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『リア王』を読む

 肋骨4本を折って3か月半が過ぎた。まだ違和感があるものの、それは失恋の痛みと同様、一生(残り少ないが)道連れにするんだろうナと思うことにした。
 ここ一ヶ月は毎日自転車で走り、体力を取り戻す(あったら、だけど)ようにした。英語やら小説やらエッセイやらは読んだものの、どうしても戯曲が読めなかった。戯曲は、ぼくの場合だけれど、小説よりは覚悟と体力と気力が要る。先日、どうにか読めるような気がして、『リア王』を開いた。福田恒存の訳。学生時代から親しんでいるので、それにした。修士論文で扱ったんで、シェイクスピア作品の中では一番読んでいるのだけれど、こんなにすごい作品だったのかと初めて思った。
 『リア王』はシェイクスピアの最高傑作と言われるものの、上演頻度は少ない。リアとコーデリアが死ぬから、そこを変えて、ハッピイエンドにしての上演例もあるようだ。
 高校演劇の顧問をしていた頃、演劇はズレじゃないかと思うようなったが、『リア王』を読みながら、ズレで考えるのも面白いと考えた。学生時代は道化の存在こそ演劇的だみたいな形で展開したが、今ならズレで書くだろう。収穫。

 松岡和子の『深読みシェイクスピア』は面白い。彼女の目を開いた役者のエピソードも面白い。

 『リア王』を読むきっかけは、青森の知人が送ってくれた今年の新作がきっかけになった。テーマがでかい。高校演劇はこんなこともするという強さがあった。

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