森繁久弥の思い出

 おそらく2時間ドラマの走りだと思うが、『七人の軍隊』の主演が森繁さんだった。ぼくは仕事を始めてまだ一年になっていなかった。演出は『寅さん』をテレビで始めてつくった超ベテランの人だった。彼が、本番を撮って、「もう一回やりたい」とインカムで下に伝えた時、森繁さんがモニターを通してにらんだ。その一睨みで、「OK」にしたのだった。

 葉山でのロケ。短い距離の移動でも、森繁さんは運転手つきのベンツに乗った。共演者の一人藤岡琢也さんはワーゲンを自分で運転していたぼくは、そのドラマに出演した。七人の老人が戦うヤクザ役は東映から雇っていたが、足りないということで、急遽スタッフが駆り出されたのだ。その頃は黒くて長い髪をメイクさんがオールバックにして、サングラス。トラックの荷台に乗り、飛び降りる。その時、東映の強面の人の頭に肘が当たった。ぼくの肘も痛かったから、あの人も痛かっただろう。悪いことをしたというより、怖くてしきりに謝ったけれど、ニコニコしていたけれど。

 夏に放送ということで、撮影は冬なのに夏の服装。寒かった。寒くて仕方なかった。そして、トビー門口さんって名前だったか、彼がライフルを撃った時の指導をしてくれた。引き金を引くと、彼が銃口をグッと持ち上げる。それくらいの衝撃があるということだ。そしてぼくは窓から、襲ってくる老人たちを撃つというワンショット。オンエア時は、瞬きすれば見逃す程度だった。

 森繁さんは以前文化勲章だったかを受章したことがある。大衆芸能の分野での活躍が認められてのことだったと記憶する。ただ、大衆芸能を遥かに超えた存在だと思う。天才だと思う。ご冥福を祈ります。

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こたつ

 そうか、ゆきさんの家では炬燵を出しましたか。

 ぼくの家でもその論議はあります。炬燵でゴロンとするのはいいですよね。若い頃は、友達と飲んではゴロンの連続でした。でも、眠るのはふとんが断然いい。だから、ぼくの家のテレビ前に炬燵を出すのは反対なのです。テレビも明かりも炬燵もつけっぱなしっていう光景はみたくないから。ストーブはそんなことはない。

 ただ、石油は衣類や建材やらが作れる。それを燃やしてしまうのはどうかなァとは思います。寒い時には、まず重ね着でしょうね。

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ストーブを出す

 冷えてきましたね。今朝は5時半に犬と散歩に出ましたが、た歩くのではなく、少し運動量を増やさして体をあっためようとしました。

 み~けさんの日田では佐伯以上でしょうね。ぼくは玖珠が最初の勤務地で、4年住んでいました。最初の年、入学式の日に雪が降った時、とんでもない所に来たと思いました。ただ、玖珠はどこに行くにも温泉があり、車のトランクには風呂セットを用意していたものです。独身連中とのワイワイもあり、今でも好きな玖珠です。玖珠から大分の学校にかわり、以前玖珠に住んでいた先輩教師は「冬は部屋の中でもタオルが凍っていたんじゃ」と。ぼくの頃はそんなことはなかったけれど、雪で休校になったことはあります。

 10月半ばだったか、仕事から帰ると、玄関に柿の葉が一枚。家の前の土地の木から運ばれたものですが、秋の便りに思え、バッグからカメラを出し、撮りました。最近は便りが多く、処理という労働になった。山はまだ色づいてはいない。

 寒くなりました。皆さん、元気で!

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雨あがりの風呂あがり

 NHKの『坂の上の雲』の放映が待ち遠しい。

 今日は一日中雨で、主夫をしていたアレコレであった。

 さきほど風呂から出てウッドデッキでタバコを吸うと、ちょっと膨らんだ月と大きな雲とそのバックには星空。『坂の上の雲』はこういうものではないか。未来を見通せる部分とそれを邪魔する部分。

 司馬遼太郎は「小説はマヨネーズを作るほど難しくない」みたいなことを言っている。司馬の作品は小説ではない。伝記。彼は調べに調べ、それを並び変えて書いただけなのだ。ただ、それは誰にもできないだろう。だから司馬は偉大なのだ。

 ああ、雲が動く。

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犬は何故吠えるのか

 うちの犬はぼくが帰った時には吠えない。ところが娘たちの母親が帰った時は、うちの敷地に入るかなり前から吠える。くるまの音でわかるんだ、と、感心したこともあるが、何故、オレには吠えないんだ。吠えることは、帰ってきたことを喜んでいると考えたから、それがさびしい思いにさせていた。

 発想をちょっとだけ変えることができた。「おいで」と言えば、我が家の中では、ぼくに来る。ならば、彼女が帰ってきた時に吠えるのは、ぼくに知らせているのではないか。「敵が来たぞ!」みたいな。

 朝、5時半に洗濯機を回し、犬と散歩に行く。薬指大のLDライトで歩く。星に、どうしても、目が向く。ある星を眺める。あの星の住人も同じように地球を眺めていたら面白い、と、思い、また歩く。

 「私」を変えることはできない。ただ、違った生活をすれば「私」の違った部分がモッコリ出てくる。「早寝、早起き」はすぐれた知恵だと思う。朝は夜の2倍の価値がある。朝型、やってみませんか。

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くるまで散歩~九州大谷短大篇~

 8時30分にコスモタウンを出発。今日は日産NOTEの後部座席。連れは二人。福岡まで「散歩」もおかしいだろうが、なにせサンダル履きだったので。

 目的は九州大谷短大の公演。久留米まで2時間。時間に余裕があったので、成田山の観音様を拝んで、ラーメンを食べた。それでも、短大に着いた時は開場まで30分の余裕。丁度付属保育園の運動会をやっており、可愛い姿を楽しむことができた。保育園の子どもたちは、何をやるにも懸命で、だから一層可愛い。

 公演は、200キロを超す距離をかけて損はなかった。舞台処理はかなり勉強になった。無料ってのも勿体ない。卒業生と話ができたし、大分の高校演劇の審査員に来ていただいた斎藤先生とも話ができた。こんなに充実した日曜日は久しぶりだった。また、「散歩」に行きたい。

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『イムジン河』の新しい歌詞

 加藤和彦さんの死はきついパンチ。才能溢れる人だっただけに、あちこちに現れるだけでもよかったのに。ポップ音楽では常に前衛だった。

 「ユーチューブ」で彼の歌声を聴きまくった。「発売禁止」になった『イムジン河』を何回も聴いた。

 仲間の北山修が新しい歌詞を付け加えたものを聴いたが、変えた方がいいんじゃないかと思うのは、最後の部分。「あおき海にかえる」がいけない。「あおき海に向かう」の方がよかないか。

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くるまで散歩ー尺間山篇ー

 天気がいい。晴れた日には永遠がみえるという映画もあったので、尺間山へ。そして今日は若い女性が二人、といっても、下の娘と友達だけれど。

 山をくるまで登り、くるまを降りると、山道を歩き、400段の階段を登る。これがシンドイ。やっとの思いで頂上に着き、お賽銭をあげてそれぞれ祈り、コンビニで買ったおにぎりを食べた。遠くにぼんやりと四国が見える。気持ちがいい風が吹き、気分は爽快。

 下りは、子どもたちの口数が増え、話題は先日行った修学旅行のあれこれが中心。お化け屋敷に入ったら、首なしが奇怪な声をあげて出てきたらしいが、それについて「口がないんだから声が出る訳ないじゃん」と痛烈な一言。連れがいるのもいいもんだ。これから、誰かを誘ってみようか・・・。

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くるまで散歩ー鶴見崎篇ー

 土曜日の振休。九州最東端の写真を撮っておこうと出かけた。

 天気がいいので、断崖絶壁の上から海を観るのは気持ちがいい。戦争中、豊後水道を来るアメリカ艦隊を撃つために砲台を築いたらしが、今と違って重機もお粗末な時に、戦争ってのは人をクレイジーにする。360度展望台に今までいったことがなかったので、登ることにした。入口に年齢に応じてどれくらいかかるか表示したる。50代のぼくは7分前後。それを5分で登ったぼくは、若い?上では望遠レンズをつけたカメラで撮影している人がいた。

 下梶寄に降りて、海岸でボーッとして、帰る時、驚くほどの数のトビだかタカだかが、舞っている。走りながら、窓から手を出して撮影したが、ボケていた。

 帰りに間越(はざこ)に寄る。道沿いにハイビスカスが咲いていて美しい。一番好きな花じゃないかな。

 米氷津に出ると、大きな漁港に感じた。それまでの集落が小さかったからだろうが、それだけ面白みがなくなっているのも確か。ぼくは人間の少ないところの方が好きなのだな。

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くるまで散歩ー波当津海岸篇ー

 秋の誰もいない海でも、と、ぶらり。かなり自動車道路の建設が進んでいるのには驚いた。青山経由で蒲江に向かえば、それは実感できるし、宮崎まで足を踏み込んだが、そちらでも進んでいる。延岡まで通じれば、加えて高速料金が無料化になれば、宮崎までの散歩が簡単になる。楽しみだ。

 さて、波当津海岸に向かう峠からの景色がいい。狭い道で峠を下って、海岸で足を洗って、小学校そばの道を走ってみる。離合が難しい狭い道をしばらく走ると、「横島展望台」の表示。更に狭い道を走ると、絶景。眼下には太平洋が永遠に広がっている。テニスコートほどの広さとアクセスの悪さで誰もいないのもいい。結婚前なら、彼女をここにつれてきて、夜明けにプロポーズするかもしれない。などと、バカなことを考えながら、北浦に出て、そこからターンして山道を越えて帰ってきた。走行距離100キロ。

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祝辞は難しい

 今日、津久見高校は創立70周年を祝う式があった。校長、同窓会長、PTA会長、県の教育長、大分県議会議長、生徒会長が祝いの言葉を述べた。驚いたことに、教育長が一番ひどかった。おそらく、入学式、卒業式、結婚披露宴での祝辞等、ぼくが聞いた全部をひっくるめた中で最低ではないか。原稿はまとまりがなく、羅列。知性のかけらもない。そして、それを読む読み方、声の出し方も、稚拙で聞き取りにくい。それでは困る。さすが県の教育のトップだけのことはある、と、唸らせるものでなければ。

 それに比べ、県議会議長の言葉は簡潔で津久見高校を称えた。

 二人の祝辞の違いは何か。核になる言葉を持っているかどうか。その一言を見つけることができれば、後は具体例をちょっと付け加えればいいのではないか。

 そういうぼくも先月、教え子の結婚披露宴で祝辞を述べた。スピーチの経験はあるが、祝辞は初めてで、はて、どう言えばいいのか。そんなこと考えても解決しないだろうから、ぼくは「奇跡」を核にしてしどろもどろながらどうにか話した。そう、ぼくのような人間はそういう話をする場所を作らないことだ。教育長も、感動するような話ができるよう勉強するか、話さなくていいようにするか、二つに一つしかない。

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くるまで散歩ー大越篇ー

 中学校に入って、大越(おおこえ)という場所があることを知った。同級生に3,4名いたような記憶がある。一度自転車で行ったことがある。車を持って、祖母を直川の地蔵尊に乗せて行った帰りに、大越に抜ける道があることを知り、何気なく向かったら、道がくるま一台がやっとで、往生したことがある。

 中学を卒業して40年。舗装されてはいるが、中には車一台やっとというところも多く、あの頃は舗装されている部分も少なかっただろうから、中学校までの10キロ近くの距離の自転車通学は大変だったろうと思う。

 今はコスモスが盛り。コスモスの背が昔より高くなったような気がするけど、気がするだけなのかな・・・。今回大越を散歩したのは、朝日新聞が選んだ日本の風景に選ばれていたからだが、春の頃だったかの発表で覚えていないのだが、行けばわかるか、ナ、と思ったのだが、ダメ。

 ただ、コンクリートの街を離れると気持ちがゆったりしてくるのは不思議だ。

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柔道着

 だいたい毎朝5時半頃、洗濯機を回す。朝食前後に干す。帰ると、小学校の娘が取りこんでくれている。洗濯は好きだ。

 昨日中学校の娘が帰ると、洗っておいて、と、差し出したのが柔道着。体育の時に使った学校のもので、使った人が洗って返すというものらしい。ぼくは、その時感動した。華奢な女子中学生と柔道着という組み合わせに感動したのだ。昼間、ウッドデッキに干している柔道着を見て、もしかして、ぼくは娘にそういう方面の部活動を期待していたのだろうか、と、思った。

 もの思う、秋、だ。

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歌で英語を勉強する

 英語を一所懸命勉強したのは高2の冬から、大学受験に失敗してから予備校に通った頃。接する時間が多く、そうなれば成績は上がる。わからないから勉強する訳で、わkらないから止めると、そこで、全てはストップする。わからなくても続ければ、ある瞬間、トンネルを抜ける瞬間に出会うことができる。

 英語は日本語より母音が多様で、なじめない。なんでやと思っていたが、英文科でシェイクスピアが出て、それを下宿で音読している時にわかったように思うことは、英語は腹から声を出し、その音を表情豊かにするには、口での調節が必要なのダ、と、思った。だから、英語の脚本を音読するのは効果的だろう。ただ、脚本は長い。代わりに、歌。

 最近の語学の教材にはほとんどCDが付属している。ぼくが学生の頃にそういうのがあったら、と、思う。研修で大学の先生の「授業」を受けると、全部英語。ぼくが学生の頃、そんなことはあり得なかった。論文を書くにも、タイプライターとワープロでは労力が断然違う。羨ましくて仕方ない。で、ぼくは定年カウントダウンになって、英語をいつになく勉強し始めている。

http://ntl.matrix.com.br/pfilho/html/main_index/index.html

 上のサイトで歌詞を手に入れ、その歌をユーチューブで聞く。

 最近、映画『キャバレー』のテーマ曲。「ライフ イズ キャバレー オーシャン」と昔思って、何故海なんだ、と、思っていたことが解決した。ocean ではなく old chum なのだ。こういうささやかな発見を楽しんでいる秋の夜です。ウン。

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朝焼けと夕焼け

 最近、犬と散歩する時考えているのは一つ。朝焼けと夕焼けはどう違うか。

 昔、まだ土曜日が半ドンだった頃、1時に職場を飛び出し、くるまをひたすら走らせ、天草まで夕焼けを見にいってた時期がある。下田の町営温泉に入り、白鶴浜で東シナ海に沈む夕日を見る。どこだろうと、とにかく夕日を見るのが好きで「夕日評論家」を自称していた、

 それが最近は朝焼け。夕焼けはディミヌエンド、朝焼けはクレッシェンド。もしかしたら間違っている音楽用語を使えば、そんな感じか。

 忌野清志郎だったか、目覚めて外を見て朝かと思ったら、実は夕方だったという話がある。活発な脳は貪欲に眠りを求める、みたいなことを考えた。で、全ての問題を解決したとして、ある人が起きた時に朝焼けではなく、夕焼けを見えるように仕掛けた場合、その人は「この朝焼けはおかしい」と気付くだろうか。

 そんなことを考えんがら犬と歩いている。あと1時間、か。

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彼岸の中日の雨

 仏教というより、お寺の金儲け主義に嫌気がさして、坊主憎けりゃ仏教まで、になりつつある。だから、坊主が絡んでくる仏事はしない。今朝、労働日よりは一時間ほど遅い犬の散歩の散歩の折、明らかに墓参りに向かっている年配のご婦人とすれ違った時に、祖母のことを思い、心にさざ波が立った。

 祖母は亡くなって7年目になる。94歳で亡くなったが、体が動いている間は動き回っていた。うちの墓はかなりの傾斜を登った小高い丘の上にあるが、墓の掃除やお参りにもよく行っていた。その祖母が眠る墓に、年に数回いしかいかない、それでいいのか、と、思い悩む。ただ、犬と散歩の折に、意を決して「登り」、ちょっとだけ話しかけたりする。そうでない時は、散歩の途中で墓のある丘が視界に入ると、歩きながら話しかけるのは毎朝のこと。でも、今日は彼岸の中日で、ぼくの考えなんざ置いといて、信心深かった祖母のルールに従うべきではないか、・・・。

 そんなことを考えていたら、雨。けっこう強い。その雨を、遠藤周作の『沈黙』ではないが、祖母の「無理尾してくることはない」というメッセージかもしれないと考えたぼくは、何という祖母不孝者だろうか。

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彼岸花

 突如として現れる感じがする。今、あちこちに咲き乱れている。ただ、死人花tか地獄花とか呼ばれ方があるように、怖い何かがある。

 先日、庭先の赤い花をみながら、娘が「この花の名前何だったけ」と。学校からの帰りにそれをみてからずっと考えているという。実はその日はぼくもずっと「彼岸花」という名前が出てこず、考えていたのだった。だから娘の問いに答えることができなかった。夕食を終えて、二階に上がる第一歩で思い出した。引き返して、それを言うと、「ああ」と娘は笑顔で頷いた。

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夢の中央演劇祭

 すでに上演は始まっていた。ところが、異様なことに、審査員が舞台下手に座り酒を飲んでいる。2合徳利と肴が置かれ、高校生が何か新しい肴と酒を置いている。その審査員、別役実ではないか。「別役先生、お久しぶりです」と挨拶をすると、「ウム」。こりゃあ、ここでは邪魔になると舞台裏に回ると、各校が準備に動き回っている。外に出ると、水路があり、勢いよく流れている。その水量に驚いていると、ある顧問が近づいてきて、「うちの部員に井戸掘り名人がいるんです」、と。「相変わらず、色んな部員がいるんだね」と返した。向こうでは、コップで水をすくって、飲んで、「うまい」と叫ぶ者がいた。別の顧問が「向こうで飲みませんか」と声をかけてきて、一緒にいくと、懐かしい人たちがいるではないか。

 今年の中央演劇祭は11月の7、8日だったか。顧問をやっていた時に体内に組み込まれたものが眠っている時に蠢いたのか。奇妙だけれど、楽しい夢だった。尊敬する別役さんにも「再会」できた。はて、井戸掘り名人がいる演劇部ってすごくいい、と、思う。

 

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くるまで散歩ー木浦篇(2)-

 名水の湯は入浴料420円。檜の湯船は3人でゆったり程度の広さ。火照った体を冷やせるように外に畳一畳よりちょっと広いスペースが拵えてある。川の流れを眺めながら、ってのもいい。しかし、向かいは、学校の体育館。あまりはしたない格好をしていると、向こうで純真な子どもが笑っているかもしれない。そして、これは太字で書きたいけれど、湯が実にやさしい。肌をしっとり撫でてくれるようで気持ちがいい。一度試す価値がある。

 風呂を出ると、おばちゃんが冷たいお茶をサービスしてくれた。そこでちょっとだけ話す。鉱山から掘りだしたものはどうやって運んでいたんですか。するとおばちゃんは一言。「私はここの生まれじゃないんです」。なるほど。本当はそこで何か食べたかったけれど、10時30分。お礼を何回も行って、ペットボトルに名水を一杯にして、後にした。

 山に向かう。まっすぐ行けば宮崎、右に曲がれば西山。西山に向かう。それが、まァ、何というか、「分け入っても分け入っても青い山」。山頭火の世界に触れたような気分になる。孤独なトンボに過剰なくらいに気持ちを寄せてしまったりする。とにかく、ぼくは山の中をウロチョロする訳だ。傾山登山口の標識向かっていたら、舗装が途切れ、石ころだらけの道になった時点で、あきらめた。四苦八苦してUターン。

 結局130キロ走った。ぼくのくるまはリッター10キロだから、1600円。ちょっとした散歩としては、まァ、いいんじゃないか。次は海辺のどこかにしよう。

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くるまで散歩ー木浦篇ー

 土曜日に70周年記念招待試合があり、今日はその振替で休み。朝、犬と歩きながら、木浦が浮かんだ。何故かはわからない。天啓かもしれないので、従うことにした。

 2度ほど通ったkとがある。一度は、県総文の事務局を担当した時、県南地区の生徒会で色々と話しあうんだが、何を話しあうかを話しあうために集まるのも面倒なので、「県南の宝」にして、その上位に入りそうなものをあらかじめ写真に撮っておこうと、宇目町に後援依頼に行った足で木浦をさらに上ったところから写真を撮った。山だらけの写真。上位に「緑」とか「山」が上がるだろうと思ったから(確かトップだったと思う)。二度目は、一度目の時、山を越えなかったので、越えた先を確かめたくて行った。その時「名水の湯」があることを知り、入りたかったが、開くまでには90分。だから、今日は家を8時40分に出た。

 カメラと風呂バックを確かめる。英語の参考書付属のCDを出し、働く女性のyためのクラッシックの火曜日篇を入れる。月曜なのに何故火曜かというと、火曜篇しか持っていないから。フルートのゆっくりしたメロディーが流れ、ステップワゴンが転がる。

 三重町から延岡に抜ける道が通じてから、10号線のくるまの数はかなり減った。紅葉マークの軽トラが前をゆっくり走っていても、気にならない。今日は時間に縛られない。世間の人たちは働いている。子どもたちは授業。極楽とんぼみたいなことをしていることにかすかに罪悪感みたものを感じる。でも、これは散歩。大金を使うわけではなし、時間だけが少々のぜいたくか。

 曲がショパンの「ノクターン」に変わった。この曲を初めて聞いたのは大学時代。ぼくは、学生会館の幾つかの音が出ないピアノで右手で練習を始めたのだった。すぐに挫折。次に陽水の「帰れない二人」に挑戦したが、これも挫折。1年くらい続けろ、と、今ならわかるのだが・・・。

 宇目緑豊中学まで、30キロ、30分。以前は鶴城高校の分校があり、鶴岡で8年をすぎたころだったか、次の勤務先の第一希望をそこに考え、ぼくは距離と時間を確かめたことがあったのだ。あの頃の数字と同じ。

 宇目を抜けて延岡に向かう道に入り、「日の影」を示す標識で右折。右に行けば「ととろのバス停」のところで左に向かう。やがて道が狭くなる。昔は鉱山で栄えたはずだが、こんな狭い道で鉱物を運んでいたのだろうか。

 集落に入ると、すぐに右手に目的地が目についた。しかし、余分なことに触れちょっと長くなったので、後半は、また。

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授業参観の母親たち

 小学校の授業参観と学級懇談会に出た。

 相変わらず、数名の母親がペチャクチャ話していた。そういう母親たちに驚きと怒りを覚えたのは、幼稚園の参観の時だった。怒鳴りつけたい気持ちと闘うことに疲れ果てたものだった。お母さんたちは、家事や子育てでストレスが溜まっていて、それを吐きだし、共有する場所が、授業参観なのだ、だから我慢しろ、と、言い聞かせ続けた。

 ただ、子どもが授業を受けているのだ。廊下で話すのならともかく、授業が行われている教室で、だ。そして、母親の一人が「喉が渇いて死にそう」と言うや、一番後ろの席の自分の子どもの机の上の水筒をとると、ゴクゴクと飲んだのだ。

 目の前の子どもが何をしているのか、それを観ることが肝心だ。その意味と効果をよく考えてほしい。父親も、年に一回はPTAに行った方がいい。

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変わっていく風景の中で

 最近犬と散歩する時、カメラを携行する。朝の光と風が織りなす景色もいいが、ごくごくありふれた景色を撮っておきたい気持ちが強くなりつつある。

 いつもと違うコースを歩くと、田んぼが土砂で埋め尽くされている。いずれ、そこにも家が建つのだろう。小学校の頃よく釣りをした小川は大規模工事で水の流れが大きく変わろうとしている。大学の6年と東京での2年の後佐伯に帰ってきた時、小学校付近の景色大きく変わっていたのに、驚いた。

 そういう変化に驚きながら、それに慣れていき、当たり前となる中で、昔の姿を忘れてしまう。せめて、写真でも残しておきたい。だから何になるわけでもないけれど。

 そして、口から手の生活にほんのちょっとのこだわりを加え、私がここにいるから、ここにいたからこその何かを産むことができれば。生活を見直す必要を痛感する。 

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公園通りを歩く

 子どもが『二〇世紀少年』とかを観るとかで、その8時15分開始に間に合うように出かけた。ぼくはその前の2回を観ていないので、パークプレイスの近くを歩いた。他に時間の潰しようがなかったからだが、いつもは車で素通りの所をちょっとだけよく観たかった。

 閑静で清潔。どの家も我が家より高い。ただ、休日の朝、散歩する人がいない。散歩はもっと早い時間かもしれない。男が一人走ってきた。見かけたのは彼くらい。そう思って振り返ると、彼は歩いていた。ランニングを始めて間もないのかもしれない。

 海面が上昇しても、あそこなら大丈夫かもしれない。ただ、どんな場所のどんな家に住むかより、誰と住むかがはるかに重要なんだ、と、何度か繰り返しながら、パークプレイスの方に引き返した。

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教職員の不祥事

 不祥事ではなく、犯罪という言葉にかえた方がいいかもしれない。

 教育長は事件について「言語道断であり、情けない思い。ほかの学校で起きた事件と思わず、管理職としてコンプライアンス(法令順守)の徹底を教職員に指導してほしい」と訓示。「事件が起きるたびに集まっている。教職員にどのように問題意識を持たせるかが大事だ。各学校で、チェックシートを作ったり、個別面談を行うなど、きめ細かな指導をしてほしい」と話し、服務規律の徹底に関する研修をそれぞれの学校で開くよう求めた。

 今まで、犯罪が起こるたびに「服務規律研修」が行われてきた。ただ、効果的な研修ではなかったように思う。そもそも効果的なものなどないのではないか。それがあれば世界から犯罪は消え去る。何故そうなったのかのところが何もない。

 むしろ、犯罪が起きた時に、現場にあれこれ求めると同時に、今の学校現場にはあれこれのストレスを与えることが多いことを考えるべきだろう。現場は年々余裕がなくなってきている。そしてどこかの誰か一人の犯罪のために、授業の合間を縫っての研修だの、面接だの、だ。

 以前、書いたかどうかわからないが、これを使え、と、パソコンが与えられ、学校の続きと家の続きができなくなった。そして、パソコンの使いすぎは健康に良くないとかで、一日にパソコンを使った時間を申告せよ、と、きた。パソコンを使いすぎて死者が出たとか、それに近いことがあれば「使いすぎに注意しなさい」でいいんじゃないか。

 それぞれの部署のあれこれを統括できていない。健康面を考えながら、研修やら、教員免許更新やら、部活動の指導やら。パソコンの使用時間を申告させる部署が、運動部の顧問の指導の大変さを考えているとは思えない。トータルな視点がない。

 そして、これは、教育現場だけではなく、どこにでもあることなのだ。こういう状況を解決できる手段は結構多いのだが、それがなされたことは一度もない。にんげんだもの、と、でも、うそぶくか?

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秋、か・・・

 日差しは強いけれど、風はさわやかで、秋の気配。

 選挙で苦汁を味わった人には身にしみるかもしれない。ただ、それが普通の人なのだ。初期化して、何がいいのか、どうするのか、是非きちんと考えていただきたい。民主が政権とって、これでよくならなかったら、次は秋の風の洗礼w受けることになる。議員とはそういうものなのだ、と、本来の姿になったのは歓迎する。

 あやのさん、元気でしょうか。インターネットは行動するための道具です。チェックだけして、動かないのはいけない。人間は少しの無理を重ねることで、何か大きなものに出会う。芝居の世界に戻りなさい。どこでもいいから、芝居にこだわり、行動することで、新しい局面が開けるように思います。できれば、うちの舞台を選択肢に。

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田舎のジジイ福岡を歩く(2)

 宿泊したホテルはキャナルシティにあり、広い浴室はシャワーカーテンがないのが良かった。子どもは、浴槽に身を沈めてテレビをみれることにいたくよろこんでいた。そして、チェックアウトが12時。朝食をすまして、10時に開店する店をウロウロして、それからチェックアウトできるのは実にいい。

 キャナルシティの店にぼくは入ることなく、ただただウロウロして、人々を眺めた。田舎の人間の目には、なんじゃこれは、と、思うような女性の姿がやたらと目についた。これでもかとムキになって可能な限り足をむき出しにして、加工された顔はしかし無表情で、ぼくは何度クレイジーという言葉をつぶやいたことか。なかには、とてつもなくヒールの高い靴で短い歩幅でぎこちなく歩く女性には笑った。あんな歩き方は退化していく人間の姿そのもではないか。奇形で滑稽。あわれ、と、言うべきか。

 ショーウインドウの中では、店員の女性がマネキンの衣服をいじって、少しでも良く見せようとしている、というより、暇つぶしのようにしか見えない。そいうところだけを見てのことか、「ショップの店員になりたい」という女子高校生がいる。仕事って、そんなもんじゃない。裏ではきっと、・・・。

 遥か昔、東京で働いていた頃、仕事場が新宿で、ウイークデイの昼間は新宿を見ていた。あふれかえる人。一体、こいつらは何をして生活しているんだ、と、不思議でならなかった。大都市というのは、コップが満杯になり、こぼれる状態かもしれない。こぼれるものを気にしない。そのおこぼれで生きていくことだってできる。大いなる都会は大いなる無駄で成立する。

 福岡は、しかし、清潔な元気がある。クレイジーな姉ちゃん達も、何故か許せる。これをこえてしまうと、マクベスの魔女の「奇麗は穢い、穢いは奇麗」で、街自体がクレイジーになってしまうかも・

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田舎のジジイ福岡を歩く

 子どもに連れられて、福岡に行ってきた。以前は一緒に歩いていたが、最近は待ち合わせの場所と時間を決めて、その間ブラブラする。とりあえず本屋に入って一時間ほどチョロチョロして2冊ほど選んで、煙草を吸いながらビールでも飲むか、と、思ったけれど、煙草を吸える場所がない。食事の次に「居酒屋」と書いてあったので、そこに入った。しかし、3時までは禁煙だという。訳がわからない。仕方ないので、ビールを飲みながら、本を読む。途中、カウンターの二つ隣に妙齢の女性が座り、ビールとサンマの刺身を注文、すぐにビールをおかわりし、それを飲みほすと、白波のストレートを2杯。そして、ごちそうさま、と言うと、サッと帰っていった。

 天神コアに入って、案内図を見て、屋上に行くことにした。なんと、そこは喫煙ができる。カップルが一組とシングルが4人。風が吹いて、暑くはない。煙草を吸うのにこんなに苦労しなければならない都会は大変だナと思いながら、そこの人々を観察。「女の子」と呼ばれなくなって久しい女性が、携帯をいじり、煙草を吸う。弁当みたいなものを食べて、煙草を吸う。何かを飲んで、煙草を吸う。芝生が敷き詰められた屋上は彼女にとってオアシスかもしれない。組んだ足は筋肉質。陸上でもやっていたのだろうか。

 カップルは若い。少年と少女。体育会系ではない黒ぶち眼鏡の細面の色白と図書委員風の穏やかな少女。何かを話している風でもないが、悪い雰囲気ではない。それから、おばちゃんやらデーハーなお姉さんやらが来ては帰って、カップルを見ると、なんと図書副委員長が男の肩に頭を任せているではないか。少年は目をつむっている。手を肩に回すとか、唇を寄せるとかではない、目をつむる。「ここまでしたら、何か具体的なリアクションを!」と求めることを少女もしない。恋愛初期では必須のことかもしれない。幸せに!

 子どもたちがコンサートに行っている間、大学時代の演劇部の後輩に会う。あんなにビールを飲んだのは久しぶりだが、それより会話量が多かった。彼のかつての芝居仲間情報やら今度の選挙やらで、かなりの言葉を費やした。もしかすると、一年間に『ハムレット』について書かれる論文の言葉の総量をこえたかもしれない。とにかく今度の選挙は滅多にない面白いイベントだと意見は一致した。

 コンサートを終えたという電話で、迎えに行って、屋台に行った。それまでのビールがトイレを急がせる。屋台の大将にたずねると、こっちか、あっちかのコンビニを使って下さい、だと。都会は、とにかく、歩かせられる。疲れる。to be continued.

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佐伯の歌

 ケーブルテレビを観ていると、時々、甘ったるい歌が流れる。佐伯の歌? 伊勢正三が作った「美しいもの~佐伯讃歌~」。これを聞くたびに虫唾が走る。何故市民に公募しなかったのか。経費も安く済んだはずなのに。ただ佐伯のあれこれを歌詞に織り込めばいいというもんじゃなかろうと思う。

 伊勢は津久見の出身だ。何故、津久見出身に依頼するのだろうか。わからない。伊勢の才能は認める。「あの頃のぼくは」は今でもいいと思う。それを考えても何故伊勢なんだ、と、思う。彼の「佐伯讃歌」は愚作。恥ずかしい。流さないでほしい。新たに公募したらどうか。誰が依頼して、誰がOKを出したのか。調べてみようと思う。

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地図帳を買う

 盆で他県ナンバーの車が目立つ。帰郷の必要がないのはいい。金と時間と労力をかけての往復は、100キロを超すと、シンドイ思いが先にたつ。

 図書館の文芸作品の棚を離れて、地理関係に移動した。そこで数冊借りたのだが、読み進むにつれ、どうしても地図が欲しくなった。それで本屋に行って選んだ。地図のコーナーと学習コーナーの地理の棚で比べて、学校で使っているのも何か抵抗があり、「グローバル・マップル」にした。地理の棚の「資料 地理の研究」も買った。この2冊でしばらくは遊べそうだ。地理はぼくの一番好きな教科だったのだ。ん。 

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鬼の顔(2)

 すぐに怒る。これはどこから来ているのか。

 もしかするとお笑いのところにないか。

 「やすきよ」の漫才からかどうかはわからないが、「ドツキ」が生まれ、「なんやねん」という形で返すボケとツッコミのパターン。ああいうところで、怒っていい、怒り方の方法を学習しているのいかもしれない。

 笑わせているのか、笑われているのか。その辺を見定めることができない芸人はあぶく玉だろう。

 頑張れ、えとう!

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鬼の顔

 先日スーパーに入ろうとしたら、バックして車があり、中途半端な状態でいたら、後続車のクラクション。ちょっと先に入れて振り返ると、その後続車はほんのちょっとぼくの車を避けながら行ってしまった。その時、助手席のご婦人がこちらを見ながら何か叫んでいる様子。何を叫んでいるのかはわからない。しかし、その形相が手厳しく罵っていることは容易に想像できた。

 ぼくも時々そういう顔をしているのかもしれない、と、思った。こりゃあいかん。これからは、ああいう顔をしてはいけない。ほんの十数秒のことに目くじらを立てることもなかろう。ご婦人が教えてくれた。サンキュー!

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Super Size Me の余波

 食べ物に対してのセンサーができたように思う。何を食べるかというメニューではなく、それがどういう食材を使っているのかというおとに神経を尖らせた方がいいのではないか。後を絶たない食品偽装問題。人間の生活と直結しているだけに、深刻だ。

 ごはんとみそ汁だけ食っても、スーパーサイズ・ミーのようにはならない。

 食い物について、よく考え、不埒な業者は使用しないことだ。

 タバコ、そろそろ、やめなければ・・・。

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津久見高校、敗退

 昨年の覇者日田林工に1-2で惜敗しました。ノーシードでここまでこれたことは素晴らしかったと思います。応援して下さった皆さんに、深く感謝します。

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今、一番の希望

 雨で、準決勝が延期になり、かなりグータラな一日になっている。そういうとき、最近思うことは、村上春樹の『1Q84』のヒロイン青豆のマッサージ。

 本屋にはその作品は山積み状態。その作品をどう読むかという本もその隣に積まれてある。アホな。わからんかったらわからんままでいいやないか。誰かの解釈を読んで、わかったつもりになることは危険じゃないか。ぼくもよくわからないが、わからないことは全く気にしない。わかろうと思えば、再読すればいい。この世と向かいあうのは私だ。私一人で挑む方が面白い。誰かの解釈なんざ、どーでもいい。

 青豆のマッサージは痛そうだ。コリコリに固まった肉体を解きほぐすのだから、そりゃあ痛みは伴うだろう。ただ、青豆のそれは、かなりのもののようだ。薬とか手術とかなら、拒否するけれど、青豆さん(さん、つけちゃったよ)の手によるものなら、どんな痛みでも快感にしてやる!(何のこっちゃ)

 解釈本じゃなく、青豆のマッサージ方法の解説本を出してほしい。あるいは、「青豆マッサージ」を開店してくれないか。

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野球の応援に行く

 2回戦はシード校上野ケ丘。佐伯から遠いナ、暑いだろうナ、もしかするとスタンドで熱中死するかもしれないナ、と、思いながら、7時過ぎに出かけた。

 ところが、あと2台で駐車場は満杯。河川敷にとめて、歩いて移動中、シマッタ、身分証明書、車に、置いたままだ。しかし、引き返す元気はない。学校の応援ならパスできるところを500円払った。

 2-0で勝ちました。ぼくも無事帰りました。また、行かなければいけないけれど、やはり現場だからこその面白さは体験できました。

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終業式

 ぼく自身がどういう気持ちで夏休みを迎えたのか、今となっては思い出せない。高校時代は、前期10日、後期10日の補習があり、暑さと校舎建て替えの工事音と炎熱の中汗だくで働く人の姿程度しかおぼえていない。

 教師になって、「自宅研修」ということで学校に行く必要がない時期があったが、今は夏季休暇5日だけ。土日を挟めば、9日間の休みにすることができる。ただ、生徒がほとんどいない学校に行って、エアコンと電燈の消費だけのような気もする。残業手当もないのだから、こういう時にまとめてその時間分休ませればいいのに、と、思うが。特に部活動の顧問で毎日遅くまで指導している教師にはそれくらいの思いやりがあってもいい。

 いっそのこと、夏休みも、冬休みも撤廃すればいい。高校の場合エアコンが教室に設置されている学校が多い。ならば、夏休みを盆休み、冬休みを年末・年始休みにして、その代わり、金曜日を半ドンにして、放課後の時間を部活動、個人指導に当てれば、と、思う。

 ぼくは盆休み(夏季休暇)以外は毎日、英検と漢検の勉強会をする。希望者だから、授業とは違い充実した時間になる。

 それにしても、暑いですね。とにかくいつも楽しむ方向で取り組み、活力と充実の毎日を送りますように!

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林檎の樹を植える

 あるドラマで「明日世界が滅ぶとも、今日林檎の樹を植える」という台詞があった。

 開高健が好んで色紙に書いた言葉。時々読んでは元気をもらう敬愛する作家。開高が一般化されている、ということか。

 脚本は、土田英生、じゃないか。

 畏るべし。

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可愛い女の子が多いランキング

 インターネットによる功罪はあれこれと際限がない。ただ、外でワイワイが苦手な人に場所を与えていることは、功罪云々は抜きにしてあると思う。

 可愛い女の子が多い都道府県によるランキング。大分は36位。1位は東京だけれど、人間が多い上に、芸能界を目指す人が集まるのだから、当たり前だろうけれど、名前を知ってるかどうかなのではないかと思う。気になる方は下記にアクセスして下さいませませ。

  http://ranking.goo.ne.jp/ranking/999/prefecture_prettygirl/

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大分トリニータの連敗

 負ければ監督を代えるという発想はやめてほしい。昨年、トリニータは記録的な功績を残した。もし、監督を代えるなら、きちんと理由がわかるようにすべきだ。監督を代える発想しかないフロントの体質も問題にした方がいい。

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家電量販店の開店

 木曜日に開店した。その夜の大分のニュースでは、行列ができて、その先頭の人は前の夜の8時から並んでいたらしい。気が遠くなる時間、不自由と不便をイヤというほど味わうのだろうが、そこまでする価値をぼくは見いだせない。だから先頭の彼への敬意もない。

 開店3日目だが、混雑がすごい。開店して初めての休日だから多いのだろうと思いながら、列に入った。佐伯でこんな混雑を見たことはないように思う。小学校の運動会が、あえてあげれば、混雑ぶりは近いかもしれない。開店価格と書いてあるので、どれくらい安いのかはわからないが、ハードディスクを買って、外に出た。それから、ずっと遠い店まで行き、客が少ない売り場で、机で英語を聞く小さいCDプレイヤーを選んだ。「他店対抗」の札があちこちに張られ、どれも1000円以上の割引をしている。他店と対抗できなくてもいい。客をよけながら歩かない方がずっといい。

 佐伯に全国チェーンの店がチラホラ。そういう時代になったんだ。いいこと?

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完熟マンゴ

 完熟マンゴが当たりました。そういう知らせを受けたのは先週だったか。請求書かと思って封を切ったら、そういう短い文言が書かれてあった。どうやら、そういう時期にカードを使ったらしい。

 今年のグリーンジャンボの時、ホークスのトレーナーが届けられた。ある電器量販店で買い物をした時、ポイントカードを使ったのが応募になったようだ。で、GJはかすりもしなかった。

 今日マンゴが届いた。宮崎産の完熟マンゴ。さわやかな甘さ。でも、高いお金払って自分で買おうと思わせるほどではない。思っても買えない、が、正解だけれど。でも、東国原とかの言葉を交えながら家族でつつくのも、これまた面白いマンゴ体験にはなった。ただ、これでまたドリームジャンボもダメだったのだという通知を受け取ったのだと思った。思うようにはならないもんだが、美味しかったのがモウケだな。

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仮クラス担任

 クラス担任がコロンビアの国際大会に行っていて、今週から来週にかけて、クラス担任の仕事をしている。朝と帰りのホームルーム。総合的な学習の時間、ロング・ホーム・ルーム。クラス担任は結構大変だ。

 帰宅した時はクタクタで、昨日は帰るとゴロンで、眠ってしまった。大変で疲れるけれど、クラス担任は教育最前線だからこその楽しさと充実がある。この一週間を振り返り、大きな吐息とともに飲む酒はうまい。これぞ、生活、か。脚本ノートは持ち歩きながらも、脚本に向かう時間と気持ちがほとんどないのが、悔やまれるけれど。

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梅雨入り

 朝から雨で、犬の散歩も、草取りも、洗濯もなし。仕事から帰ってきての水やりをしなくていいのも嬉しい。先月は水道代が通常の1.7倍だったから、労力以外にも節約できるからバカにならない。

 ただ、雨の中自転車通学する娘のことを思うと、申し訳ない気持ちになる。ぼくも往生した。蒸して、暑くてねえ、雨合羽は。最近のは少しは改良されてはいるようだけれど、自転車通学生には面倒が増える分、歓迎するわけがない。徒歩通学の娘は、それほどでもないようだ。傘で遊びながら帰るようで、昨日も母親から注意されていた。

 車で通勤の皆さん、自転車と歩行者に気遣いの運転をお願いします。

 

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一日で変わる景色

 朝、5時前に家を出て、田んぼの中を犬と歩く。今は丁度田植えの季節。草ぼうぼうが耕され、水を張り、緑の苗が整列して、と、変化していくのを毎朝眺める。近くに小川があるわけでもないのに、どうやってあれだけ多くの水を引くのか、不思議と驚きで、朝から頭は疲れてしまう。

 若いころは、ここではないどこかに行きたい気持ちだけだった。しかし、今はここ以外の場所は考えられなくなっている。なんでか、ナ。これまた不思議だ。

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おかえり!

 さっきから、窓の向こうの電線(電話か、ケーブルテレビか区別がつかない)にツバメがとまっている。彼(たぶん)はあたりを睥睨するように見まわしており、その周囲をほかのツバメが自在に飛んでいる。今日気がついた。帰ってきたんだ、たぶん、今日。

 うちの北側の軒先にツバメの巣があることに気がついたのは10年ほど前。毎年帰ってくる。窓を開けると、別の電線には9羽。ほかにも飛んでいるのがいるので、この辺に所帯を持つツバメ達なのか、それとも家族か。いいなあ。軒先、全部使っていいからな。帰ってくれてありがとう。

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山頭火風に

 最近は詩に関する文献を読んでいる。小説よりは詩の方が、演劇に近いと考えながら、最近は詩を読んでいない。それで、日本の現代詩に焦点を当てて、読んでいる。そのせいか、今朝、できた句;

 娘の 温かさに立ち 歯を磨く

 4月に山頭火の句を読み、感心したものだが、一番好きな「後ろ姿のしぐれてゆくか」は7・7の音。和歌が進化して俳句が生まれたようだけれど、その俳句も進化して、山頭火のような作品が生まれてくる。字余り、字足らず、季語のあるなしは関係ないのだ。ふと生まれたものをメモするのは、次につながる。感覚でとらえたものを言語で表現するのは難しい。ただ、言葉の組み合わせで、世界が広がっていく。詩はわからないことが多いけれど、気にせず、もうしばらく読み続けてみようと思う。

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本日の打ち止めは、鹿

 夢で2時に目が覚め、起きた。もしかしたら何らかの作品になるかもしれないという予感。ノートに書く。4時半に犬と散歩。いつもの倍の距離。途中、ポツリ。そのポツリの間隔と粒が次第に増えていった。

 職場の休憩室で仮眠をとる。

 帰って、食事の後、娘を塾に送る。家を出る間際、明日プール掃除で水着がいる、と。去年までのは小さい、と。そうだろう、ナ。塾の間にスポーツ店で買おうとするが、サイズもタイプも判断ができないので、閉店後、子どもを連れてくるので店を開けてくれるよう頼み込んで、どうにか手に入れることができた。娘を連れて帰ると、家の前の百坪程度の梅林に動くものが。鹿が入らないように囲ってあるビニールの網に角がひっかかっているようだ。暴れている。はてどうしたものか。

 警察に電話した。どうしたらいいでしょうか。ちょっと相談してみます。受話器の向こうで笑い声が聞こえる。そして、その土地の持ち主に連絡しようと思うが、名前がわからないので、直接家に行く。彼は、またか、みたいな表情で見に来た。イノシシやシカを撃つんやけど、今は猟期ではないから、と、彼はつぶやき、明日まで待ちましょう。もしかすると外れて逃げるかもしれないし、と。その結果を警察に電話すると、パトカーで警官と市役所、猟友会を差し向けようとしていたらしいが、猟師である持ち主の意見だから、じゃあ、また何かあれば連絡下さいで終わり。どうせだから写真を撮っておこうと恐る恐る近づく。柿の葉が邪魔して撮れない。すると、今度は猟友会の方から電話。持ち主の名前を出すと、ああ、と。

 今日はまだ終わっていない。まだ、何かあるのだろうか。

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最後の小学校の運動会

 これで、小学校の運動会も最後かと思うと込み上げるものがあった。家と授業参観での教室ではわからなかったが、一年生から6年生までの中に入ると、大きくなったと驚いた。

 先週の中学校の運動会も面白かったが、小学校の方が年齢に幅がある分、多様で面白い。そして何より、運営がうまい。淀みなくスムーズに進行する裏の大変さはわかるが、それでもやはりうまい。高校が一番下手だな。

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シジミ掘りの場所

 お答えします。長瀬橋と稲垣橋の上流半分の部分でみんな掘っています。多い時は20名近く掘っています。ぼくはちょっと腰が悪化したため、しばらくは掘ることができません。帰郷の際は是非掘ってみて下さい。番匠川と対話しながら掘るってのも、結構いいものです。思い出を手繰り寄せながら掘れば、収穫が少なくても、充実感があるのではないでしょうか。

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プリンターのインク

 先日プリンターのインクが切れたために印刷できなくなり、往生した。

 その時不思議に思ったことがある。電気店には、正式名称は忘れたがリサイクルのインクみたいなものを売っていた。ぼくのプリンターはインクを8本使う。その8本で2000円台。これは安いなと思っていると、店員が来て、「それは故障の原因になることもあります」と言った。それで純正の6000円台のものを買った。

 疑問は、「故障の原因」になるものを置くなということ。故障するということがわかっているのに売るのは問題じゃないか。販売店はそこまで責任があるんじゃないか。でも作る側は、故障の原因になるものを作るのか。そうではないような気がする。ただプリンターは比較的安い。買わせるんだな。でも、その後の使用に関してはえらく金がかかる。パソコンにプリンターとデジカメセットで安く売る裏には、たぶんインク代、紙代とかで取り返そうとする魂胆があるのではないか。気をつけないと。

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中学の運動会に行く

 昨年に比べて今年の運動会は断然面白かった。たとえば、100メートル走で選手の紹介をアナウンスすると、生徒が声援を送る。これだけでも観客は引き込まれてしまう。そして、騎馬戦ではハチマキ取りではなく、どちらかが倒れるまでの取っ組み合いをする。闘うということはこういうことなのだ。ともかく、全ての競技に懸命に取り組む姿があった。それが面白くした。

 何事にも、取り組む時は懸命になることなのだ。一日の終わりは、エネルギーを使い果たした時。若い時はそういう毎日だった(こともある)。ところが、最近はどうだ。あの頃のぼくからNOを突きつけられないか。明日からの生き方にいい刺激をもらった。

 

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次回の芝居については、多くを語るのは

以下のHPの掲示板ですので、よろしくお願いします。

http://www.saiki.tv/~thetruth/index.html

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プリンター問題解決

 8種類のインクの一つが切れていたのだった。それは赤いランプが点滅しているのでわかる、だから、黒だけの印刷に指定してもダメだった。インクが一つ切れてもダメなのね。

 昨夜の右往左往は何だったのか。脚本の印刷には黒のインクだけでいいのだ。何故青が邪魔する。わかってしまえば、呆気ない。あまりに呆気ない。でも、人生の様々な局面というのはこういうものなのだ。

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弱り目に祟り目

 5時前に犬と散歩に出ると、時折頬に水滴が落ちた。予報では午後から雨ということだが、早いのかもしれない。雨が降ると娘たちの母親が植えた草花に水をやる仕事が減る。しかし同時に雑草が一気に伸びるかもしれないと思うと、まだ水やりの仕事の方がいいか、とも、思う。

 昨日から学校は中間考査。昼間、街中で制服を10人以上みかけたらまず試験中だと考えていい。5人では、ただ単に集団サボリかもしれない。試験監督中に、幕開きのシーンの解決策を見出し、走り書きして、一段落したところで早退。帰って書き直した。ぼくとしてはこちらの方が正解だと思う。いざ印刷。ところがプリンターが動かない。悪戦苦闘の汗まみれ、埃まみれになっても、解決しない。プリンターを買うのも、・・・。まッ、雨の降る日は天気が悪いということだ。

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佐伯の見所

 今日は振替休暇。

 小学生の娘を送った後、メダカに水を汲みに弥生の道の駅に行き、メダカの水をかえた後、はてどこに行こうかと迷い、今日は海にしようと、空の公園に。絶景。水平線がかすむ彼方をボーと眺めた。その後弥生の道の駅のサウナで汗を流した。

 午後はウッドデッキでビールと読書。

 のんびりとグータラの一日。こんな一日があってもいい。

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シジミ貝とシミジ貝掘り、どちらが体にいいか

 若いから仕方ないが、昨日のシジミ貝掘りの後遺症が腰の付近にある。今日の朝食と夕食にシジミ貝のみそ汁を味わえたので、後遺症のその部分をもっと酷使してやろうかと思う。

 体重が60キロを割った。満腹にしない、油を使ったものを控える、それを心がけた。チョコマカ動くことも心がけた。ことさらのことはしなくてもいいんじゃないか。体を少しだけ動かし、食い物に少しの注意と我慢をすればいい。それでダメだったら、それ以上のことをしてはいけないように思う。

 テレビ番組で、過酷なことをする企画があるけれど、アホだ。ぼくの体重が減ったのは、きちんと食べながら、油を使ったものと肉を避け、満腹まで食べなかっただけ。時に、スーパーでアジフライを買ったりしたものの、あくまで心がけであり、例外を少しだけ許す。

 『リア王』を喜劇に書き直して、演じたいという思いがある。メタボのリアでもいい。ぼくは痩せたリアでシェイクスピアの部分を残したい。

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白い一日

 昨夜恒例の子どもたちの友達が集まってのキャンプファイアー。昼過ぎに集まって、遊んで、夕食のカレーを作り、山で枯れ木を集めて、燃やして、花火をして、肝試しに近くの神社まで二人組でいって、解散というもの。子どもの成長につれて内容が変わり、オトナの出る幕は少なくなってくる。炎の大きさに「85メラメラ」とか名づけるのは今年初めて。

 昨夜の疲れで、今日は何もしなかった。本も読まず、映画も観らず、歌わず、書かず。子どもが大分に行くというので、行ってもいいかと思いながら、どうもお呼びじゃなかったようで、母親と出ていった後、風呂に行く。弥生の道の駅は満杯なので、本匠の「牧山の湯」に行く。ここは少ない。その理由は、ロッカーのキーのゴムが伸びきっているのにかえていない。サウナの砂時計が一つ壊れているのにかえていない。石鹸がすべての洗い場に置かれていない。細やかな配慮に欠けている。風呂を上がり、毎度のことだが、肉うどんを食べる。七味唐辛子をズバズバとかけると、甘くなる。

 風呂の帰りに電気店によって、一眼レフフカメラをみる。コンパクトカメラでは、運動会とかで思ったように撮れないので、ずっと考えている。今朝は夢の中で手にしていた。品ぞろえが乏しいので、買うことはなかった。そう、我慢。我慢だと言い聞かせながら、大分に買いにいくとことを考えている。やはり、買うのか。

 そういう煩悩からとき放れたい。向田邦子がアフリカでお気に入りの写真を撮れたから、と、なんでオレが一眼レフだ。脳に記憶させればいい。記憶媒体に頼む限り、脳は記憶しない。重たいし、厄介だし、やめろ、やめろ。これが逆効果なんだ。

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山頭火という人

 金子兜太の『放浪行乞』の中で紹介されている山頭火の句のなかで一番好きなのは「後ろ姿のしぐれてゆくか」。引き締まっている中に、山頭火の覚悟と寂しさみたなものを感じる。金子はいい句は褒め、ちょっと甘かったりしたら遠慮なく指摘する。そこが面白かった。

 山頭火は各地を放浪した。一所に定住できなかった。金子の文章で放浪した地域をざっと知ることはできる。熊本を出て、鹿児島、宮崎、さて、もしかして佐伯が出るか、と、期待していると、竹田になっていて、ガッカリ。

 山頭火は酒が好きだった。造り酒屋の息子だったからか。彼が後を継ぐものの、結局はつぶれてしまう。熊本で店を持つが、あまり商売熱心だったようではなく、俳句と酒の日々。酒での失敗談は多い。どうしようもない人間だった。ただ、そのどうしようもない部分がうまく機能すると、句に出る。離婚して、彼は旅に出る。旅でつくった句の方が家でつくった句より、はるかにいいように思う。ぼくは秋口になると、教室から青空を眺めては芭蕉のいう「漂泊の思い」に駆られるけれど、山頭火の放浪を知ると、その困難、労苦、貧しさ、切なさ、寂しさに自分の甘さを痛感する。疲れ果てて定住しようとするが、また放浪する山頭火。どうしようもない人間の覚悟には並々ならぬものを感じる。ぼくにはその覚悟がない。なかった、と、過去形にしなければ。

 

 

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歩く

 遠足で歩いた。生徒は歩くのが遅い。ぼくは嫌われるくらい速く歩くけれど、我慢して合わせて歩いたけれど、我慢が難しかった。サンダルで行けばよかった。

 歩くということをもう少し考えた方がいい。どうせ歩くのだから、健やかな歩き方、カッコいい歩き方でもいいが、歩くのは運動なんだから、どういう歩き方が運動として一番いいのかを考えればいい。人生に無駄は必要だが、運動は効果を考えないといけない。歩くという単純な行為に、自分なりの科学をしたい。誰かの、大学教授のナントカではなく、自分で考えることが必要なのだ。自分で考えない人が増えてる、と、思う。

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市長・市議選

 市長候補は4人、市議候補は、・・・忘れた・・・、とにかく多い。誰かを選ぶにも判断材料がない。何人かのリーフレットは郵便受けに入っていたけれど、全員のものがなければなければ、意味がない。

 選挙カーが近づいてくる、うちまでくれば何か一言かけて、その反応が確かめられる。心待ちにするけれど、向こうの通りまでいくけれど、ここまでは来ない。わずか4軒しかないから、か。こうなってくると、ここまで来た選挙カーに投票してやろうと思うけれど、近づいては遠ざかるだけ。

 仕方ないので掲示板を観察した。顔だけで投票してやろう。ところが投票したくなる顔がない。人間は顔ではない、と、いわれる。ぼくはそうは思わない。キムタクのようなイケメンである必要はないが、その人の生き方、生き方から培われた誠実性や優しさは顔に出る。ましてや選挙に出る方はどなたも艱難辛苦を経ていらっしゃるから、顔で判断していい。顔もダメなので、文字を読む。初めて知ったけれど、ポスターには印刷会社とそこの社長の名前が記載されているんだね。市長候補と市議候補にそれぞれ一人、大分市の印刷会社があった。佐伯市の選挙なのに、と、首をかしげた。まあ、色々事情があるのかもしれない。

 明日は投票日。明日までに決めることができるのだろうか。朝、犬の散歩の時、もう一度顔を見てみよう。

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口ずさめる歌

 いつ頃からか、カラオケで美空ひばりを歌うようになった。もちろん、いつもではない。ぼくが歌うのは「港町13番地」。もしかしたら、ひばりは「柔」で人生の応援歌を歌ってからダメになったという、小沢昭一的ココロを聴いたからかナと思うこともある。ただ、歳とるごとに好きになるのは何故だろう。春日八郎の「山の吊橋」も好きだ。一人で生きている姿が目に浮かぶ。

 風呂では何故か「路地裏の少年」をいつも歌う。かぐや姫の「おはようおやすみ日曜日」も増えた。土曜日10時の山田パンダのラジオを聴き始めてからだ。

 志のある生徒と朝勉強をしているが、その教室に向かう時は「始めるぞー」をチャイム代わりにサザンの歌を歌いながら廊下を歩く。主に「いなせなロコモーション」。

 最近電子辞書が普及している。ぼくは業者に、それに入れる辞書をさせてくれればいいのに、と、いつもいう。難しいみたいだけれど、いずれ解決されるんではないかと思うけれど、はて。

 日常がどんどんデジタル化されているけれど、人間はアナログだ。これは死ぬまで変わらない。ところが、デジタル人間がアナログ人間の優位にあるように感じている人間がいる。

 私は私。下手なことを考えるより、好きな歌を唇にのせるほうがいい。断然、そう思う。

  

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ヒゲを剃る

 12月のはじめ床屋に行き、それからヒゲを剃らずにいた。時々手入れみたいなものはしたけれど、『レッドオクトバーを追え』のショーン・コネリーみたいになればと思いながら、どうせモミアゲから顎にいたる部分は砂漠気候というかツンドラ地帯というか、毛がはえない。それでも不思議に家族からはNOがなく、加えて「いい」というある生徒の評価を顧問伝いできくと、イヤ、コリャ、マイッタナとかで、何故ヒゲを伸ばした(剃らなかった)のかがわからなくなった。

 昨日、12月以来床屋に行き、坊主に毛がはえた状態まで刈り込んだ。ヒゲはどうしましょう、に、刈り揃えて下さい、と、庭木の剪定みたいな感覚で答えた。本当は剃り落としたかったけれど、マドンナが「いい」といったらしいから。

 で、結局、さっき洗面所で剃り落とした。どっちでも目くそ鼻くそだけれど、ならば、いつでも剃れるんだから、剃らずおいた方がいいかなと思った。後悔後に立つ。

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素晴らしき挑戦者

 津久見高校フェンシング部顧問が今朝学校を退職しました。彼はフェンシングの名伯楽で、21年間で11回日本制覇しています。大分では豊府高校がフェンシングではトップですが、ジュニア経験者が多い。津久見高校では、高校から始めた生徒ばかりですが、そういう生徒を上手に育てる。ただ、どうも大分のフェンシング界とは折り合いがうまくなかった部分があるようです。

 2年前ぼくが学年主任で送り出した生徒の中にフェンシングの生徒がいました。その生徒はどうですか、と、一度訊いたことがあります。2年生の頃です。ダメです。ただ、こうすれば勝てるという方法があるので、それで訓練します。結局、3年の時にインターハイで優勝し、フランスだったか、国際大会までいきました。

 彼は東京でフェンシングクラブを立ち上げる会社にコーチとして就任します。北京オリンピック選手3人がそこのクラブに入るそうで、目標はロンドン。21年の教職を捨てての決断。大分は捨てられたんだと思います。彼のような有能な人材にふさわしい場所を与えることがなかったのだから当然でしょう。でも、勇気ある決断。

 これから、フェンシングに注目して下さい。彼の名前は敷根裕一。

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倉本聰の面白さ(2)

 「男の頭がラジオの配線なら、女の頭はテレビの配線よ」

 『前略おふくろ様PARTⅡ』の2巻目に出てくる台詞。巻末のキャスト表によれば、小松政夫が演じている政吉の台詞。開高健は好んで「本質は末端に現れる」ということを書いている。この政吉の台詞もまさに倉本聡の鋭さと深さを現わしているように思う。

 倉本聰の台詞はクドクない。切れ味のいい包丁でスパッと切る爽快感がある。クドイ台詞なら誰でも書ける。それを的確な短い言葉で描く、それが職人、プロだろう。

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み~けさん

 『うちのホンカン』は23巻目です。現在読んでいるのが、『前略おふくろ様PARTⅡ』のい2巻目ですから、3月中にたどりつけたらラッキーというところです。

 津久見高校図書館に倉本聡の全集が何故、と、不思議な思いがしてましたが、内表紙にある人の名前があり、寄贈本なんです。女性です。

 開高健は、国語辞典しかおいていない井伏鱒二の書斎を理想としていました。ぼくは真似るつもりは毛頭ないけれど、ぼくの本をうちの娘たちが読むとも思えないので、処分するより、学校に引き取ってもらえないだろうかと考えることがあります。でも、芝居中心に、高校生が読むような小説もなく、読まれることなく処分されるのも・・・。2年前、電算化に伴い、すべての学校で図書が整理され、津久見高校でも読まれない古い本がかなりの数廃棄処分されました。処分するのだから、その後のことまで考える必要はないのだろうけれど、考えてしまいます。

 でもでも、ともかく、倉本聡は面白い。こんなに夢中になって読む作家は久しぶりです。生きててよかった、とさえ思います。いつか『うちのホンカン』について感想を交わしましょう。んじゃ!

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『水戸黄門』に学ぶ

 今週の『水戸黄門』も面白かった。いつでもほぼストーリーは同じで、場所と顔が違うくらい。でも、偉大なるマンネリだと思う。

 人殺しも平気な悪党が、印篭を見せられ「恐れ多くも先の副将軍・・・」の言葉で平服するのもオイオイだけれど、それでいい。勧善懲悪は、現代にこそ欲しい。麻生内閣にそれがあれば、と、思うけれど、望むだけ空しい。だからこそ、『水戸黄門』なのだ。

 番組の後のニュースで、クリントン「大臣」が来日したニュース。中川「大臣」の醜態が報じられた後だけに、キレの良さを感じた。日本の政治家って、ホント、何もかも貧しく思える。今の政治家の発言は与党と野党のやりとりで、それを聞いている国民なんて眼中にないもんな。『水戸黄門』には、庶民の声がきちんと反映されてるだろ?

 つかこうへいは、芝居より現実の方がススンでいると言った。確かに、あれや、これやはフィクションを超えている。しかし、政治だけは遅れている。どうしようもないほど遅れている。

 『水戸黄門』のバックに江戸幕府は薄い。悪いものは悪い。悪いものは罰せられる。それが印籠の力なのだ。

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自分を直視する

 鶴岡高校に勤務していた時、強歩大会に出場したことがあります。24キロ。ほぼドライブイン宇目の距離です。日頃、犬とのチンタラ散歩くらいしか運動していないので、かなりこたえました。きつくて歩くけれど、歩く方がきつく思えて走り出せば、これまたきつい。ゴールさせてくれたのは、チンタラ歩いている連中で、こいつらには負けられないという思い。

 今日はポカポカで、散歩には最適。その天候での強歩大会。3割はチンタラの散歩モード。こういうのが年々増えているような気がする。走ればきつい。苦しい。それに向かわないでどうするんだ。一事が万事ではないか。

 昨日NHK教育テレビで「教育テレビの逆襲」とかいうタイトルで素晴らしい映像の連続を観た。開高健の若かりし頃の映像。彼は言った「外部からの危機は問題は大きくないが、自分内部の危機には対応できない」。そうなんだよな。

 生きていくことは自分を知る作業。自分を知るためには、知らない場所に行き、困難から逃げないことだ。来るもの拒まず。若い時はそうでなくっちゃァ。全ては必要なことなんだ。それをパスした人生に恵みはあるのか。

 NHK教育で世界のヤザワが言ったことが記憶に残る。「成人式の日に、タクシーに乗っていたら、成人式会場の前を通って、晴れ着の成人がたくさんいて、運転手さんに、この中で何人が幸せになるんでしょうかって、訊いた」。ほぼそんな内容だった。

 さて、我が身を考えれば、強制されて芝居をかじっている訳ではない。自分でやりたいからやっているのに、時に怠けたくなる。「強制して演劇部に入ったのか? 演劇をしたいから入部したら、今日は部活は中止によろこぶな。怒れ!」と言ったことを思い出し、背筋を伸ばす。

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バレンタイン狂騒曲

 今日は娘たちの買い物に付き合った。バレンタインの手作りチョコをつくるのに材料やら、作品を入れるものやらをあちこちで買うのだ。帰ってきてからも、あれを忘れた、これがなくなったで車を走らせた。彼女達の熱心さは日頃は見られないもので、その熱心さで、誰にあげるん?の質問とかに言葉も滑らかに答えてくれる。やがて母親のエプロンをつけた。気合がトップに入ったのか。

 娘たちがつくっているのは「友チョコ」というものらしく、下の娘があげるのは全部女の子。これがいつか本命が現れるのだろうナ、と、父は歴史の教科書の目次を眺めるような気持ちで思う。母親が、先生には?と訊くと、「我が家以外の男にはあげない」とキッパリ。ただ、あげる人リストの中にぼくは入っていなかった。

 行く先々の店では、バレンタイン関連グッズが盛り沢山。考えた商売人はしてやったりだろう。「チョコをあげないといけない」、この熱は衰えないな。

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甘酒の誘惑

 甘酒という文字や音に接すると、何故か自分のないぶでフワーッと広がるものを感じる。その理由が最近確信できた。

 ぼくの住んでいるところは大内(おおち)。昔は梅林があった。梅林といってもテニスコート2面あるかないかの広さで、今はもうない。ただ、近くに住んでいるぼくは、見知らぬ人に「この辺に梅林があったんじゃないですか」とたずねられることがよくあったが、それも最近はほとんどない。

 犬と散歩していると、家々の庭や空地のあちこちに梅の木が多いことに気づく。その梅が盛りを迎えようとしている。梅の花が盛りの頃、大内の婦人会が梅林に店を出した。学校から帰るとそこに走ったものだった。オフクロも近くのおばさんも、いつもより小奇麗にしていて、花よりもそれがその場を明るくしていたように思う。その店に何を出していたかはおぼえていない。ただ、甘酒だけは覚えている。おそらく、甘酒という言葉には、あの時の空間と匂いと笑い声が混ざり合ったガヤガヤが詰まっているのではないかと思う。

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恐るべしヒートテック

 今年の冬はユニクロのヒートテックで上下を包んだ。今朝は寒いナと思っても、寒さに震えることがなかった。地球温暖化のせいだけではないと思うのだが・・・とにかく、もう手放せない。来年の冬は更に強化せねば。

 靴下もヒートテック。もう他の靴下ははけないのだが、どれくらいすごいかって、左足の人差し指(足で指さすって失礼だな)と薬指の間の水虫が、買ってしばらくしたら騒ぎだしたのだった。地球温暖化のせいではないと思う。そして、その騒ぎ様がちょっと度を過ぎてきたので、薬局に走った。来年に備えて、完治しとかないと。

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たかお、ありがとう

 紹介されたところにいき、読みました。松下竜一の魅力が伝わるいい文章ですね。特に緒方拳の部分がいい。

 2月になりました。以前ある劇団の人が我が家に泊まった朝、ちょうどもらっていた豊後梅の苗を記念植樹してもらいましたが、その豊後梅が咲き始めました。今日から3年は卒業考査。来週から仮卒。ぼくは週7時間、授業がなくなります。本に触れる時間が増えます。ささやかな幸福です。

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相撲界は異常だ

 もう引退だといわれた朝青龍が優勝して、視聴率も上がり、ウハウハだったのが、朝青龍のガッツポーズで問題になっている。アホみたい。優勝したんだ、それくらいやらせてやれよ。

 異常だな。相撲界は。誰のための相撲なんだ。協会やら審議会やら、アホの最先端。ともかく、ガッツポーズくらい、やらせてやれよ。

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明けて久しい寒さかな

 書きたいことが書けないつらさをほんの少し。

 んじゃ。

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M1を観る

 この夏、ぼくは無謀にも芝居仲間の一人とM1に挑戦しようと話したことがある。親子のような年齢差のコンビは少ないだろうし、学校には笑いの種がつきないし、と、考えていた。ただ、技術が何もないから、今年は無理だろう。その頃、キングコングが「今年優勝できなかったら離婚する」とかアホみたいな決意表明がテレビで流れたので、よし今年は不幸な家庭を一つ減らすために、と、いい口実ができたのだった。

 今日決勝戦を観て、やれるかもしれないと思っている。NONSTYLEには笑った。これは面白い。堅固なスタイルが出来上がっているじゃないか。敗者復活戦で勝ち上がったオードリーを観た時、これは通常のボケとツッコミのスタイルとは違うと思ったが、これはスタイルで流れてしまう恐れがある。ナイツは従来のパターンだ。ああいうボケは観るにはいいが、やるには抵抗がある。結局NONSTYLEが優勝したが、妥当だと思う。

 先日昨年のM1の放送を観て、そして今回もまた不思議に思ったのだが、あれだけのギラギラの電飾のステージに立って、すぐにネタに入る。時間が4分という制限があるらしくて、だからわかるのだが、会場を枕にしないことが不思議でならない。あの会場で消費される電力量から入ってもいいのになァ。

 さて、今日観て、やはりやってみたいという思いが強くなった。鬼瓦のような顔に加えて、いつも難しい顔をしている人間に何ができるものか、と思うムキは多いだろう。わかる。そうだよな。でも、やるだけやってもいいんじゃないか。漫才型の二人芝居として。

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iPOD-nanoに振り回される

 先月、娘二人の誕生日プレゼントにiPОDナノを買った。誕生日は年末と年始付近なのだけれど、たまたま何がいいか訊いたら、それがいいというので、早いけれど、欲しい時の方がいいかと思い、ええいッと電気店に飛び降りた。

 買ったその日に、右往左往してどうにかできた。そして、今日、CDを持ってきて、入れてくれというので、できるつもりが、できなくて、右往左往、左往右往して、立ち尽くした。できない! しかし、最近、老いてきた脳に冷水を浴びせ、マニュアルも一枚の紙の裏表、これはオレが難しくしているに違いない、簡単だからこそ人気があるはずだ、と、考えた。

 で、できた。そう、物事を難しくしているのは人間なのだ。

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襤褸は着てても

 襤褸は「ぼろ」と読みます。読めるけれど、書けない。伊集院静かが、夏目雅子と飲んでいる時、「バラという漢字、書ける?」とか言って、指を濡らして、カウンターに薔薇と書いて、夏目雅子が感心、結婚したとかいうウソかホントかわからない話を読んだことがある。以来、漢字検定一級を目指している。目指しているが勉強をしていないから、まだ受検していない。まッ、退職したら3年以内には取ってやる!

 さて、現在宮本輝の全集に挑戦しているところだが、東野圭吾を読んだ後だと、書き手としては宮本の方がうまいと思う。比べること自体どーかと思うけれど、人間に対しての眼差しが強いと思う。東野はトリックの方に目が向いているだろうから、これもどーかと思うけれど。

 芝居をしているから、芝居の本を読むのは当たり前だ。ただ、小説は読んだ方がいいように思う。宮本の小説を読みながら、ぼくは映像がかなり明確に浮かぶ。行ったことのないドナウ川の風景やサラブレッドが走る姿、川に浮かぶ船の家の色合い、蛍の乱舞を見る少女の顔。新聞を読むのと、小説を読むのとでは、頭の働きが違う。新聞は情報だもんね。

 金がないから、最近はあまり本を買わない。学校の図書館を利用する。買った本でも、借りた本でも、読めば同じだ。ほぼ。「ほぼ」というのは、自分で金を払ったのとタダで読むのとは心の状態がちょっと違うと思うから。ともかく、金がないから、図書館を利用すればいいのだ。そして、できるだけ、360度開かれた読書をしながら、上質なものを必ず取り入れる。いつもカップ麺だけでは、精神は栄養失調になってしまう。「襤褸は着てても、心は錦」という歌が昔あった。錦を着てても、心は襤褸ではいかんのではないか。

 宮本輝を読めと言ってるのではない。上質への入口としてはいいのではないかというだけのこと。

 精神の充実を!

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生きるということ

 学生時代だったろう。珍しく親父に客が来て、酒を飲み、そこに座った。酒を注ぎ合う手をみて、親父の手が老いているなァと思った。

 その頃の親父の年齢を過ぎている今のぼくの手をみて、あの時の親父の手ほどくたびれていない、と、思う。

 生きるということは様々なことがあるということだ。ぼくはある時から、メンドーな仕事を押しつけられた時、OKした。それがぼくの流れだと思った。流れがある限り、人間は腐らない。NOの時点で流れは止まり、止まって腐っていく。「ああ、そうなのか」

 受け容れることが生きるということではないかと思う。この辺はもっと説明が要るかもしれないが、オトナなら、わかる。

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芳行和子、引退

 次の舞台を最後に引退するそうです。自分のスタンスで丁寧に演技をつくってきた、まさに女優。

 ぼくは一時期吉行淳之介に傾倒していた。彼は黒のスーツを好んだというので、真似をして、以来黒のスーツばかり買っている。しかし、整理をきちんとしていなかったり、朝のバタバタで、上下を間違い、たとえば卒業式の会場で微妙に違う模様に赤面したこともしばしば。

 「自分で幕を引く」という姿勢も、また、生き方としてはいいと思う。最後の舞台の成功とその後の充実を祈りたい。

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腰と会話する生活

 昔、開高健は「バックペイン」のために水泳をした。吉永小百合はバックペインがないのに、毎日1キロを泳ぐとか。ああ、プールに行けばいいかもとは思うものの、行動を小さくしてしまうのが現実。

 今日、稽古場で様々なアドバイスを受けた。

 目覚めてからずっと腰を意識しながら動いている。動かず、専念せよということなのか。そう考えると、まァこういうこといいか。だから治さないのかも。

 どうしようもなくなったら医者に行くけれど、自分でどうにかしようという姿勢は死んでも堅持したい。

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派遣を打ち切られる教え子

 派遣を打ち切られる、と、先日学校に来た卒業生が言った。どうするのか、と、聞いたら、ある離れた場所はどうかといわれたけれど、遠いし、寮があるけれど、汚いから断った、と。

 独身だから、仕事がある限りつづけて「使える私」を印象付けた方がいいのではないか。これから先もっと厳しくなるぞ、と、話した。

 そして、今報道されるむごい状況。これから、日本社会がどうなるか、全く予測できない。とりあえず、最悪の状況を想定して考えるしかない。

 美容関係は人気だけれど、不況になれば、節約するのはそういうところではないか。もっと心配なのがペットのあれこれの仕事。もともと、ウチではそういうところとは無縁だけれど、ペットのあれこれに余裕はなくなるのではないか。

 今までぼくは「実業」「虚業」ということで考えていたけれど、「実業」さえ今は危うくなっている。仮に景気が良くなっても、今度のことで「痛い目」に会った企業が今まで通りの人員を求めるとは思えない。むしろ、今までがおかしかったのだ、そういうかもしれない。

 何をしたいか。同時に何ができるかが肝心なのだろう。ぼくは退職したら、農業の真似事をしたいと考えている。今は休耕地が多い。加えて、日本は農産物の自給率が低い。一人に1万2千円ばらまいて、食事をして消えるくらいなら、何か作りなさい、援助します、とう方が長期的にみてはるかにいいのではないか。

 今の日本に政治はない。無能な議員が自己保身のためだけに動いている。醜い。それを感じ取ることができない人間い政治はできないし、そんな奴に政治を任せられるものか。とっとと辞職しなさい。どうせ、次の選挙で去ることになるのだ。政治家諸君、感受性だよ。首相には皆無。本当に悲しいけれど、悲しいけれど本当。

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寒いゾ!

 土曜日は、佐伯で雪が舞った。朝、いつもは6時に居間のストーブをつけるがここ数日は5時45分につける。点火したとき、部屋の温度が表示されるが、8度から9度。我が家の皆さんが少しでも暖かい朝の食卓でありますように、と、願ってやっておるんだが、暖まらない。ストーブが小さいのか、ナ?

 最近、そろそろガソリンを入れる頃かという時、灯油容器を車にのせて、ガソリンお入れる時に灯油も入れてもらう。今までは配達してもらっていたが、それよりは少しは安いだろうと。昨日のTBSの『ガッチリマンデー』(?)で「イーモバイル」の会長が社員にまで徹底していた「一円の節約は1円の利益」(だったか?)は、確かにそうなのだ。イケイケドンドンの時代は終わっているが、どんな時でも、自分の生活の足元をきちんとみないといけないと思う。

 もちろん、この発想は酒とタバコにはつながらない。遠くないいつか、その二つとも、かなり控えることになるだろう。それは灯油とは違い、舞台に立ちたいからで、タバコを控え、酒を飲まない翌日は明らかに体調が違うことが顕著になってきた。老いている、と、思う。

 老いる。これは、結構面白い部分がある。生活、生き方、そういうものが見えてくるところがそうかと思う。若い頃は何も考えずの行き当たりばったりで、やってきた。それでやれた。でも、もうダメだ。老い方をきちんと考えないといけない「年頃」になっちまった。

 夢の芝居を整理しておこう。

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家で仕事ができなくなった

 金曜日、職員室のほとんどの机にノートパソコンが置かれた。これから、自分のパソコンを持ち込んではいけないし、USBメモリーも使ってはいけない。ウイルス感染と情報流出を防ぐためらしい。外からみると「全員にパソコンが与えられた」と映るかもしれないけれど、全員ではないし、異動の時は置いていく。今まで、使うことが多いときは、パソコンを持っていくし、少しのときはUSBメモリーを持っていけばよかった。職場と家で仕事をすることができなくなった。これはかなりシンドイ。

 ぼくは授業プリント以外は、補習教材、試験問題や通信は全部家でしてきた。家で作成した文書をUSBメモリーで学校に持っていき、印刷していた。それができなくなる。してはいけないのだ。家で作成したものは家で印刷して、ということになるのだろう。部活動に熱心な人間の場合、結構深刻になるかもしれない。

 学校ができた頃、学校は時代の最先端を行っていた。ところが今では時代の後塵を拝するようになった。時代に迎合し、周囲の声に「ごもっともで」でという姿勢で、おかしくなってきた。その「おかしさの」しわ寄せが職場の多忙化につながり、健康を害しての休職が増えている。家で仕事はしたくないけれど、せざるを得ない状況なのだ。「してから帰ればいいじゃんか」と言う人もいるだろうが、それを上の連中は言えない。何故なら残業手当はないから。

 3月までは移行期間だけれど、色々と問題が出てくるかもしれない。ぼくはきちんと守る。何故なら、自由は不自由の中にしか存在しないと思うからだ。

 

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鉛筆の握り方

 中学、高校は期末考査。試験監督は監督に専心しないといけないので、ぼくにとっては喋れないので苦痛だが、色々と観察できるので退屈はしない。最近ぼくが観察するのは、鉛筆の持ち方、握り方。もっとも、鉛筆を使っている生徒は一人もいない。シャープペンシル。

 以前ノートやレポート用紙の表紙にペンを持っている右手のイラストが描いているものがあった。あれが正しいペンの持ち方だが、今は皆無に近い。親指の先でおさえるのではなく、親指の第1関節の辺りで押さえているのが多い。中には、中指と薬指で押さえているケースもある。これが、一部地域の、一部の学校なのかはわからない。もしかして、学力と関係あるかもしれないと推測して、成績のいい生徒を中心に観察する。ブルータス、お前もか。やはり、正しくない。

 うちの子どもも、同様で、注意して、その時はそういう持ち方をするのだけれど、身体にしみついているのか、直らない。箸の持ち方はいいのに。

 現在、採点の真っ最中。ペンの持ち方と関係あるのかないのか、時に暗号解読のような答案の文字。そこまでいかなくても、aとuとo、hとn、rとv、その区別が明確でない。

 だから、どうというつもりはない。もしチャンスがあれば、ペンの持ち方を観察したらいかがでしょうか。そして、自分の持ち方を観察する。さて、採点の続き。ぼくら、家でも仕事してるんです。そうしないと回らない部分はかなり、あります。愚痴じゃなく、金曜日の内容につながります。

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大分の二つのTVCM

 以前から気になっていることがある。二つのCMなんだが、一つはアパート。「いいないいな、私もこんなアパートに住んでみたいな」というもの。「よし、私も○○に引っ越そう」という決意の言葉で終わる。もう一つは、「私も仕事さがそうかな」で終わる求人のCM。その二つとも、最後の一言がぶち壊しの一言なのだ。

 決めの言葉は難しい。もちろん、すぐに生まれるものではないし、期限があるだろうから、仕方なしということもあろう。しかし、プロだろう。プロにしてはあまりに安易に思えてならない。大分のレベルを上げるためにも、再考して欲しいんだけどな。

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日本作詩大賞

 たまたまテレビをつけたら「日本作詩大賞」をやっている。売れ筋でない歌もあり、これはいいと思う。売れ筋だけで流れたら、貧しくなるだけだ。

 ただ、何故「作詩」なのだ。歌の言葉は「歌詞」ではないのか。「詩」のほうが「詞」よりも優れていると考えているのだろうか。サザンの桑田は「こんなもんただの歌詞じゃねえか」と歌詞をまとめた。

 作詩大賞。首をかしげてしまう。作詞大賞でいいじゃないか。今、詩人が何をしてる? ポップ文化の方がはるかに効力を持っているじゃないか。詩人より、詞人だ!と声高に主張すればいいのに。情けない。

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幻想即興曲

 あるピアノ教室の発表会に行った。「きらきらぼし」から「幻想即興曲」まで、人間の成長とはこういうことなのだ、あなたはそういう成長をしていますか、そう問いかけられたような気がした。

 最後のショパンの「幻想即興曲」では、ショパンとおぼしき男が後ろを振り返りながら、前を走る女を追う姿を想像した。あの女はジョルジュ・サンドだろうか。根拠がない想像だから、幻想か。

 白眉は『幻想曲「さくらさくら」』。「さくらさくら」をピアノ曲に作ったのだろうけれど、咲き乱れる桜に様々な思い出が入り乱れて、桜が幻想的なくらいに美しくなった。演奏も見事。36人の「成長」の演奏は様々なことを考えさせてくれた。

 さて、6歳が「きらきらぼし」を弾いて、高校2年生がショパンを弾く。人間のコツコツはここまで成長させる。とてもかなわない。妙な知恵だけがついてしまっただけで、それは成長ではない。単なる世間ずれ。かといって、この汚れちまったオジサンにはなす術があるのだろうか。現在考えている脚本では、生きるということを見つめたいと考え、様々な本を読んだりしているけれど、ウーム。

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ポコペン

 下の娘が最近友達と遊ぶのが「ポコペン」ということ。その名前をつけた人は才能がある。一回聞いたら覚えてしまうし、音が弾んでいる。

 夕食、朝食の時の会話の7割はその娘。彼女は学校のあれこれを話してくれる。その時に必ずポコペンが絡んでくる。ナントカちゃんのことを話している時に、「だから、ポコペンができなかった」という風に。ポコペンが出てくると、ぼくにとって食卓が楽しくなる。どんなに大変なこと、つらいこと、シンドイことも、ポコペンが吹き飛ばしてくれるのだ。魔法の言葉だ。

 娘にとってはそんなもんじゃないのだろう。でも「ポコペンで遊んでいたんよ・・・」で、ぼくは昨日のモヤモヤも今日の溜息も消えてしまう。

 ぼく達の頃もポコペンはあった。「ポコペン、ポコペン、誰くっついた」というもの。でも、それとは違うようだ。小学生のお子さんがいる方、一度食卓で話題にしてみて下さい。食卓でないとダメです。

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これから、はて?

 大分にこんなものが生まれていたのか、と、思った。

 http://oitaweb.tv/

 

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三島由紀夫

 今日は三島由紀夫の命日だった。

 高校の国語の時間、始まるとすぐに教師が「三島由紀夫が死にました」と言った。徳永という名前の先生だったが、この先生は好きだった。彼の言葉は信用できた。その時、ぼくは三島なる人物についての知識は皆無だったので、何か偉い人が死んだのだナと思っただけだった。大学に入って、文学をかじりはじめ、三島の作品をいくつか読んだ。『潮騒』を読んだ時、ああこえは高校時代に読んでおけばよかったと後悔を後に立てたものだった。

 三島の幾つかの映像をユーチューブでみた。東大全共闘達とのセッションは面白い。全共闘世代の学生は形の是非はともかく、時代や日本と本気で向き合ってた素晴らしい世代だったのかもしれない。もちろん中にはとんでもない奴らもいただろうけれど。三島の締めくくりの言葉もいい。

 時代や日本にそっぽを向く人が増えているのかしれない。三島が生きてたら、日本の今に何というのだろうか。興味がある。

 

 

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「出張なんでも鑑定団in佐伯」収録を観に行く

 娘が出したハガキが当たり、佐伯文化会館の収録に行った。市長の挨拶、AD(?)が拍手等の練習をして、2時間。放送では15分前後だろうけれど、来年で16年目を迎えるらしい長寿番組は、司会者に会場をどんどんわかせようとして、長い人は30分ほど。隣で観ていた上の娘が、「佐伯にもお宝があるんやなァ」とつぶやいた。

 満員の会場。いつか、これだけの観客を前にして、会場をどよめかすような舞台がつくれたら・・・。そんなことを考えた。

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芸能人とアーティスト

 テレビ番組で、芸能人が描いた絵を買ってもらい、そのお金でカンボジアの子どもたちに学校を建てようという企画をたてた。100枚の絵で1億を超えるお金が集まった。

 一青窈という歌手が現地に行き、子どもたちと触れ合い、歌をつくって、2度目の訪問に備えて、子どもたちが歌の練習をしていたが、あの歌は難しいんじゃないか。ただ、彼女は素晴らしい人だ。生き方が前面に出ている。それが彼女をこの上なく美しくしている。小室は爪の垢をいただいたらどうか。その前にぼくが欲しいけれど。

 芸能人もアーティストも自分から名乗ることではなく、他人が呼ぶ名前だろう。自分でアーティストで名乗るちゃんちゃらおかしは、ヘソでわかした茶うけでしかなかろう。一青窈は、いい。読み方もようやっとわかったけれど、どこで区切って読むのかがわからないけれど、断然いいな。

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記念日

 ビデオでの記録をしないことで、どこか、子どもに申し訳ないような気持ちは今もある。でも、子どもには悪いけれど、この目に焼き付けておく方がいいと考え、とにかく見ることに専念した。デジカメで雰囲気みたいなものは記録して、それを日記に貼り付けて、書いている。

 その記録を読み返して、たとえば初めてアイスクリームを食べた日とかがあれば、アイスクリーム記念日とかにすれば、面白いかもしれない。ぼくはそこまではできない。それは、いずれDVDで渡された時、自分ですればいいか。

 忘れられていく日々。忘れるのもいい。ただ、時に思い出すことができてもいい。それは、動画より、一枚の写真とそれに添えた文章の方がいいとぼくは思う。

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中央演劇祭を観る

 久しぶりに高校演劇の大会に足を運んだ。風邪で「ルルゴールド」を飲んで会場に行くと、既に開会式は終わっていた。会場のあちこちに馴染みの顔がチラホラ。芝居は身体にいいのか、そのまま夜の会にも参加した。

 午前のワークショップを見学し、講評の途中で会場を後にし、弥生で携帯に審査結果がメールで届いた。最優秀は安心院とのこと。芝居は観る人で評価は異なる。ぼくの最優秀は日田三隈だったのだが・・・。

 ただ、一番強烈だったのは、昨夜の3次会で、音響氏と行った店。老人4名が深夜の居酒屋で飲んで、歌って、時に口論したりで、それはそれはすさまじいことこの上なし。元気なじいちゃん、ばあちゃんに励まされたり、老人に対するイメージが一変した。いいなあ、ああいう老人。くたびれていてはいけない。頑張ろう。 

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「めぶき園まつり」に行く

 もうやがて20年になるけれど、演劇を通して知り合った友人の案内を受けて、出かけた。57号線から坂道に右折してしばらくは心細くなる道の細さ。この道を帰るのか、と、考えると、離合の不安が高まった。後で彼に確かめたら一方通行とのこと。ホッ。10時オープニングだったが、20分ほど前に着いた。地球上の氷が溶けても、すこぶる安全な素晴らしいロケーション。遥か遠くをみれば、大きな自然と小さな私。悩みなんか吹っ飛びそうだ。

 早く着いたので、彼が陶器を焼く作業場と釜を見せてくれた(ぼくはいつか焼き物をしたいと考え始めて、17年になる)。その後、ぼくらの公演を観たがっているという女性を紹介してくれた。可愛く、感じのいい人で、20歳若ければ、恋心を抑えるのに七転八倒したことだろう。

 ぼくは彼をもっと知りたいから、行ったので、彼の動きや、利用者の人たち、それと施設以外は興味がなかった。風邪のせいというより、歳のせいでボケているぼくにも、彼らの真摯と懸命は刺激になった。何よりも、芝居に向かう意欲が高まったのだから。

 昼、熊本から友人夫婦が犬を連れて到着。旦那は、昨日は国立競技場でトリニータの勝利に感涙して、昨夜遅く帰っの朝だ。車を降りて歩いてくるところを上からみると、奥さんは少女のようだ。ウ~ン、羨ましい。

 熊本夫妻+犬が去った後、友人に挨拶をしたら、彼女を再び呼んでくれた。確実にインストールされちまった。

 帰りは、野津から林道を走って本庄に抜けた。野津と本庄の堺のトンネルの手前に湧水があり、そこで、車に積んであるペットボトル8本にメダカ用の水をゲット。

 風邪の症状がどんどんのさばってきて、おふくろを訪ねたが、風邪をうつしたらいけない、頭がボウーッとして、3分で帰った。

 今、めぶき園で買った陶器のグラスで焼酎を飲んでいる。充実の一日のピリオド。どんなもんだい。

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トリニータ、優勝!

 初めて、サッカーの試合を最後まで観た。最後まで観らせるほど、緊迫したいい試合だった。やはり、感動は懸命さでつくられることを再認識した。シャムスカ監督、『ダイハード4』のFBIの副局長だったか、彼に似ているのだが、どうだろう?シイタケと温泉だけの大分がここまでやれたのだから、彼らに負けない情熱と取り組みで、芝居に向かおう。ん。

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お前、離婚したんだろうが!

 小朝と離婚した元女房が独り相撲しながら、疲弊しきっているような感じがする。会見の文章を読みながら、元女房は断ち切って、波当津の海岸で一人ボケーっとするくらいした方がいいんじゃないかと思う。

 男と女の問題は人類永遠の問題だ。二人三脚じゃない。わたしが歩いている傍にいる人。それdいいんじゃないか。

 求めてはいけない。できることをする、それが相手のためになればラッキー。

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『釣りバカ』と秋の風

 「間違っていたら、ごめんなさい」と、先日通夜に参列して帰ろうとしていた時、ある男の人が近づいてきて、「『釣りバカ』に出ていませんでしたか」と言われた。出たというより、かすめた程度なので「はい」と応えるのが苦しい。

 昨日はコンビニのカウンターで女性店員から同じようなことを言われた。これはいけない。画面をかすめた程度で「出ていましたね」と言われてほくそ笑むのはヒッチコックくらいだろう。恥ずかしい。こういうことは今後控えたい。

 冷えてきた。朝の犬の散歩もウインドブレーカーが要る。まだ暗い中、懐中電灯を持って出る。帰る頃には薄暗がりで明かりがなくても大丈夫だが、その頃、東の空の雲と光が描く空の模様はいつも違う。しばらく眺める。時々写真を撮る。そして、昼間、の青空。この時期、青空は遠くに誘う。視線が上を向いている時期だからこそできることがあるはずだ。季節に左右されてもいいんじゃねえか。

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劇団ひとり

 劇団ひとりが演じた棟方志功のドラマを観た。よかった。

 劇団ひとり。ふざけた名前ではない。基本的には正解なのだ。一人立ちできない人間には芝居はできない。

 彼の演技もよかった(想定内だけれど)。棟方志功が支えた部分も大きかった。

 劇団ひとり、いい役者。

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葬儀の形

 昨夜通夜、今日葬儀に参列した。個人は一徹な人で、黙々と農業に取り組み、その一方退職した後は朝の子どもたちの交通指導に取り組んでいた。

 朝の交通指導は雨の日もあれば、冬は凍える。彼の前を通り過ぎる小学生は「何時ですか」とたずね、彼はその都度袖をちょっと上げて「7時14分」と答えていた。その子どもたちの母親の一人が「大変ですねえ」と言ったら、「こういうことができるのがありがたい」とこたえたという。葬儀では弔電披露の最後に、その子どもたちの代表からの感謝の言葉が読まれた。

 弔辞は友人、お別れの言葉は孫。孫の言葉の方が断然よかったのは、言葉に感情があるからだ。友人の言葉は、それを読む自分を意識してしまうのか、その都度乾いていく。孫のつたないけれど、ストレートな言葉はこういう時強い。孫の悲しみが伝わり、泣いてしまった。周囲からのすすり泣きはしばらく続いた。

 坊主も良かった。朗々とした声はつつましく、長くなく、気持ち良かった。彼は昨夜の通夜で歌うような読経をした。素晴らしい声で、オペラ歌手のリサイタルかと思うほどだった。

 ぼくもそんなに長くない。明日死んでもいい生き方、それは何なんだ。そういうことを深く考えさせられた葬儀だった。

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フルイコの酒場

 以下、渡辺保『声と身体性のゆくえ』より;

 矢野誠一に『フルイコの酒場』というエッセイ集がある。

 矢野誠一はスペインに行ったらば是非ともフルイコという町の酒場に行きたいよ思っていた。

 偶然スペインに行くチャンスが巡ってきて、地図や観光案内で調べたがフルイコという町がない。スペイン舞踊の小松原庸子にも聞いたし、現地の人にも問い合わせたが、だれも知らない。しかし矢野誠一には、一度も行ったことがない「フルイコの酒場」の光景が目に焼きついている。多分写真で見たのだろう。「ちゃんと着飾った男女や、いかにも仕事帰りといった感じの労働者たcが、思い思いの恰好で古いテーブルに自分のグラスや酒を置いて、談笑している。あそこへ行きたい。

 しかしスペイン滞在中にフルイコの町は発見できなかった。

 そして帰国したある日、越路吹雪のイサイタルで、彼女の歌う「ろくでなし」をしばらくぶりに聞いて愕然とした。

 彼女が「フルイコの酒場で、たくさん飲んだから」と歌ったからである。「フルイコの酒場」はここにあったのか。そう思った次の瞬間、矢野誠一はさらに驚く。「フルイコの酒場」は実は「古いこの酒場」だったからである。

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はるな愛を観に行く

 娘が是非みたいということで、彼女の友達を乗せてトキハに行った。

 開演40分前で、会場はすし詰め状態。「相方不在」という女性のコンビが前振りをして、登場。何故人気なのかわからない。15分ほどして、携帯に電話があり、もういい、だと。

 トキハでは同時に『釣りバカ』の写真展もやっていて、西田、竹内と写っている写真もありました。こちらは、観客はチラホラの「チ」くらい。今週の土曜に佐伯で舞台挨拶があるとかで、一応入場整理券が当たってはいたのだけれど、学校での業務の関係で行けない。実は今は観たくない。ほとぼりが冷めてから、更に数年寝かして、誰も借りなくなったレンタルDVDで観ればいいか、な、と思っている。だから、どうか、観たから云々とかいう話はしないでね。

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緒方拳はいい役者だった

 彼のように愛された役者は珍しいと思う。

 今朝、「おはよん」で彼の死を知った時に驚いた。彼のHPの掲示板には多くの書き込みがあった。

 ぼくは彼のサインのある脚本を持っている

 彼と串田がやった『ゴドー』を観て、そうだったのか、と、思ったものがあった。

 『太閤記』を観たのは、ボーッとしてた頃だったが、面白かった。でも、一番好きなのは『必殺仕事人』だな。

 芝居で幅広く遊べた人だったと思う。生き方の地平で芝居をすることができた幸せな人だったのかもしれない。もちろん、そこまでいくまでの大変を乗り越えたからこそ。見事な生き方だった。

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オーストラリアから中学生が帰ってしまった(6)

 土曜日は城島から九重の夢吊橋へと。あんなもの1万もらっても乗らない、そんなものにお金を払って乗るのは、クレイジーとしか思えないものに、怖いもの知らずで、悲鳴もあげず顔色も変えず、ポンポンと乗っていく。参りました。日曜日はカラオケを経験。そして、今朝、帰っていった。

 そしてまたいつもの日常。何かをすると、「サンキュー」とか言ってしまう後遺症が。

 日常に異質なものが入ってくると、日常を見つめ直す機会になる。あるいは日常と異質なものとの間のズレが、オセロゲームのように現状を並べ替えたりする。異質なものを生活に取り込むことは、だから、意味があるように思う。

 さあ、演劇に戻らなくては。

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オーストラリアから中学生がやってきた(5)

 ちょっと具体的に書けないけれど、夕食に行った店はひどかった。そういう店に連れていったことが、国交に影響しないことを願うばかりだ(大袈裟か)。

 帰ると、彼女は、インターネットでメッセンジャーのについて設定し始めた。ただ、画面が日本語なので戸惑っていて、助けを求められたものの、それについて知識がないので、ちょっと待っていただいて、インターネットで調べて、それでどうにか設定は完了した。すると、彼女は娘と並んで座り、説明を始めた。わかるんかいな、と、思いながら、部屋に駆け上がり今度は使い方を調べて、手当たり次第にプリントして渡しに降りたら、どうにか使いこなしているではないか。それも英語で何やら書いている。今日で5日目。娘の進歩には目を瞠る。若いということは、こういうことなのか。それだけでも、今回短いホームステイの効果は十分あったと思う。

 こういうチャンスを与えてくれたことを、感謝! まだ終わってない。明日は、家族でとことん遊ぶことになっているが、雨が、また・・・? 雨の多い彼女の滞在になったが、この季節に雨が降ると、その雨が彼女を思い出させることになるかもしれない。そう。そうだった。まだ、終わっていない。

 

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オーストラリアから中学生がやってきた(4)

 昨日は、やたら眠くて、コトンと眠ってしまった。彼女の方が疲れているだろうにと思いながら。

 来る前は、色々考えて、その時は、と、考えていたけれど、実際はそれ以外のことの方がはるかに多く、はて、と、戸惑ったり、考え込んだり。もちろん、その時はどうにかやり過ごすものの、あとで、あれでよかったのか、こうしたらよかったのではないかということが多い。そういう経験を次につないでいくことが大切だと思う。

 今日、コンビニのおでんを「味見」として、ちょっとだけ試してもらった。ダイコンはNOだった。

 今さらではあるが、最初に、「我が家のルール」みたいな形で明確に示した方が良かったと思う。たとえば、一つだけ家事をしてもらうみたいな。結局距離感がつかめないまま終わってしまうような気がする。あと3日。打破する術はあるのか。

 3日もあるんだ!

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オーストラリアから中学生がやってきた(3)

 コスモタウンで外食して、ゲームセンター内のプリクラとカーレースで遊び、百均の店とスーパーをうろちょろした。朝方、娘が「できるだけ英語で喋ろうとするけれど、OKばかり・・・」とポロリ。ところが夕方、一日を終えて帰ってくると、来年は彼女の家にホームステイに行きたいと母親に言っていた。その志やよし!

 グラッドストーンとは毎年交互に中学生を派遣している。今年、ホームステイを引き受けた家庭に優先権があるとか。

 ぼくは娘たちに残せる財産はない。ただ、できるだけ多くの経験をさせてあげたい。財産は社会の変化で消えることはあるが、経験は死ぬまで残る。経験こそ財産ではないか。

 今朝、中学校まで乗せていった時、「君の国にはないようなことに沢山出くわすだろうけれど、それを楽しんだらいい。そうすればそれがいい経験になる」と言った。それは娘に対してもであり、ぼく自身に対してもだった。

 新しい経験を生活に取り込んでいく。その姿勢で生きていきたい。

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オーストラリアから中学生がやってきた(2)

 こんな時に台風だ。雨の中、中学校の体育館に行く。体育館で向かいあう。事前にもらっていた紹介コピー顔と比べると、小柄でかわいい。

 どでかいバッグ。腰に悪いとか言える状況ではない。

 9時前に就寝。それまでの不安な表情。ひげをそり落としたけれど、やはり、どうやっても人相の悪さは隠せない。

 一応家に電話、と、思ったけれど、国際電話方法を知らないので、インターネットで調べて、どうにか。こういう経験は、まあ、無駄にはなるまい。

 ぼくは今日から「リフレッシュ休暇」。一日年休を取って、6連休。脚本を書くために4月に設定してたのだけれど、はて?

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オーストラリアから中学生がやってくる(1)

 佐伯市の姉妹都市、オーストラリアのグラッドストーンから中学生がやってくる。その一人のホームステイ先になった。光栄、だが結構気を使う部分は身体を使うことが多いので、大変だ。

 和室を使ってもらうけれど、障子紙の張り替え。毎年年末にしているけれど、アイロン処理の障子紙。どこかにしわ、たるみが出てしまう。ただ、彼女のためのすべてではない。住居をきれいにする作業。そう思えばいい訳だ。暮れの作業が一つ減った。

 一週間の受け入れ。一回目の説明会に出た。ぼくは掲示板の設置を要望した。素晴らしいことに、すぐに設置してくれた。個人的な問題を一般化するには一番いいと思ったのだが、ダメ。ぼくがいくら書きこんでも、反応がない。機能していない。

 明日の夜から一週間。はて、どんな?

  

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ポール・ニューマン死去

 かっこいい男だった。ポルシェのエンジンを積んだワーゲンに乗り、ドレッシングを売り出して、その売り上げは寄付するとか、生き方そのものもカッコよかった。

 『スティング』は面白かった。

 ありがとう。

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健康診断の結果

 「病院行き」レベルから「経過観察」になりました。メタボでもない。

 最近毎日書いてないので何かあったのではないかという声が、ありがたいことに、届きましたが、何もありません。何もないから困るんです。脚本を書こうとしているんですが、浜辺で美しい貝殻も、珍しいものも見つけることができないまま、さまよっているんです。でも、このさまよいも楽しいんです。何かが見つかるまで、生まれるまで、さまようんです。

 元気です!

 

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読書感想文を読む

 40篇ほどの読書感想文を読んだ。クラス代表だけれど、中にはこれが代表?と思うものもあったが、クラス担任は大変だったろうと思う。代表でさえ読むのが苦痛なものもあるのだから。ただ、基本的には生徒が一所懸命に書いたもので、クラス担任が選んだ「作品」だから、こちらも雑念を振り払って読むのに専念した。

 昔、同じようなことをした時、『ハリー・ポッターと賢者の石』が5篇以上あり、気になって書店に取り寄せてもらった。3ページも読めなかった。それがあんなに売れるとは。ぼくには合わない。もちろん、映画も。

 うちの司書はベテランで時折囁いてくる、「ネットから盗用したものがありました」。「ハリー・ポッター」よりもっと昔、感想文の中に「私は著者に会ったことがあるが」という部分があり、「!」。それは文庫本の解説をまる写ししたものだった。昔も今も、感想文の盗作、というより、何かのまる写しはあるようだ。

 クラス担任が選んだ数篇をぼく達がさらに絞り込み、それを何人かに依頼して最優秀を選ぶことになっている。中には心を強く動かすものもある。そういう時は、いい脚本を読んだ時と同じように、鎮まるのを待った。ただ、疲れた。考え方も、書き方も異なるものを続けて読むのは大変な作業だ。学年ごとの最優秀は県大会に行くが、そちらの審査も大変だろうが、質は高いだけ、歓びも多いのかもしれない。

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国体がやってくる

 スタッフやボランティア生徒に「制服」が配られた。大きなトラックが入り、会場機材を運んできた。これからそういう「国体車両」が増えるんだろう。学校の幾つかの部屋があれこれに当てられるために、立ち退き。

 佐伯は総合運動公園に体育館ができた。レスリングの会場になるようだ。国体が終われば、可能な限り使用料を安くして、誰もが気軽に使えるようにして欲しいもんだ。建物は人が多いほど、輝くし、長持ちする。佐伯文化会館は、そうなっていない。だからカビ臭い。多くの人間に使われれば、と、思う。人間が作ったものは人間が使うことで活きるし、生きる。

 高校演劇をやっている頃、大会を開きたいが、使用料減免をお願いできませんか、と頭を下げたら、そんなことは一切していません、と。東京の劇団が上演準備中にムカデに刺され、急遽代役を東京から呼び寄せたという話を聞いた。佐伯で生きている人間として、恥ずかしかった。どんどん使わせればいいのに。

 国体。「おもてなしの心」を繰り返している。それは良い。終わった後に、「ありがとう」も欲しい。だから、使用料を安く!

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フォーク・クルセイダース

 テレビが白黒だった頃、そのテレビを通して、聞いた記憶がある『帰ってきた酔っ払い』。『イムジン河』を聞いて、すぐに放送禁止になった。寺山修司の『戦争は知らない』、五木寛之の『青年は荒野をめざす』、サトウハチローの『悲しくてやりきれない』等の詞を歌った曲は、今でも、いい歌だと思う。

 YouTubeで聴ける。

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吉田拓郎

 「ユーチューブ」で吉田拓郎を観て、聴いて、歌った。

 大学に入って間もないころ、高校の同級生の部屋に行った。ぼくは浪人したので、彼は学年では上になっていた。ぼくにはこれといって話すことはなく、部屋の片隅のギターを触っていたら、「持って帰っていいよ」といわれ、興味がある訳ではないけれど、「じゃあ」というきっかけかと思いそれを持って帰った。

 吉田拓郎の歌がコードが簡単だったので、それで練習した。指が動くようになれば、そのコード進行に言葉をのせれば歌はできた。その頃好きだった女の子の誕生日にオリジナル曲を10曲くらいつくって、それを録音して贈ろうと思った。下心は強い。誕生日の2か月前に完成した。LLのカセットレコーダーは重ねて録音できたので、それを使った。「私、拓郎、嫌い」と贈った次の日言われた。彼女はエルトン・ジョンが好きだった。

 そんなことを思いだしながら、ライブやバラエティやの映像を交えながら、吉田拓郎のしりとりをした。まさか『制服』もあるとは。『ぼくが1番好きな歌』は初めてで、そう、これが拓郎の根っこなんだと拍手した。拓郎には根っこがあるからいいんだナ。今なら、エルトン女に負けないのになァ。敗北の経験は結構いいかもな。

 そうやっているうちに、平浩二の『バスストップ』に出会い、繰り返し、歌った。これは名曲。声を出すにはこれがいい。 

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何故学校に創造性がないのか

 今回の大分の問題は深刻だけれど、トップの部分のアホがどんどん暴露されている。自分のことばかり考えて、自分の仕事、仕事の対象を考えていないからこうなる。教育のトップがこれだから、問題は深刻だ。

 学校は世界で一番自由な場所であるべきだ。その方向で考えれば学校は面白くなる。ところが、汚職幹部連中はそんなことは考えない。形を与えてそれの結果だけしか考えることができない。つまり、自分がやってますというアリバイつくりしかしていない。そういう連中が設定する研修には受ける都度アンケートで下らないからやめた方がいいと書くのに、反映されない。経費の無駄遣い。一般企業では通用しない。

 創造力がない。

 自分の立身出世だけしか考えていないからではないか。自分のやっていることが見えていない。アホ。生徒の前に立つことから逃げた連中に何ができるのか。教育長が大分の教職員に声明を出したらしいが、冗談じゃない。不正に絡んでいるアンタの言葉に誰が耳を傾ける? 不正採用された人の首を切ったアンタは、不正採用した人じゃないか。犯罪者なんだ。その自覚を持てない感受性の連中が教育の中枢にいる。問題だ。

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様々な場面、様々な人たち(3)

 新宿西口の居酒屋で彼はアルバイトをしていた。そのアルバイトの時間が終わる30分前に行って、飲みながら彼の仕事の終わりを待つ。彼がつきだしに出した「つくね」は初体験だった。それから、二人で飲んだ。彼の住んでいるアパートは、「ねぐら」という方がいいかもしれないが、高僧ビル群が窓から見えた。一等地じゃないか。ロフトだってある。

 彼はある劇団に所属しており、普段はその居酒屋でバイトしていた。一度、彼の劇団仲間の一人を交えて飲んだ。彼は、芝居でふくオカリナをカバンにひそませ、寝静まった新宿の裏通りを歩いている時に、路上でそれをふいた。車も人影もない街にそれは静かに流れた。上手かどうかはわからないけれど、ぼく達の前を踊るように動きながらふく彼は楽しそうだった。プロ(といっても、舞台だけでは食えないけれど)は、芝居が日常をつくる部分もあるんだナと思ったものだ。

 居酒屋バイトの彼はちょっとした都合で九州に帰り、今は照明の仕事をしており、高校演劇にはかなりの理解をもって接してくれている。高校演劇出身で、結婚披露宴の後、恩師の顧問と飲んだ。のんべえで有名な顧問は彼やぼくの話をウンウンと聴いていた。大学で、彼を巻き込んだ形の合同公演みたいなものを仕掛けた時に知り合って、シェイクスピアをロックミュージカルにして上演、その打ち上げの時にも彼は来てくれていた。あのころの元気はなかった。時間の物差しを感じた。

 そこまでにあれこれの時間が流れた。それからもあれこれの時間が流れた。彼は芝居に近いところで生活している。そいう彼を思い出すと必ずオカリナの彼を思い出す。今も芝居をしているのか、それとも、時々オカリナを取り出してさすっては青春時代を思い出しているのか。

 

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面白かったゾ!

 一泊のドライブから帰ってきた。宿の食事も秀逸で、別館借り切り状態での話やゲームも楽しかったし、プラスワンの九重の「吊り橋」は目を楽しませてくれた。次を四国に考えていたが、九州制覇もいいかナと考えている。しかし、とにかく、次は舞台に向かう。ぼくの仕事は、脚本を選ぶことではなく、書くことだと肝に銘じた。仲間には毎週脚本を渡し、読んでもらっているので、オリジナル脚本以外は、仲間から出てくればいい。チェーホフも一日一篇の短編小説程度にとどめ、脚本を書かなければ。そう、書かなければねえ。

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健康診断

 詳しい結果はいずれわかるものの、体重が3キロほど減って64キロ、ウエストも3センチほど減って83センチ視力が0.8が1.2になっていたのは、そんな風に見えるのが当たっていたからだろう。ぼくはそんな数字はほとんど信用していない。肝心なのは身体の感覚なのだ。一つ言えることは、酒はないほうが、全体的に良くなるということ。惰性で飲むのはやめなければと思う。ただ、今夜は少しだけ、ほんとうに少しだけ。

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検便

 今日は健康診断。昨年からメタボ検診が始まったが、何のことはない、ウエストを測るだけ。最近はその辺について見直す傾向があるようだが、当り前だ。そして、今年から大腸癌検診が加わり、便を取ってきなさいと道具を渡された。2回分。最初は面倒に思った。それで、犬の便を出したらどうなるかと必死に考えたこともある。しかし、水洗便所でどうやって取れというのか、その辺に興味があって、やりました。昨日と今日で2回。シートを敷いて、その上にして、容器の中の棒で取って、容器に納めた後、流すというものです。こういう形で自分の便を観るのは時にはいいことかもしれないな。医者の中には便を「便り」という人もいるくらいだ。身体からの便りを時にはよく読むことも、自分の身体を考える上ではいいことかもしれないと思ったりする朝なのだ。

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朝の空

 城山に向かって円を描くような形で散歩する。城山の右手に市街地が広がり、その上の空は毎日姿が違う。以前はカメラを持って歩き、その空や花の写真を撮っていたのだが、最近はあたふたと出ていき、ああ持ってくればよかったと後悔だけを立てて歩くことが多い。

 ある作家はある川の辺で空や風景を毎日書き、文章の練習をしたらしいが、いい方法だと思う。ぼくも城山の空を毎日書いてみようかと思ったことがあるが、帰った時には忘れていた。何かを成す人と成さない人の違いだ。

 新学期が始まり、シャワーから風呂に代わった我が家だけれど、散歩から帰ってシャワーを浴びる時、残り湯が温かく、追い焚きしなくてもいい。燃料節約のために、泡を流す時にはその残り湯を使う。やがて、この残り湯が冷たくなる。そういえば、昨日の朝よりちょっとぬるいような・・・、季節は秋に傾斜している。

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9月になって彼女は

 5時になっても外は暗い。10分頃、うっすらと明るくなったので、彼女と散歩に行った。最近不安定な天候だったので、久しぶりの朝の散歩に彼女はピョンピョンと元気がいい。やがて9歳のおばさんなのに。

 暗い間に部屋の整理をちょっとだけした。こういうのは一気にやってしまわないとダメだとは知りつつチョボチョボだから、一向に進まない。アンケートの冊子が見つかった。舞鶴高校の卒業公演のもので、ワープロで打って、印刷して、部員に配布した。17ページ、157人の感想。かなり長い乾燥もある。これだけの人が書いてくれたことに今さらながら驚く。客席は友達や家族や知り合いだから、それも当然かもしれないが、いや、それを差し引いてもすごい。

 そんなことを考えながら、いつもより長い距離を身体を動かしながら歩き、帰ってシャワーを浴びるが、先週までは最後は水にしてたのだが、温水の方が気持ちいいので、やめた。秋は朝からやってくる。やはり秋が一番いい。そしてこの時期になると脚本を書かなくっちゃという体質は高校演劇をやってた名残だろう。書かなくては、書かなくてはねえ。

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立ち止まった台詞(0)

 学校ってのは、日本の世間体が凝縮したような場所なんだ。(鴻上尚史『グローブ・ジャングル』)

 大分の教育が大きな問題になっている。ひどい話だな。どこかの教師が飲酒運転をすると、学校では「服務規律研修」が行われる。そんなことをしてはいけません、ということをやる。今回の不正を受けて、大元の県教委はどんな研修をするのだろうか。不正で採用された人より、採用した側の方がはるかに重罪なのだ。学校が活力を失っている中、空虚な横文字で事業をしてきたが、茶番だとわからない感性と想像力。そういう連中が現場を仕切っている限り、学校はよくならない。廃校、統合、それくらいしかできない。それは改革ではなく、後退なのだ。県教委がそれをしてどうするんだ。遠距離通学の生徒が増える。家計は苦しくなる。それに対しての思いやりのカケラもない。彼らは自分のことしか考えていない。だから、学校が悪くなる。

 鴻上の脚本は面白くない。ただ、彼には批評家としての才能があり、それが、彼の作品の中では面白い。

 これから、脚本の中で拾った面白い台詞を書いていきます。今回は、あまりに県教委の犯罪に怒りがおさまらないので。20万を挨拶と考える富松という審議監は異常ですね。その異常が当たり前になっているということでしょう。教委にしろ、管理職にしろ、自分のことしか考えていない連中の何と多いことか。学校の世間体って、教委や管理職の世間体です。

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谷亮子はいい顔になった

 オリンピック閉幕に伴う特別番組に谷亮子が出演していて、彼女が涙をぬぐう仕草が時折あるので、カメラはアップで映し出すんだけれど、いい顔になってますね。その良さは彼女がもちろん自分でつくりあげた訳で、オリンピックに5回出場したそうで、20年間トップを目指した日々の取り組みの結果だと思う。一流の顔の好例かもしれない。

 時にはアルバムを引っ張り出して、自分の顔の流れをチェックしてみるのもいいかもしれない。こすっからしい生き方をすればそういう顔になる。女性は一日に何回も鏡を覗きこむだろうが、その辺の目は忘れない方がいいと思う。一番頑張った時の写真の中の自分をみるのは効果があるかもしれない。

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たかお氏のコメントについて

 訂正と解説を。 

ぼくの声が流れたのは「フレッシュ・イン・東芝 ヤング、ヤング、ヤング」というラジオ番組で、前田武彦と小橋玲子がパーソナリティをつとめていた。

 東芝が「アクタス」というカセットレコーダーを出し、それを記念して「アクタス・アドベンチャー・サウンド・コンテスト」を番組でした。携帯できるその録音機を使って、どんな音を録音するかというアイデアを募集。10人に「アクタス」が贈られ、録音したカセットテープを送るというもので、その10人に選ばれ、放送した2つの一本に選ばれたという次第。

 ぼくは「まっすぐ歩く」というアイデアで、近くの野山を歩いただけ。放送されたものは、それを上手に編集してた。放送されたものを聞いて、「できません」を「できましぇん」と言っているのをきいて、サ行の音には注意するようになった。

 40年前の話。でも、その頃カセットレコーダーを持っている人間は少なかった。テープが高くて、なかなか買えなかった。ぼくは人生の運をあそこで使い果たしてしまったのかもしれない。でも、たかお氏、よく覚えているなァ。

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夏休み、終わり

 地区の盆踊り。最後は受付でもらった番号で、半券を子どもたちが引いての抽選。我が家は4枚あったけれど、最後のおまけで傘が当たった。ちょうど雨粒が落ち始めていたので、ラッキーじゃないかということで。

 一週間の夏休みが終わった。豪雨のオン、オフの繰り返しの奇妙な天候で、植木の水やりは免れた以外、特にこれといって何もなかった。寝っ転がるか、ビールを飲むか、本を読むかだけ。メタボが進行したか。でも、芝居が心から離れたことはない。「動けない人たち」という一人芝居のオムニバスを考えついたけれど、はて?

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そんなアホな!

 焼肉タレのCMで、若者が焼肉を食っているところに若いお母さんが子どもを連れて「「タレ、貸して下さい」というのがある。どうやって返すんだ?

 面白いCM、すごいと思うCM、CMは短い時間で楽しませてくれるものがある。ただ、中には、首をかしげてしまうものもある。

 CMを作る人はかなり優秀な人がいると思うけれど、「タレ、貸して下さい」の一言はあり得ないと思う。効果がない。

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『文学界』を探す

 今月号の『文学界』に松尾スズキの新作戯曲が掲載されていることを新聞の広告で知り、今日、佐伯の書店を数件回った。佐伯の町中には他県ナンバーの車が結構多く、いつもは一回待ちの信号で2回待った。昼日中にだ。そして、目的のものは見つからなかった。

 松尾の脚本は押入れのどこかにあるはずだ。まだ読んでいない。あれを読めばいいということなのだろう。ということチェーホフに専念しなさいということか。

 ついでながら、ぼくは仏教にはそれほど関心はない。だから、盆だからといって特別な思いはない。祖母がそこそこ仏教に敬意を払っていたので、彼女のために、すべきことはする。仏教抜きで、死者を思い出し、思い出をオソボソ語るのはいいと思う。また、それを機会に帰省し、旧友と会うのは意義深いことだとは思う。それだけだ。帰省された皆さんの無事の帰着を祈ります。

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OBS番組を観て

 TOSと同じで、今までのまとめでしかない。新しい情報も、目を開く推察もない。何のために、誰のために、そういうことを考えると、そろそろ幕引きをしているそお先棒をかついだのではないかと勘繰ってしまう。

 教育長は「良心」を口にするけれど、良心があれば、今度のような事件は起きていないはずだ。それに、良心みたいな曖昧模糊としたもので解決しよという姿勢自体に膿を出す考えがないことを語っているとしか思えない。どうせやるんだから、世界に誇れるシステムつくりをしないと。簡単に幕引きはできない。

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贅沢な人生

 北島の金メダルについて「ニュースステイション」の報道を観て、才能をのばすために費やされたものがいかに莫大であるかを知った。松岡修三が2年前インタビューした時に、松岡は北島は終わりだと思ったと言ったし、北島も「誰か新しいスターを探した方がいいですよ」と洩らしたそうだ。北島が金メダルを泳いだ後、タオルに顔をうずめて泣いた。彼ほどの人が、と、思ったが、松岡の話でわかった。

 五木寛之の『日本三銃士』という小説に「文藝春秋」の1月号と9月号を買う男の話がある。彼の押入れには原稿用紙が山とある。もう作家の夢を捨ててはいるが、芥川賞作品が掲載される「文春」を買って読んでしまう。

 夢は誰もが一度は持つ。そしてその夢を叶える人間は1%程度だろうか。「ほぼ叶えた」という人はぼくの近くにもいるけれど、果たして、「ほぼ」という言い方でOKしていいのだろうか。夢は、向かっていくほど、明確になるのではないか。

 北島が今まで経験した苦難は凡人のぼくの想像を超えるだろう。それから逃げることなく、挑み続け、結果を出した人生は贅沢だと思う。贅沢ってのは他の人間が真似できないものだ。

 『想い出のチェーホフ』の中に次のような台詞がある;

 「もしあなた方が現在のためだけに働いているなら、あなた方の仕事はなんの役にも立たなくなる、ただ未来だけを見つめて仕事をすべきだ。」

 眼差しを上げ、遠くを見る。そしてささやかな決意をして、ささやかな取り組みを始める。全てはそこから始まるのではないか。そして、夢に養分を与えながら生きていこうじゃないか。芝居に、がんばります!

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TOS特番を観て

 マスコミとしてひ弱な感じがした。最後に教育長の謝罪で終わるのもおかしい。言ってることも、滑舌が悪いうえに、内容は変わり映えしない。あそこから初めて、新しい視点なりを示すべきなんだな。ジャーナリスト魂がどこにあるんだ。今までのまとめだけではないか。『クライマーズ・ハイ』の地方新聞を読んだ後は、情けないと思った。圧力でもあるのか? 

 情報は流される。しかし、その多くはマスコミだけれど、マスコミが流すものを受けて、考え、話し、行動する。しかし、そのマスコミが真実を報道する気概があまり感じられない。ワシントン・ポストの記者の行為は映画にもなった。キャパの写真はどうだ。

 警察官、自衛隊員、消防士、みんな死を覚悟しながら、やっている。マスコミはどうだ?使命を自覚しないまま、情報を垂れ流すだけだ。受け手をなめてるんじゃないか。TOS特番を観て、そう思った。

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老人とんがれ、まるくなるな!

 小泉元首相が集票したのは、とんがっていたからだろうな。以後の安部も福田もとんがっていない。つまりはポリシーがないからだろう。

 まるくなるというのは歳のせいだろうが、同時に慣れ合い、あきらめ、エネルギーの低下ということになるのかもしれない。そのためには、こだわる何かを持つことだ。徹底的にこだわり、若い連中に負けない気持ちを持つことだろう。

 若い連中にわかってもらおうとは思わない。懸命さがなければ、こんなジジイに劣る取り組みと付き合う暇はない。だって、生きる時間が短いのだから。自分から若い連中に歩み寄ることも要らないだろう。そんなことをしていれば、当然、嫌われる。孤独な生活。それでもいい。いい加減な奴らに合わせて生きるよりは、孤独な生活でもいい。本と犬と花や木がある。そういうジジイでありたい。

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ゆっくり読書をしよう

 ぼくは本を読むのが遅い。小学生の娘の方がはるかにはやい。そういう時に速く読むことを意識して読むと、作品を味わえなくなる。遅くて当たり前という方法がある。

 音読。これしかない。声に出して読む。目と耳で読む。できれば、一音一音をはっきりと声に出すようにすれば、作品を鑑賞する以上の効果があるのではないか。どういう効果だ?と訊くか? わからん。わからんけど、それをすれば口に乗りやすい作品ほど作品にはまっていくし、他の雑念は消えるし、口の健康にはいいのではないか。

 「お母さんといっしょ」でもそういうコーナーがあったような。

 昔は、作品を書いたら、親しい人を招き、彼らの前で作者が音読したというではないか。傑作ほど口に乗る。

 ぼくは風呂に水をはって、そこにズボンと入り、本を読むのが好きだ。読書は、たぶん、自分と向き合う作業。ならば、好奇心であちこちに触手をのばせばいい。片寄は、他の自分の面を殺すことになるのではないか。

 無人島に持っていきたい本はありますか?

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とんがる

 『悲劇喜劇』の8月号に松本修が書いていた一言が頭から離れない。昔の「小劇場の連中のなんととんがっていて、かっこよかったことか」みたいな内容だった。

 大学で演劇部に入ったものの、「こうする、ああする」みたいなものだった。ある時、状況劇場が来て、唐十朗という名前は知っていたので、まァ暇だし、観に行った。河川敷に赤いテント。長蛇の列。待たされて、テントに入れば、満員調整。前に出てきた兄ちゃんが「せーのー」でちょっとずつずってスペースをつくっていく。そして、テントの向こうが見えて、対岸から男二人が飛び込むのが見え、びしょ濡れの二人が舞台に上がり、長靴から水をこぼして、芝居が始まった。根津や小林やらがかっこよかった。

 確かにとんがっていて、かっこよかった。

 どうやら、あの時のその辺を忘れていたようだ。

 かっこいいのは無理だけれど、どこかでとんがっていたい。そう思う。

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『田舎に泊まろう』のBGM

 『田舎に泊まろう』は好きな番組で、よく観る。泊めてくれる家の人がいい。人間の一番いい所に出会うことができ、荒廃した世相の中のオアシスのような感じがして、きちんと生きていこうとか殊勝な気持ちになったりする。

 もう一つの魅力はBGM。ぼくが若い頃によく聴いた曲が流れる。その辺が懐かしい何かを刺激したりする。その曲を聴いた頃のことをほのかに思い出しながら、田舎の人たちの優しい気持ちと混ざり合って、いつもとは違う部分で脳が働いているような気がする。

 それと逆のような、発展途上国の人を日本に呼んで「都会に泊まろう」みたいな番組があるが、あれはいただけない。「ウルルン」みたいじゃないと。

 たかがテレビの番組。でも、自分にいいように引き付けながら観ればいい。解釈は自由だ。今の私を確認し、元気にやっていこう、でいいじゃないか。

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奇妙な音だね

そう言いながら、子どもをいつもの場所で下した時、下りて確かめたら、パンク。車にはこの前の公演の段ボールが満載。やがて、太陽が元気になり、ディーラーに連絡がつくまで90分。釘が刺さっていました。汗、たっぷりの朝でした。

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暑中お見舞い

 頭の中が沸騰しているような灼熱地獄の毎日ですが、皆さんはどうでしょうか。この暑さの中、高校球児は甲子園目指して夏より熱くなっているんですから、すごいと思います。

 コスモスの花がちらほら咲いているんです、うちの庭では。毎年花が終えた後、ゴマ粒ほどの種をあちこちに蒔いているうちに、かなり増えました。場所によって成長の度合いも、咲く時期も異なるのも不思議。おそらく、彼らのセンサーは微妙な違いを感知できるんでしょう。

 学校は金曜日が終業式。生徒は夏休み。もっとも、補習やら、個別指導がやらは続きますが、それでも学期中に比べ、何でもやれる時間は増えます。二学期からの授業プリントやらを作りだめするのがメインですが、本を読む時間は増えます。今年の夏は「チェーホフ第一期」。小説を読んでみようと考えています。できる範囲にちょっとの無理で。このちょっとの無理がミソですね。

 とにかく、暑くても、何か面白いこと、それも一人でいつでもできる何かをやりましょう。活力と充実の毎日を!

 

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大分を応援しよう!

 7月27日(日)に日田三隈高校の公演があるようです。全国大会に向かう仕上げのための「最後のダメ押しお願いします」公演だと考えたい。行って、意見と感想をきちんと伝えて、「完全燃焼!ファイアー!」と叫びたい。佐伯の公演にわざわざ来てくれた彼らの舞台を観たい!

 詳細は後日。

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教育界の不正問題

 大分のニュースが全国版のトップになって、学校で仕事をする者にとっては、気が重い。気が重いけれど、ここはとことん解明して、きれいにして立て直す以外にはない。Yahooのニュースでは県議も噛んでいるケースがあると。一体、どういう形で幕は降りるのか。逮捕された人たちへのコメントとして「いい人でした」「まじめで、教育熱心でした」というのがあるが、「やっぱりね」「何か胡散臭いところがあった」とかいうのであれば、その人たちだけになってしまうものの、そうじゃないから、こりゃあ多いな、やってない奴の方が少ないナと疑惑が広がる。だから大元がきちんとすべきなんだ。ところが、その大元が疑惑の中心だから・・・。芝居より面白い現実、か、・・・。

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KazeのBooklet

 職場のぼくの机は隅っこの窓際にある。現在の職場は5年目になるが、机の移動は一回のみ。それも奥から二番目にところから向かいの奥に移っただけ。毎年、春先に大移動するけれど、ぼくは机の上を拭くだけ。後ろの壁には机を置いて、また窓際の棚も、物置になっている。ちょっと椅子の高さを下せば、同じ列の連中以外からは、見られることはない。ちょっと大切な書籍は目の前に並べる。その中に東京演劇集団KAZEのブックレットの一冊がある。2004年10月発行の「チェーホフと現代」。副題は「いま、なぜチェーホフなのか」。最近、チェーホフが頭の半分近くを占めているので、向こうから合図を送ってくれる。「そろそろ読んだら?」

 こだわっていればいいのだ。

 それを読みたい思いを押しとどめ、『かもめ』の再読を始める。今回はノートを傍に置いて、メモをとりながら読む。人間相関図まで書いている。結構、マジメに入れ込んでいる。普通はしない、傍線を引いたり、書き込みまでしている。一回読んで、もう一度精読。これはもしかしたら、脚本ほとんどにしてもいいかもしれない。全部じゃないんだけれども・・・。

 次は最後まで音読してみようとも思う。しかし、ロシア文学って、名前が長くて、そこで戸惑ってしまうってことが少なくない。ナントカローコフカントカヴィッチって、そこで立ち尽くしてしまう。

 チェーホフの入口に立って、KAZEのチェーホフのブックレットがグワンと浮かび上がった。しばらく持ち歩く。もしかすると、ロシアの医者は酒飲み大会で死んだという噂のある劇作家より、面白いのではないかと思っている。

 

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風呂に行く

 最近夜早く寝て、翌朝早起きの生活をしているが、朝シャワーで体を洗えばいいってもんじゃないナ。

 弥生の湯に久しぶりに行った。露天風呂が、原油高騰で、水だった。水だけれど、入っている人も少なくなく、ぼくもサウナの後何度か入った。

 石油で大もうけしている人がいる。マネーゲーム。金は金を持っている人にしか行かない。金が人間を苦しめる。そこに無頓着な連中がいるんだよな。そういう連中の流れで苦しむのはやめましょう。こうなったんだ。その都度愉しめばいい。

 津久見に入っての下り坂で警察がスピード違反の検問をしている。ガソリン代がこうなっているんだ。何を杓子定規に。警察のドライバーの状況を考えたきちんとした対応を求める。

 露天風呂が水という経験はあまりできない。あまりできないからその冷たさを愉しめばいい。ぼくは愉しめた。

 人間は人間を幸せにしないと。自民党の政治家にその志がカケラでもありますか?

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自動車道開通

 せっかくだから走ってみよう。ついでに紀伊国屋書店まで。早い。家から書店まで一時間かからない。これならガラスの腰でも行ける。

 ひさしのチェーホフを扱った『ロマンス』。スタニスラフスキーの『芸術におけるわが生涯』でチェーホフが出てくる中巻等数冊を買って出ようとして、雑誌のコーナーに行ったら、『すばる』に『かもめ』の新訳が掲載されていたので、急いでカウンターに。いや「初物」のおかげで幸運だった。やはり、実際に足を運んで探す作業をしないといけないし、チェーホフを読めっていう流れに乗ってしまったようだ。ビールでも飲むか。

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無責任な工事

 津久見に向かうある場所で工事中のまま放置された場所がある。もう数か月何もなされていない。工事中の信号だけが置かれている。もしかして、自動車道を使わせるための魂胆か? あの行政の鈍感さに、怒りましょうよ!

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そしてぼくは途方に暮れる

 大沢誉志幸がテレビに出てて、歌ってた。『そしてぼくは途方に暮れる』はある時期よく聴き、よく歌っていた。あれから20年後、ある女性教師がカラオケで歌い出したことがある。清楚で可憐な彼女が、男の歌、それもかなり昔の歌を。そのズレが結構感動的だった。それだけで、ぼくは彼女が好きになった。男物のシャツを着て格好つける、そんな可愛らしさがあった。飲みに行こう、と、誘うのはその歌を聴きたいからだったが・・・そんなことを思い出した。今頃どうしているんだろうか。旗揚げ公演には来てくれたけれど、今回は?

 

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中学校の運動会に行く

 席取りは我が家ではしない。どうせ競技や演技によって子どもをよく見れる場所は変わるから、いつも移動するからだが、小学校と違って開会ちょっと前に行ったら、席は空いていた。小学校との温度差を感じた。

 ただ今日は別の目的で移動した。カメラと紙袋。その紙袋には芝居のチラシが入っている。それをそれらしき人(?)に配ろう、と。それで、今日は動く量が多かった。午前と午後、体育館のコンクリートの上でうたた寝をした。

 子どもの中学はぼくの卒業した中学。小学校もそうだったが、校歌は変わっていた。ところが、中学の校歌は変わっていなかった。懐かしかった。

 さて、あと4週間の取り組み。6月14日に向けて心身を整えていかなくては。

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『釣りバカ日誌19』にチョットだけ参加して(補足)

 釣りバカは映画バカみたいなことを書いたが、その辺について少し。

 昔、『俺達のDJ』という単発ドラマにスタッフとして参加した。矢崎滋、浅野ゆう子が出演し、撮影は大泉の東映のスタジオとロケで制作した。照明は東映の人たち。照明の仕込みに時間がかかっているのでディレクターが「まだ時間かかるのか」と訊くと、「テレビの人間みたいにいい加減な明かりはつくらねえんだ」という声がかえった。また夜のロケでは、照明の人たち(結構高齢だったけれど)、2mほどのコンクリートの塀の上に立って明かりをあてた。テレビが社員なら、映画は職人という感じがした。ぼくがテレビを辞めたのはそういうところがあったからだ、とは断言はできないが、姿勢の甘さには辟易したことが少なくなかった。

 バカ映画はどうしようもないが、映画バカがつくった映画は面白い。船を揺らせ、という監督の指示にそのバカの片鱗みたいなものを感じた。面白くなるかもしれない。上映が待ち遠しい。

 さて、佐伯市役所の「釣りバカ支援室」で今後の情報を;

 http://www.city.saiki.oita.jp/turibaka/turibaka(bosyuu).html

 さて、今回の『雨の街、夜の部屋』も結構面白いはずだ。おそらく、今まで経験したことがない質の面白さだと確信している。ご来場、喉から手を出して、待ってます。

 6月14日(土) 6時半開場、7時開演 弥生文化会館です!

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『釣りバカ日誌19』にチョットだけ参加して(3)

 撮影に使った民家とその周辺にはスタッフ、キャスト、それに市役所の「釣りバカ支援室」や炊き出しの主婦のみなさんで100名を超える人がいた。地域を巻き込んでの制作は一つの戦略かもしれないが、映画は金がかかる。

 酒の席だから基本的には何を話していてもいい訳だが、助監督から「適当に話していて下さい」の指示は素人にはちょっと曖昧ではなかったかと思う。ぼくは右隣の人と「話せったってねえ・・・」みたいなことで誤魔化していた。

 待つことが多かったが、その場を離れることができずに待つ間に疲れと倦怠の入り混じった思いに沈んでいきそうになった。西田さんは、佐伯音頭や鳥羽一郎のCDをかけて、その辺を助けてくれた。あれがぼくら素人への思いやりだったのか、それとも彼自身の退屈しのぎだったのかはわからないが、どうも前者のような気がしてならない。役者の皆さんはその辺を上手に処理しているのだろうナ。

 常盤貴子さんは、意外に小柄だったが、美しい人だった。サインや写真を職場の同僚から頼まれていたが、ぼくの脳裏はしっかりと刻んだ。それでいい。それだけがいい。

 休憩時には次回公演のチラシを配って回った。取材に来てた小笠原アナウンサーにも渡して、よろしくお願いした。

 宴会のシーンは4時過ぎに終わった。しかし、浜ちゃんを見送るシーンがあるとかで、数人が残され、その中に入ってしまった。宴会の終わりだから、それに見送るのは外。暗くなるまで待って。3時間近い待ち。脚本は忘れたし、本は車にあるものの老眼鏡を忘れていた。こういう時に限って夕日は踏ん張る。そして外は冷えてきた。

 

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『釣りバカ日誌19』にチョットだけ参加して(2)

 8時半に地元キャストが集合して「釣りバカ支援室」の人の説明を受ける。それから控え場所に移動。優しい笑顔の婦人の家。その家に2室を借りているということだったが、ぼくが入った部屋は自然に男だけになっていた。そこで助監督から、衣装の点検を受けた。誰も問題はなかった。

 10時前に撮影場所に移動。宴会のシーンで、これまた民家を使い、二間をぶち抜いて、テーブルには酒や御馳走が並んでいる。座る位置を指示される。ぼくはその家の家主(竹内力さん)の隣。家主は子どもをそばに置いており、その子どもの隣が浜ちゃん。その家には窓に暗幕を張りめぐしており、日中に夜のシーンを撮影しようという考えのようだ。

 「盛り上がっているシーンなので、目の前のものをある程度残して食べて下さい」という指示が出る。「ある程度」が「どの程度」なのかわからないが、少しだけ食べた。美味しさなんて感じることはない。かなり不味ければウエッとなるかもしれないが。

 西田さんと竹内さんが座る。西田さんは気負いを与えずに空気を作る。竹内さんは、オールバックの凄みのある映像とは違い、好漢の風情。彼、休憩中にミカンやお菓子を子どもを中心に配っていたもんな。

 武内さんの妹役の常盤貴子さんが入ってくるまでのシーンを午前中に撮った。常盤さんはいないままだ。映画って面倒なことが沢山ある。テレビなら、スタジオにセット組んで数台のカメラ(助監督は「写真機」って言ってたナ)で撮るからもう少し早いかもしれない。テレビと違い、映画は現地主義が強いのかもしれない。

 そうこうしているうち、左隣に俳優が来た。安藤優也(この漢字で間違いないか?)。彼が高校生の頃、授業をしている中にいた。佐伯の春祭のステージで見たことがあるが、まさか、こういう形での再会、とは。彼も意外だったようだ。そうかも。

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『釣りバカ日誌19』にチョット参加して(1)

 『釣りバカ日誌19』の撮影に地元キャストとして参加した。地元キャスト。エキストラとどう違うのか。サルに3本毛を足したら人間になるみたいなことを言われたことがあるが、それに倣えば、エキストラにかすかな産毛の気配があるのが地元キャストかもしれない。他人が見てもわからないし、本人にも自覚はない。

 仕上がった作品の中では1、2分程度のシーンかもしれないが、そのシーンを何カットにも割って撮るから、時間がかかる。8時半に集合して、10時から撮影に入り、撮影地を離れたのが9時頃。『釣りバカ日誌』は、映画バカ日誌」でもあるように思った。その辺のことをこれから数回に分けて「感想文」を書いてみようと思う。

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猫に噛まれる

 土曜日の朝、草取りをしていたら、ちょっと付き合いのある猫がやってきて、撫でていたら、左手をガブリとやられた。

 それが次第に腫れてきて、痛く、夜の練習の頃にはハンドルを切るにも不自由なくらい。今、やっと、痛みと腫れの部分が狭まってきた。医者嫌いのぼくも、さすがに、これは行った方がいいかなと思ったものの、あれこれが重なりのついつい。ああいう猫は雑菌が多いらしく、要注意だな。

 犯猫は、しばらく餌をあげずにいた。しかし、今朝犬と散歩に行く時、玄関の向こうで泣いていて、それが謝っているというか、詫びを入れているように聞こえたので、あげた。

 考えることが多かった事件だ。

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コメントを読んで

 「一跡二跳」解散のコメントに、すぐに劇団のHPを開いた。

 古城氏の解散の言葉。

 よく続いたと思う。

 大分の高校演劇の大会の審査をしてもらった時、大会後、大分のアパートで飲みながら話したことが思い出された。

 多くの劇団が核分裂を起こして変わっていく中「一跡二跳」は古城、奥村らの熊本大学演劇部、アマチュア時代の「ボヘミアン」、そのメンバーが仕事をやめて上京して結成した堅固なつながりがあったからだと思うが、着実な成果を積み重ねた年月だったと思う。ここまでやれば、芝居の方が彼らを離すとも思えない。終わりは、常に新しい始まりでしかない。

 お疲れ様でした。更なる充実と飛躍を!

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訊いて驚く意外な事実

 今回のキャストは6人。その中の4人が、ナント、血液型がO。だから、何ということもないけれど、珍しいケースではないだろうか。

 血液型で性格やらを分別する方法があるが、信じられない。そんなに人間は単純ではないと思うのだ。血に考えさせるな。血に行動させるな。血を支配しなければ。

 もし、反論する人がいれば、是非公演を観たうえで、「これこれこうだから、だから」という形で反論して欲しい。そしたら、そこで考えます。今回はO型公演(大型公演、と、間違わないで!)。キャスト100人くらいの芝居をすれば・・・。不可能ではあるけれど、その時に60人がO型だったら、これも壮絶な面白さだよね。

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佐伯春祭りに行く

 佐伯の春祭りは楽しい。数年前、小学生になった子どもが行きたいというので連れて行ってから、その面白さを知った。だから、ぼくにとっては年末年始の行事より、生活には欠かせない。

 ビールを飲みながら、つまみをxセコセコ買って歩く。人間ウオッチングの面白いこと。時々、声がかかり、卒業生だったり、釣りバカのオーディションで会った人だったり、立ち話だから、話が長くなることはないのもいい。子どもももう自分で動くから気楽なもんだ。

 城山の桜も盛り。のんべんだらりの時間を過ごす。こんな過ごし方は滅多にできない。

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花冷えとはよくぞ言ったものだ

 しまおうとしたストーブが離しがたい。花冷え。

 もしかすると、桜の花には温度を下げる効果があるのだろうか。あるいは、せっかくの時期を近くでバカ騒ぎする酔っ払いへの殺意だろうか。

 山のあちこちで今自分の在りかを教える桜。やがて、緑に隠れてしまう。

 20年くらい前、ある場所である女性と桜並木を歩いた。桜並木が終わるところで、また明日会えるような感じの挨拶で別れた。もう会うことはないとわかっていたのに。お互いに恋心を届けてはいけないことがわかっていた。夜の桜を見ると思い出す。縮こまった身体の中で、そんな思い出が明滅する。桜が散って、思い出も思い出の淵に沈む。また、来年、か。

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『釣りバカ日誌』オーディションを受ける

 佐伯でロケが行われるということで、芝居仲間と受けました。若い連中にいい経験になってくれればと思う。

 今日のオーディションは地元キャストということで、エキストラとは別物とかで、24名が集まっていた。うち、男性が13名。鶴岡高校の演劇部出身者がいた。

 一班4名で40分前後。まずカメラを向けられて、簡単に自己紹介。次に一人一人に幾つかの質問。ロケと仕事の関係はみんな訊かれた。

 そして受付で渡された前回の作品のシナリオの一部(登場人物は4人)を4人で役を換えて一通り読む。ただし、佐伯弁に直してという条件付き。ぼくの班にはうちの若手(ぼく以外はみんな若手だけれど・・・)の女性、大工の棟梁と保育士の女性。棟梁と保育士は方言がうまかったな。ああ、そういうの聴いたことがあるな、と。

 面接官は助監督二人と正体を明かさなかった人の3人。結果はともかく、ああいうのを経験するのは面白い。ただ、悔しくてならないのは、面白い人材が集まっているのだから、そこで芝居仲間に勧誘すればよかったと悔やまれる。佐伯の芝居の人材は結構多いことを確信した。

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美少女は何故美しくないか

 それは「美の少ない女」とも読めるからだ。

 クリントンとオバマのアメリカの民主党の大統領予備選。クリントンはどうにか巻き返したが、ぼくには、クリントンと顔がどんどん悪くなっているように思う。人間はとことんの状況で出てくるものがある。たぶん、クリントンは悪い方向に向かっているのではないか。

 一方、日本国の首相は顔が変わらない。彼は大臣に任せっきりなんだろうな。これは大変だと思えば、顔が変わるのではないか。首相を辞めて、吉本で「ボケ」を教えた方がいいかもしれない。

 「芝居より現実の方がすごくなっている」とかいうようなことを、つかこうへいは言った。今の国会議員は、次を考えている。でも、「次」は自分の保身のみ。つまり、無能な連中なんだ。自分に恥じない投票をしよう!

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大分演劇祭

 先日、朝日の朝刊で紹介記事が出ていた。主催がワルキューレの原尻。原尻は彼女の高校時代に知り合った。ただ、ワルキューレの舞台は好きではない。以前観た時よりは進化しているのかもしれないけれど、ぼくとは方向が全く違う。ただ。

 ただ、演劇祭の試みは失敗して欲しくない。他の劇団も参加しているのだから、それが夫々の今後にプラスになることを祈るばかりだ。

 佐伯の片田舎のぼく達は、佐伯で活動をする。ぼくは演劇祭には興味がない。ただ、佐伯でうちが前座で競演したいのが安心院の「彩風波」。彼らは、高校演劇の大会でも裏の仕事を手伝ってくれたし、昨年のうちの旗揚げでも最後まで手伝ってくれた。初代主宰者の安部、二代目赤谷。ぼくの尊敬する人物だ。ぼくは彼らと競演できるなら、いつでも安心院に行く。もっとも、彼らから受け入れられるかどうかはわからないが・・・。

 まッ原尻も頑張っているから、それなりの成果を。

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45円の差について考える

 酒の買い置きはしない。あると飲んでしまい、翌朝まで残ることを心配しているからだ。カップ酒を買う。黒霧の20度を2本。この黒霧のカップが店によって値段に開きがある。ぼくが知っているところで一番安いのは205円。一番高い店では250円。250円では買わない。高い店で10本買えば、安い店では12本買える。

 最近は定価という言葉が消えたように思う。小売希望価格が、最近はオープン価格。どんどん意味不明の言葉になっていく。

 消費者が賢くならなければならない。

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ムーディに右から左へ

 とにかく書籍を処分したい。家で読めないものは職場に持っていき、昼休みに右手で箸を、左手でページをめくりながら読む。今までのナマケが情けない。

 ただ、戯曲を読むのが早くなった。ぼくは読むのが遅く、小学生の娘の半分かもしれないと思う。でも、遅いなりにいいこともあるのだとは思う。そう思うしかない。

 読んだものは処分する。手元に残さない。芝居関係以外の本を処分する時は辛かった。しかし、今後は可能な限り残さない。現在は演劇誌。それが終われば、単行本、全集。部屋の床が少しずつ広がっている。少しさびしい。でも嬉しさの方が大きい。

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面白いブログ

 熊本から公演に駆けつけてくれる医師のブログ。面白く、考える。

http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/

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『電車男』に縁がない

 テレビをつけたら映画版『電車男』をやっていた。以前、帰ってテレビをつけたらテレビ版の再放送をやっていて、最後しか観ることができなかったが、テキトーに自分でつないで、楽しめた。今回の映画版も最後の10分くらいしか観ることはできなかった。嘘っぽいところはたくさんある。でも、現代の「シンデレラ物語」として、ぼくは好きなのだ。

 食と性の氾濫は、自分を確かめる最後の領域ではないかと思う。美食ブームと、アダルトビデオや各種性絡みのあれこれは、私を確かめる作業になっているように思う。『電車男』は、そういう時代に高く反旗を翻した。それは夢物語。しかし、誰もがみる夢のだ。

 ただ、一部しか観ていないけれど、ぼくはテレビ版に軍配をあげる。映画版の電車男はカッコよすぎるのだ。テレビ版の電車男はいい。ネットの処理も面白い。そして、何よりも、電車男が鳴らす携帯を取る時の「エルメス」の指の美しさ。

 一度、まとめて観たいと思う。『電車男』は夢と希望にあふれるドラマだと思う。

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国体の影響

 次年度は、小学校のい運動会が6月になるらしい。うちの学校もボクシングの会場になっている。教員の中には選手もいるし、運営にあたる人もいる。そんなこんなで運動会の日程も変わるようだ。

 大分には二順目の国体。ただ、国体の在り方も考えた方がいいと思う。開催県になることで、すべての競技に出場できて、出場すればポイントになり、だから天皇杯や皇后杯を取ることができる。加えて、結果的にスポーツへの理解と参加が増えれば、いいことだろう。しかし、現実的にそうなのだろうか。全く無縁な人の方がはるかに多い。国体やるぞ!じゃなく、すみません、協力をお願いしますという姿勢が全くない。財政困難な時に、プールのそばに会場をこさえて。今ある場所を使うべきではないのか。金のかからない国体を提案すればいいのに。そういう業者を儲けさせるための国体じゃないだろう。

 それで、もしかすると公演日程にも影響があると思う。

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唐十郎が

 今、浅見光彦シリーズのドラマに出ているではありまんか。いい顔になっています。昔は小太りのおっちゃんだったけど、いい。人間は顔をつくっていく手本みたいだ。

 熊本に白河があり、その河川敷に赤テントが立った。土手には長蛇の列。やっと入れたら、、「みんなで声を出して前に詰めましょう」の掛け声で、身動きできないくらいに詰めて。テントの向こうが開くと、向かいの川岸から飛び込んで、泳いで、舞台に上がって長靴から水をジャバッとこぼす。こんなのありか!の連続だった。

 ぼくが一番好きな演劇人は唐十郎。何だろうと、出没してほしい。 

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出会った言葉(8)

この地球という星のすべてのいのちは、遠い昔、ほおき星のしっぽに乗って、宇宙のむこうからもたらされたものらしい。だとしたら、わたしたちの哀しみは、遠い遠い星のかなたからやって来たんだ。宇宙のはての哀しみと孤独の深さ。そのことを思えばね、わたしはもう少しやっていけそうな気がするよ。 竹内銃一郎『ラストワルツ』

 ジョイスの『若き日の芸術家の肖像』で主人公のスティーブン・ディーダラスは、地理の教科書の余白に自分の住んでいるところを小さいところ、つまり番地から広げていって宇宙まで書く場面がある。宇宙の中では微小な存在、命だけれど、確かに生きている。悩み、苦しみ、そんなもん、ちょっとズームアウトしてみれば、大したとない。そんなことを考えた青春の日を思い出させる台詞でした。          

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動いていた時計

 部屋を初期化しようとしている。かなり思い切って捨てている。本をかなり捨てることになる。思い出も捨てることになる。少しずつ、思い出を指でなぞりながら、ポイ。そのあれこれの中から昨年、旗揚げに使った時計が出てきた。

 HIHで買った1980円の時計。文字盤が大きく、秒針は音を立てない。芝居が実際の時間と同じスピードで進むことを示すためにぶら下げた。

 その時計が動いていた。秒針の音がしないために気付かなかった。ほぼ正確な時間。あの日電池を入れて、・・・。

 あれから流れた時間。どれだけのことをしてきて、何ができるようになったか。次の公演に向けて、始動する。

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鴻上尚史『天使は瞳を閉じて』の思い出

 高校演劇の生徒の日常は大変だ。まず十分な練習場所がない。以前顧問をしていた頃は幾つかの学校に行って、演劇未経験の顧問の何かの手助けにになればと指導の真似ごとみたいなことをしたが、たとえば、体育館のステージだったりする。バスケやバレーの声の中での練習。そして、そのステージで学校公演。体育館のステージは演劇には向かない。声が届かないし、ましてや雨でも降れば、雨音が声を消す。加えて、貧弱な照明器具。

 そういう過酷な状況で頑張っている演劇部員に、卒業する時に満足いける舞台で上演させてあげたい、と、「卒業生公演」を始めた。その最初の舞台が『天使は瞳を閉じて』だった。鴻上氏は快く上演許可をくれた。その許可はコピーしてみんなに配った。本物は切望したキャストの一人にいった。

 この時のメンバーは安心院や三重からも参加してたけれど、みんな懸命に取り組んだ。凄い連中だった。高校生だけではキャストが埋まらなかったので、顧問も参加した。制作は、顧問劇団「Officeせんせいしよん」。練習場所は大分の上野の森の「出会いの村」。

 「出会いの村」は、才気煥発の糸永という教師が紹介してくれた。糸永に連れられて「出会いの村」の村長の安東静夫さんに会った。芝居の練習には申し分のないスペースを彼は家の地階に持っていて、「あなた達が使ってくれるなら、あれも喜ぶでしょう」と感激的な言葉で簡単に許可してくれた。それから安東さんとは芝居以外での付き合いがあった。感謝に尽きない人だ。

 最終的に福岡から照明の人間を呼び(彼は、生徒が数週間かけて作った装置を、重すぎて運べないので、簡単に作ってしまった)、どうにか上演できた。おそらく高校演劇ではできない舞台だった。

 高校生はある程度環境を整えればとてつもない能力と行動を発揮する。高校生畏るべし。無限の可能性を秘めている。侮ってはいけない。そういう存在として向い合わないと。

 以上、思い出の一部でした。

 

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出会った言葉(7)

たちの悪い連中と一緒にいたんじゃ、こっちの頭までよく炒られたポップコーンみたいにカスカスになっちまう。真保裕一『ボーダー・ライン』

 身の周りを見回せば、よくわかる。つぶされない程度に厳しい方がいいのだ。人間は自分に甘くなれば、どんどん落ちていく。まずいと思った時は、かなり重症だ。だから、そういう場所、そういう人間を求めていくことが人生の正解へと至る近道だと思う。となりの奴が眠りこけているから、自分も、ではいけない。お互い、ちょっとだけ無理して充実の生活を送りましょう!

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思いと眼差し

 何かを思えば、眼差しはそちらに向く。体はそちらを向かなくても、時々眼差しだけを向ける。ただ、いつまでもそのままだと、その思いは昔の夢という形で化石になってしまう。

 見果てぬ夢を追い 敵わぬ敵に敢えて挑み 耐えがたい悲しみににも耐え 行こう、勇者も避ける道を 正せ、正せぬ悪を正せ 清く純なるものを愛し 両の腕、疲れ果ててもなお届かぬ星に手を差し伸べよ

 映画版『ラ・マンチャの男』の吹き替えの「見果てぬ夢」の語り部分。田舎の老人はドン・キホーテと名乗り、遍歴の旅に出る。

 仕方ない、そんな言葉を覚えるために生れてきたの? これは中島みゆきの『はじめまして明日』の一節。何かのせい、誰かのせいにするのはやめて、思いも眼差しも体も、向けていよう。少なくとも職場を離れている時は。

 始業式の朝。自分に喝をいれる。

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初釜

 茶道部の生徒と先生のお宅での初釜に行く。一年生だけだが、15人いる。それでうちの和室には入りきれないので、という事情もあるのだが。

 茶道ってのは結構面白い。今日知ったことだが、畳のへりを越える時、右足か、左足かという決まりがあるようだ。先生は生徒一人一人にその作法を教える。ぼくはもう一人の顧問にどういうルールでそうなっているか訊いた。右足は上り、左足は下りだそうで、部屋に入る時、まず床の間に向かうが、その時は上り。床の間から、部屋を斜めに行くがそれは床の間から離れるので下り。そして釜の方に向かう。それは上り釜から離れる時は下り。この理屈をまず理解すれば、後は足の運びの練習だけすればいいのだが、生徒は、壊れたロボットのように歩く。おかしくて・・・。

 脚本を脱稿したら、茶道の本を読んでみようかと思う。

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Windows Mail の功罪

 アウトルックの時は迷惑メールの消去が朝と夜の仕事の一つだった。Vistaではウインドウズメールになって、迷惑メールを自動的に消去してくれる。ところが。今日、自動的に消去されたものを開いたら、友人がブログを始めたというメールがあった。Spamの表示もないのに。それで急遽「推奨」の設定を変えた。

 便利の裏にはとんでもないことがある。便利に頼るのもほどほどにしないと、そこで失うものがある。そういう教訓を与えてくれる。気をつけましょう!

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お宝なんていらない

 テレビで自宅の宝物の値段を鑑定する番組がある。好きな番組の一つでよく観る。こんな物にこんな値段、と、驚いたりするが、逆の場合は嗚呼可哀そうにとゆるやかなジェットコースターみたいなものだ。大分でも愛媛でも土日の昼間なので(司会の島田伸介は「こんばんわ」と挨拶をする)、家族で昼食がてら観ることもある。子どもが「ひには何かお宝はある?」と質問しないのは、すでに見透かしているからだろう。

 神戸淡路大震災の時、大分のある人のグループが春休みに子どもたちを招待したことがある。ぼくは神戸まで迎えに行く役をやらせてもらった。船の時間までかなり余裕があったので、神戸を歩いた。潰れた家々を見て、モノを幾ら集めても、こうなったら、どうしようもないと思った。モノより思い出の方に軸足を置いた方がいいと痛感したのだ。地震にグラともしない家を造ればいいのだろうが、無理。

 宝物より、宝のような思い出を!

  

 

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仕事始めは女子学生4人とのロングトーク

 仕事始め。といっても、実質的な仕事始めは始業式だから、生徒の仕事はチラホラ。受験を控える生徒が個人指導を受けたり、部活動程度。新年の挨拶をして、多くの教師はパソコンに向かい、試験問題や3学期の教材準備をする。10時過ぎに今年送り出した卒業生が4人来て、3時まで話して、帰った。昼食抜き。

 4人とも進学先は異なる。彼女達から学生生活のあれこれを聞いた。生きた情報は後輩に役立つ。話を聞いて共通するのは、勉強が大変だということ。高校時代の方が楽だったと口を揃える。レポートや小テスト、資格試験、進級試験。そして睡眠時間数時間の実習。行った先の学校もまた生き残りをかけてより良い学生を育てようと一所懸命なのだろう。昔とは違っている。昔の学生よりは勉強しているんじゃないか。ただ、その方が幸せなのだ。

 また、同級生の動向をこれまた根掘り葉掘り。恋や合コンやあれやこれもそれなりに活発なようだ。後2,3年もすれば大人になった姿になるのだろう。それにしても5時間。よく話したものだ。

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