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「老い」を受け容れる

 祖母の入院先に見舞いに行った時、母は脳出血で倒れた。病院だったので、運が良かった。もう少し遅れていたら、彼女は原付で走っていたので、ラッキーだったと思う。祖母が亡くなり、母は介護施設に入り、父が亡くなった。

 母を訪ねると、体が思うように動かない、それが次第に募ることに腹立たしい気持ちをぼくにぶっつける。歳をとれば、そりゃあそうなうよ、と、ぼくは言う。

 ただ、「老い」を人はそんなに簡単に受け容れられないのかもしれない。

 ぼくは、固有名詞が欠落していくことに「老い」を感じ始め、それが度を増している。その他にも目や耳、運動能力の衰えがある。いいことだと思う。もうそんなに見なくてもいいし、聞かなくてもいいし、動かなくてもいいのだ。自分の都合で見て、聞いて、動けばいい。読みたい本は読む。聞きたい音楽は聞く。行きたい所には行く。でも読みたくないもの、聞きたくない話、行きたくない所は、「老い」を理由に断る。こすっからいジジイだが、それでいいと思う。

 他人(家族も含む)には、申し訳ないが、ぼくは老人の特権としてすべての負を活用するんだな。老いてすみません、そんなこと考えてはいけないんじゃないか。

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