も俳優。役者が良かった。中でも、女優が魅力的だった。彼女の高校生の舞台を観ている。その時は舞台に収まっていた。今回は、舞台からあふれる、こぼれるものを感じた。一番わかっているのは、高校で指導した塚原さんだろう。彼女はまだまだ伸びる。
 芝居は、だから、面白かった。もちろん完ぺきではない。しかし、意欲的な作品で、現在をバッサリ。ぼくはしない芝居だから、いっそう面白かった。雪で右往左往しながら観に来た甲斐があった。エリオットを真似れば、『電動娘』は残酷な芝居。老人に芝居への気持ちを高めた。

 劇場を出て、後輩二人と一口餃子の店に。美味しかったし、芝居の話しやら、生活のあれこれやらで言葉が弾んだ。二人と別れて、塚原さんと合流。音響の村尾、照明の喜多、制作の古賀の3人がいた。芝居は人がつくる。どんな人が集まるかで、芝居が決まる部分はある。塚原さんは人に恵まれている。毎熊さんの文章にもそれが表れている。

 その後、村尾、喜多とちょっと飲んでホテルに帰った。すごく満足していた。『たんぽぽと数の子』と『電動娘』は毛色が違うけれど、塚原さんの眼差しは同じ。彼の芝居への旺盛は健康的で、だから、そうだよ、と、つながる。ぼくも健康的に芝居につながったと思う。
 雪が恨めしい。北の友人が来れていたら、と、思う。

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長崎に行く(上)

 別府ー湯布院の間が通行止めになっていたが、チンタラ行っているうちに溶けるだろう、と、国道10号線を北上。途中、昔担任をしていた生徒の家の前を通った。実に可愛い生徒だったが、彼女ももう不惑を超えている。きっと美しい女性になっているのだろう。会いたいなァ。そんな不埒な思いを振り切って、別府に。あちこちをウロウロしながら解除を待つものの、ダメ。それで高速入口に入る、と、係員がいて、解除のメドは立っていないとのこと。それで、大分に行き、庄内から湯布院に行くことにした。標高も低いし、生活道路だから、可能性が高いと考えたのだ。何故、別府で待っていたのか、自分の愚かしさに怒りを覚えた。そして、以前通勤で利用していた道路の車の多さに驚いた。行く車も、来る車も、多い。

 湯布院インター付近は積雪10センチ(テキトーすぎるか?)。そこから、自動車道に乗り、ひたすら長崎に向かった。

 今回の目的は演劇部後輩と会うこと。塚原政司プロデュース公演を観ること。そしてその公演にかけつける久しぶりの高校演劇仲間と会うこと。面白さてんこ盛り。

 とりあえず、後輩の家に。初盆の時に行った記憶があるので、それを辿りながら・・・あった。で、駐車場に入れて、表札を見たら、「川」の字は同じだったが、その下の字が全く違う他人の家だった。電話して住所聞き、丁目と番地の数字を便りに探すが、こういう順番かと思って進むが、突然若くなったりでウロウロが果てしなく続いた。へとへとになっている頃、老人を気遣って玄関でキョロキョロしている人影発見。
 後輩同士で結婚した。しかし旦那の方は一昨年急逝。彼女が昔の写真を出して、あれこれ思い出を辿りあったが、二人とも記憶がアヤフヤで、謎の解明に来たのに、幾つか明確になったものの、更に深まった謎に加えて新しいものが加わった。
 そして、彼女にホテルに案内されて6時20分にチェックイン。フロントで青森の友人の部屋を訊くと、キャンセルとのこと。飛行機が飛ばないんだろうと判断して、電話すると「酒を用意してたんですが・・・」とのこと。こういうもんだ。よりによって、こういう時に大雪。こういうことがあるから、会いたい気持ちが強くなる。
 ちょっとゴロンとしたいナと思って時計を見ると、そんな時間はない。それで、ホテルを出て、タクシーでポケットシアターに向かった。

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