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正しい「力」の使い方

 銃を持ったら撃ちたくなる。それと同じように、地位という「力」を持つと、それを使いたくなるのかもしれない。

 ほぼ20年くらい前、職員会議で長い議論の果てに決定したことに、校長は「ここで決まったことを私が守ることはない」と言った。バカか。じゃあ今まで議論させるな。かといって、「こうします」と校長が言っても、バカか、と議論になったんだけれど。

 年々バカな校長が増えている。使いやすい人間を任命しているのだろう。任命する側のことだけしか考えていない人事で、教育のことを考えているとは思えない。「わたしを校長に」と尻尾を振る人間だけが、そうなる。人間を見る能力も気持ちもない人間が、機械的に配置している。バカか。

 任命する「力」が安易に行使されている。
 学校が良くなるためには、人格と能力のある人間を任命すべきなのだ。

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金銭出納帳から考えた

 出納帳の「納」を消し、「正確さに欠ける」という但し書きを付け加えた。
 10月の年金支給日からつけ始めた。退職前からすれば、あれこれをかなり控えめにしているものの、かなりの金額になる。タバコと酒を半分にすればいいのはわかっている。月に最低でも3万は浮く。わかっていながら、ついつい・・・。退職前、あれば使うという生活だったし、バカだったと思う。

 金はあるところに集まる。だから、金持ちになるには、金を持たなければならない、とは、桂枝雀の枕。
 ただ、9割強の人が何らかの形で金で心配をしている。でも、金を脳の真ん中に置くと、どうも、精神にも身体にもよくないのではないかと思う。「無い生活」を受け容れることもいいんじゃないか。上を見ても際限がない。下を見れば気分は滅入る。今を受け容れ、今の中での楽しみに生きるのもいいんじゃないか。それは我慢ではない。よく見て、よく聞いて、より面白く生きる知恵の生活だと思う。

 明日から、そうしようっと。

 

 

 
 

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書店は地元の小さな書店がいい

 大きい書店は探す楽しみがある。
 大学時代、紀伊国屋をウロチョロして数冊買い、たとえばピザを食べながらビールを飲む快感を覚えた。
 田舎に帰り、高校時代辞書や参考書を買っていた書店に、注文するようになった。家まで届けてくれるから、実にありがたい。
 ぼくはある本を読むと、巻末の参考文献に目を通し、「これは」と思える本を注文する。そういうのが重なると、「○○の新作が出ましたが、注文しましょうか?」と電話がかかってくる。

 ぼくは読書家ではない。だから、ガソリンを消費して配達してくれるのは申し訳ない。でも、ささやかながら地元の書店を大切にしたいと思う。

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人を知るということ

 その人にぼくらは評価を下す。でも、その人のごくごく一部でそうしていることは多い。
 でも、「あの人は」と評価してしまう。
 その辺での食い違いは、なかなか解決できない。弁護士が入っても、できない。
 人間がこさえた問題は人間で解決できる、と、ぼくは思っている。でも、個人の事情を主張するだけでは、いつまでも平行線のままだろう。
 相手の事情を理解することでしか、解決には至らないのではないかと思う。難しいけれど、超えなければ。

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遠きにありて

 今まで好きになった女性は多い。多いのがいいのかわからない。でも、誰かを好きになることは素晴らしいことだと思う。

 誰かと付き合っていようが、結婚していようが、いいと思う。好きになるのは仕方ない。
 それが恋かもしれない。ある年齢を超えると、女ってメンドーという思いが強くなる。だから、思いだけ抱いて、引き下がる。

 そう思っても、脳裏に浮かぶ女性がいるのだナ。
 時々のやり取りに我慢ならなくなって襲い掛かろうとかいう気持ちにもなる。
 でも。
 淡い表情やら言葉の断片やらで、遠い人でいるのが、正解なのかもしれない、と、思う秋の夜。

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こういう時代もあった

 彼は一言でいってみれば破天荒な人だった。型にはまったまじめさと無縁というか、教員らしさがかけらもなかった。やせてすらりとした体躯にするどい眼光。しかもくたびれたおじさんファッションではなく、サマーセーターなどをさっそうと着こなす。これは女子高生にはポイントが高い。当然そのあかぬけた雰囲気にファンはみるみる増殖していったが、彼の魅力はそんな容姿レベルではなかったのだ。

 授業。そう、魅力的なのは彼の授業だった。ここで授業と呼ぶのは正しくない。なぜなら50分のうち35分はトークショーだったからだ。ワンマンの。もちろん生徒は必ずチャチャを入れ延長のための努力をするわけだが、彼の場合それをむしろ心待ちにしているところがあった。

 ある女性雑誌を持ってきて「これが今、一番面白いんだ」と延々女性雑誌比較をのたまうこともあれば、大学での勉強のこと、校長が酒の席で豆を配った話、学年主任は実はアニメオタクという話、ゆで卵をもらった女性の話、映画の話、今書いているクラス通信の話等々。暴露、ユーモア、毒舌、笑い、暴走と枚挙にいとまがなかった。それは「人生の楽しさ」「人生の広さ」を熱く語る珠玉の時間だったのだ。こんな調子なので考査前はあわてる。大急ぎで教科書10ページ以上を流すのはざらだった。3分間に1ページもさらさらと進むのだ。でも私たちは「日頃の面白さを考えればこそ」と耐えしのんでいた。

 ある日、彼は一冊の本をおもむろに取り出し、ろうろうと朗読を始めた。ニューオリンズで、しわくちゃな老いぼれた婆さんがピアノの前に座る。いったん座るとまるで人が変わったかのように素晴らしいピアニストになる。骨張った指から奏でられるジャズの旋律に客は歓喜し狂喜する。そんな内容の文章を低くはりのある声で読み上げ、「どうだ。いいだろう。いい描写だろう。君らにわかるかナ、まだわかんねぇだろうナ。」と言った。

 大分というちっぽけな街で日常の反復をしている女子高生にとって、それはあまりに異質で、あまりに遠く、あまりに衝撃的だった。確かにきちんとわかったわけではない。が、遠くて広い世界を、高校生だからといって手加減せずに教えてくれたことに感謝した。それから私の読書熱と文章熱は様々な方向を向き始め、更に加速していくことになるのだから。

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ガン、か?

 ほぼ、ここ10年以上、60プラス・マイナス1キロを維持してきました。目的があって何かをしてきたわけではないけれど、あちこちで暇つぶしに乗った体重計が、そういう数値を示していただけです。

 9月、家の体重計に乗ったら、55キロ台。安い体重計だからと思っていたら、10月、健康診断でも同じ数値。それを親しい人に何となく呟いたら、「お前、癌検診を受けた方がいいんじゃねえか」と言われました。

 大学1年の春、70キロくらいありました。9月、体調を壊し、47キロに落ちました。以来、貧しい学生生活をずっと送りました。下宿のおばさんは「あんたがもっと太らないと、うちがいいものを食べさせていないように思われるから、太って」と懇願されること十数回。
 教師になって、職員室に来る業者に寸法を測ってもらい、スーツをこしらえました。ところが、腹回りがきつくなって、また、また、また、と、こしらえました。で、量販店に切り替えました。めったに着ないのに、こしらえても、腹の出っ張りでこしらえなおすのは、無駄だと考えたのです。

 ちょっと余裕を持ったサイズのズボン(ズボンって、死語?)を買うようにしたのですが、それでも、ベルト要らずという状態になりました。
 そのズボンが、今ではベルトの一番締め付けた穴を利用するのです。
 考えられるのは、

 ① 買い食い、間食が以前の十分の一以下になった。
 ② 持続する運動を心がけ、実行できている。
 ③ 食事量は減ったものの、よく噛むことを心がけている。
 ④ 英語に毎日触れている。
 ⑤ 早寝、早起き。

 誤解を恐れずに言えば、ぼくはガンでも仕方ないと覚悟している。実際、いざ告知されれば、アタフタするだろうな、と、臆病者は思う。でも、様々な人、多くの出来事に出会い、結構楽しんできたので、財産を残せない家族には申し訳ないけれど、かなりの個人的「財産」はたっぷり蓄えることができたので満足なんです。

 おっと、遺書みたいになってきた。いけない、いけない。

 先日、オリーブの苗を植えました。
 明日世界が滅ぶとも、今日ぼくはオリーブの木を植える、な~んてなことを呟きながら。

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