『エレジー』を観る

 大学の先生と女学生の恋愛。石田純一と東尾理子以上の年齢差がある。女学生は本気になるが、男は相手の本気を受け容れることができず、逃げる。男が相手を受け止めようとした時には、もう取り返しがつかない状況になっていた。

 高校教師と生徒との恋愛も沢山あるだろう。ぼくも幾つか知っているし、中には悲劇的結果に終わったものもある。ぼく自身、昔昔のそのまた昔、ある生徒を好きになったことがある。好きだと自覚してから一週間ほど考えた。考えに考えた。相手の両親に土下座して、結婚を許可してもらおうとも考えた。一週間で終わったのは、二人での生活を考えた時、何を語り合えるのだろうかという疑問を覚えたからだった。25年ほど前のこと。

 高校から大学に舞台をかえると、話は違ってくる部分があるだろう。大学だから高校のように「スクールセクハラ」が表に出るのが少ないかもしれない。

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『百万長者の初恋』を観る

 一度目覚めると、あれこれと考え、もう眠れない。で、起きるものの、とりあえずテレビをつける。『百万長者の』って、アメリカの古い映画かと思ったら、韓国映画。解説を読む限りでは、魅力は感じない。ところが、結構面白かった。

 韓国映画のいいところは、直球を投げるところ。昔の日本にもそういうのはあった。しかし、ダサイとかで拒否された。しかし、韓国映画では、バンバン投げてくる。それが魅力になっているように思う。『百万長者の初恋』は欠点が幾つかある。しかし、それで破綻することがないのは、直球の志が溢れているからではないか。

 ヒロインを演じた女優がいい。可憐な花を持った女優で、蒼井優の線か。ああいう線の女性は好きなのだ。

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『うた魂』を観る

 高校の合唱部が舞台。観終わって実に清々しい気持ちになる。主演の女の子がいい。観終わる頃、ちょっと成長した女の子は、輝き、美しくなっている。その辺が魅力的に演じられている。ガレッジセールのゴリが野蛮な純情で物語を面白く転がしていく。おかげで、気持ちのいい朝を迎えることができた。

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『愛おしき隣人』を観る

 ぼく達が日常触れる「劇的」なものは、家族、友人、職場や学校ものだろう。ただ、あまりに慣れっこになっているので、ちょっとした変化に気づかないことが多い。何か事件が起きた時、「いい人でしたよ」というコメントが多いのは、そこにあるのかもしれない。

 この映画はある町の一区画の人たちの断片を淡々とつなぎ合わせている。基本的にはワンシーン、ワンカット。カメラは動かない。大きなことがある訳ではない。誰かの死はあるが、殺人ではない。何かが生まれ、何かが消えて、それは誰かが大騒ぎするようなことではないが、遠い国の生活の違う彼らの日常は、共感やら反発やらの様々な感情を呼び起こす。監督の勝利。この世界は映画でしか表現できない。

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プレミアム8蜷川幸雄篇を見る

 今月号のある演劇雑誌で蜷川特集をやっていて、演劇評論家の長谷部浩に応える蜷川とは違った内容だった。

 ぼくが東京で働き始めた時、最初に観たのが蜷川演出の『ロミオとジュリエット』だった。演技、芝居のつくり方が覆された。『NINAGAWAマクベス』では赤毛芝居が日本の芝居になっていた。

 長谷部とは違いながら、NHKのあゆみさんも良かった。結婚しても、しばらくは「黒田」だったような記憶があるが、鋭さと適切に配慮があった。民放ではできない。

 蜷川は話す時口に手を当てることが多い。右手で左手の中指を引っ張ることもある。

 観て、聴いて、感じる。芝居は共同作業。

 新鮮なジジイだ。

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『釣りバカ日誌19』を観る

 ゆきさん、さすが漢字検定2級ですね。あれって、読み方が、「まんじゅしゃか」と「まんじゅしゃげ」の二つがあるように思いますが。どうなんだろう。

 ジャイさん、あれって、植物なのに葉がないじゃないですか。どうやって光合成やってるんですかね。彼岸に咲くから彼岸花なんだろうけれど、あの世を思わせる不思議な花です。

 さて、娘たちはカラオケやら買い物に行き、彼女たちの母親は東京に3泊で行っている。半年ほど前に彼女が買ったDVDを観てみるか、と、なった。

 「まだ観てないんですか」と何度言われたことか。何故観ないといけないのかがわからない。地元キャストということで画面に端っこにいるだけじゃないか。今日、観たのも、ケーブルテレビで、伊勢正三が作って歌う佐伯のイメージソングが流れていたので、映画の中で佐伯がどう扱われているか知りたかったから。

 胃カメラの場面で笑い転げた。西田敏行ってああいうのがうまいなァ。ただ、山本太郎と常盤貴子が車に乗って、高速を降りてから坂道を下るシーンがあるが、あれが佐伯のどこなのかがわからない。昔、「特捜最前線」で佐伯ロケが行われた。放映を観ると、西田病院で、「ちょっと外で話しましょう」の次のシーンが、鶴見町だった。車で30分。ウ~ム、そういうことかと思ったけれど・・・。

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『結党!老人党』を観る

 夢は子どもだけのものではない。老人にも夢があって、それに向かっていってもいい。このドラマは老人が夢に向かっていく、面白くて清々しいドラマに仕上がっている。

 キャスティングがいい。主演の笹野高史が実にいい。そして敬老の日に相応しく、ちゃんと夢が痛快に叶うエンディングもいい。テレビは、こういうドラマをもっとたくさん作ってほしい。

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『トランスアメリカ』を観る

 女になる手術を一週間後に控えた「男」に電話がかかる。大学時代に一度だけ関係をもったことがあるが、まさか・・・。結局、息子と名乗るその男を、教会関係者だと名乗り、警察まで迎えに行き、車でアメリカを横断することになる。

 設定は面白いけれど、あと一つ何かが足りないような気がする。それが何かはわからない。「男」に深く入り込んでしまうと、観る者にはシンドイものになってしまうが、サラリとしたものになったために、何かが抜け落ちたのだろうか。ウ~ム。

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『モナリザ・スマイル』を観る

 ぼくが生まれた年から一年間の大学での物語。ジュリア・ロバーツが美術史の講師で、例の独特な笑い声を聞くことができる。

 アメリカは自由な国と言われる。その自由とは何かということも問題にはなる。ただ、アメリカという国は成立事情で、そうならざるを得なかった部分はありように思う。コロンブスが発見して以来、ヨーロッパ各国が入り込んだんだから、それを統一する過程であっちの事情も考えざるを得なかったんだろう。

 自由の国アメリカでも「赤狩り」でいびつな状況だった時期もある。『モナリザ・スマイル』はその辺の時代背景があるように思った。

 自由と身勝手が、今の日本では混同されているように思う。その違いがわかったら、身勝手な連中の人生は確実に面白くなるはずだ。

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『大阪ハムレット』を観る

 父親が急逝して、父親の弟が同居することになる。息子が3人いるが、この3人がタイプが全く違い、生き方も全く違う。

 ハムレットの前に幾つか都市名をつけてみる。おそらく世界中で一番興味をそそるのも、そして面白くなるのも、大阪ではないかと思う。勉強と一番縁遠い次男坊が『ハムレット』を暗記するほど読み、覚えた台詞を大阪弁でいうシーンがあるが、なかなか歯切れがいい。『シェイクスピアの面白さ』で中野好夫が「大阪弁で訳してもいいのではないか」と提案していたのを思いだした。

 ラストシーンで母親が4人目の子どもを産む。ぼくはつい「双子や!」と叫んでしまったが、そうではなかった。双子が断然面白いと思うのだが・・・。街並みの絵に母親の「ごはんやで」という声が流れるのがいい。

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Super Size Me を観る

 昔、アメリカでファーストフードを食べて太ったと二人の女性がその会社相手に訴訟を起こした。結局はそれが原因だと証明できなかったということで敗訴したらしい。それをある映画監督が知り、じゃあオレが実験台になってやる、と、30日間、その会社のものだけを食べて過ごし、それを映画にした。

 最初は入念な健康診断をし、極めて健康であると証明。そして、彼の30日間が描かれる。間に医師や栄養士等の専門家のコメントが挿入される。

 3週間足らずで、体重は10キロ以上増え、医師からはストップした方がいいというまでの健康状態になってしまう。実験を終えると、彼は元の体に戻るようにするのだが、9か月かかる。それでも、はて、完全に戻るか・・・。

 コメントも含め、かなり考えさせられる。ファーストフードをよく利用する人は一度観た方がいいと思う。

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『リメンバー・ミー』を観る

 イタリア映画(だと思う)だが、邦題(だと思うが)が英語でつけられている。極めてセンスが悪い。犯罪的なタイトルだ。

 映画はいい。4人家族がみんな見ている方向が違い、それが大きくなり、家族崩壊寸前までいく。それはどこの家庭でもありそうなことで、だからこそ、切なくなりながら、最後まで観てしまう。だからこそ、フザケタタイトルに腹が立つ。主人公が昔付き合っていて、また再びの女より、妻の方が、女性としてはいいと思うが、・・・。

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「THE有頂天HOTEL」を観る

 とっくに話題から消えた作品。レンタルはその方が安い。

 三谷幸喜作品で観たかった。ただ、笑えない。つくり手の仕掛けが見えてしまうからかもしれない。根っこがない。『アメリカの森』と違うところだろう。

 ホテルが舞台。宿泊客、ホテル従業員、それぞれに話題、エピソード、物語はある。絡ませ過ぎてやしないか。松たか子が邪魔。役所の鹿のかぶり物がいい加減。唐沢の使い方がもったいない。

 伊東四朗が、断然いい。こういう役をやらせたら、最高だな。

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『アメリカの森』を観る

 たとえば『ランボー』を観ると、アメリカの兵士にとってベトナム戦争がいかに大きな精神的打撃を与えたかがわかる。南北戦争以来、幾つかの戦争をアメリカを体験したが、ベトナムで戦死したアメリカ兵士が一番多いらしい。

 『アメリカの森』もまたベトナム戦争で精神に傷を負った人たちが描かれている。是非観ていただきたい。その根の深さを感得できるだろう。レニーという少女が実に可愛い。ここまで演じることができる子役はそうはいないのではないか。毎週5作ずつ借りて、観ているが、ここ最近観た中では文句なしのダントツ。

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『あしたの私のつくり方』を観る

 いつごろだか、限定できないけれど、ある時期から高校生が書く脚本には必ずといっていいほど、ケータイが登場するようになった。大会の審査員の年配審査員の多くはそれに辟易するようなことを漏らすけれど、彼らよりも高校生の日常でケータイの役割ははるかに大きい。

 この映画もケータイが主人公かもしれない。ケータイを上手に使っている。高校演劇の人は、これを観れば、舞台でケータイを使うのがいかに難しいかがわかるかもしれない。ケータイは映画、小説で活かされるが、舞台では難しい。

 いい映画。ヒロインを演じた女優もいい。

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(『解夏』を観る

 光を失っていく男と彼に寄り添う女。丁寧に作られた映画。途中から、感触が初めてではないような気がして、何だ、何だと心が騒いだ。最後、キャスト、スタッフで、わかった。さだまさしの原作なのだ。タイトルの「げげ」というペダンティック。なるほど、なるほど。でも、一見の価値はある映画。さだまさしの誠実さが漂う。

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『選挙』をみる

 横浜市議の補欠選挙を追った映画。候補者と監督は東大の同級生のようだ。選挙の裏が明言されていないものの、言葉や表情、動きに裏が垣間見える。

 石原プロモーションの『黒部の太陽』を観たくてレンタル店に行ったが、置いてなかった。それで5本、テキトーに選んだ。『選挙』は喜劇だと思っていたが、しみったれた実録。でも、そのシミッタレが面白い。子どもはみてもだめ。

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『7つの贈り物』を観る

 今は梅が盛り。朝犬と遊んでいると、2メートルほど先の梅の木にメジロが数羽、花にくちばしを突っ込んで飛び回っている。ほぼ同じ大きさの黒っぽい小鳥も。田舎もいいもんだ。

 さて、我が家の女性陣が『20世紀少年』を観に行くというので、ぼくはウイル・スミスの『7つの贈り物』を観たかったので、一緒に出かけた。

 なんだかよくわからないまま進み、カットアウトのような終わり方。こういう作り方しかなかったのか、という疑問が残る。18年ほど前に高校生と作った『私の中の彼へ』を思い出したラストシーンだった。 

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『探究者たちー野田秀樹』を観る

 昔、昔、文学かじりかけ青年だった頃、「別冊文芸春秋」で毎回作家が「執筆5分前」という文章を書いていた。遠藤周作は、山手線に乗り、グルグル回りながら天啓を待つという内容だった。机の前で考えるよりも、目の前を風景が行き過ぎる場に身を置いた方が確かにいい。

 WOWOWをたまたまみたら、野田秀樹が出ていて、そのまま観た。ワークショップの風景、執筆風景、『パイパー』の稽古と上演、そういうものが映し出された。「最近、舞台、映画、テレビドラマって、人間関係を描いていて、それがドラマだと思っている風潮が強いけれど、必ずしもそうじゃない」という言葉に背中をポンと押される気がした。とにかく、めちゃくちゃ面白かった。野田を読む際の、確かな補助線を得たような気もした。

 観終わった後の興奮。天啓を得たような気がした。よし、書ける。

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『四日間の奇跡』を観る

 人間が好きになる映画。こういう映画は文句なしに好きだ。今まで観た映画の中でベストワンかもしれない。主演の吉岡秀隆は、相変わらずのボソボソだけれど、それも許せる。ちおり、と、まりこ役がいい。そして彼らを囲む人達も素晴らしい。敬愛する石橋蓮司(敬愛する、と書いて、漢字が違っていたら笑うナ)まで。

 映画にしかできない世界、オリジナルだ、と、思ったけれど、原作があるんだな。読んでみないと。

 最近は本も映画も刺激してくれるものと沢山出会っている。幸せだ。

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『となり町戦争』を観る

 面白い。世界のあちこちで行われてきた戦争を日本の小さい隣町の戦争にしたことがすごい。江口洋介演じる主人公の台詞「君だけがリアルなんだ」が新しい感触で残る。

 その後、パイオニアの映像と音の説明会に行った。パイオニアのKUROの映像は引き締まって美しい。それに40万を超すブルーレイの再生のみのデッキやアンプにスピーカー。パイオニアの人に「映画を観るのではなく、映画を体験する」と言ったら歓んでくれたので、そのセット合計で幾らと訊いたところ、250万、だと。宝くじが当たったら専用の部屋をつくって、揃えてもいい。OZAWAのベルリンフィルの「悲愴」を体験したが、映像、音、ともに素晴らしい。宝くじ、当たらないかナ・・・。

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『ありがとう』を観る(1)

 阪神淡路大震災が舞台。娘たちのDVDレンタルについていって、ぶらぶらしていて見つけた。

 あの震災の頃、ぼくは大分から鶴岡高校に通っていて、いつも起きる時間の前に揺れた。揺れたなあ、そんなもんだった。で、暗い中出勤する車のラジオで、「今ナントカホテルにいますが、ガラスがちょっとだけ割れています」とかいう声が聞こえた。学校について、あれやらこれやらの後にテレビで煙を上げる神戸の映像をみて、驚いた。あの日、目覚めてからのあれこれは、昨夜の夕食のおかずが何かだったより明確だ。

 ぼくは鶴岡高校の演劇部顧問のとき、地震で閉じ込められた二人の芝居を書いた。今回、オトナとの上演に向けて書き直している。まず、あれを書いて、高校生に上演させたことを悔やんでいる。申し訳ない。もっと、生きることを鮮明にすべきだった。

 来年1月7日の「拡大飲み会」でぼくは、鶴岡に書いた脚本の「劇的ビフォ・アフター」の脚本を渡すことになっている。来て下さい、愛しい人!

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『パフューム』を観る

 職員室の片隅にぼくの席はある。背後の壁、脇の棚を独占できるので、実に都合がいい。脇の棚は、詰め込めば500冊くらいは置けそうだ。そこを整理している時、『Perfume』という小説をみつけ、最近原書は買わないナと思いながら流し読みしたら、主人公が生まれる時の描写で、悪臭を表すと思われる(メンドーなので辞書は引かない)単語が山とある。それで第一章で放った。今日、そのDVDを見つけた。

 不幸な誕生と生い立ちの男が、神が授けてくれた「鼻」を生かし、香水の調合士になるが、神の世界に「香り」で入っていくというか、そんな物語。よくできているけれど、これは小説の方が面白いかもしれないと思う。素晴らしい香りを、映画では春の楽園の映像を絡めて表現していたが、はて、小説ではどう表現しているのか。そこに興味が湧いた。放った原書で確かめるか? そんな気力、ねえや。

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『カポーティー』を観る

 風邪で早退。歳とると、風邪が長引く。帰りにコンビニで「ルル」の液体を買ったら、これが効いた。18歳の朝の元気だ。これからは、ルル。

 最近、パソコンでDVDを観ることが多い。今日は『カポーティー』を観た。先日レンタル店をウロウロしてたら、売れ筋は何枚もあるのに、売れそうにないそれは一枚だけで、借りられていた。それで次に行った時、あった!

 同名の本をずっと読んでいた。もしかすると足かけ10年になるかもしれない。とにかく長い。時々思い出したように読みながら、あと2,30ページで放置のまま。はて、どこにあるのか。最後までたどり着いていないものの、そこまで読んだ下地はあった。それと、映画は『冷血』を書くカポーティーが描かれていて、それは昔読んでいたので、確かめながら観ていたところもあった。

 『遠い声、遠い部屋』は文庫本で2冊買った。読んでないから、また買っただけのこと。『ティファニイで朝食を』を、オードリーのファンだったので買ったが読んでいない。カポーティーは、まだ作品を発表していないのに、『ライフ』で今後期待できる作家として紹介されたらしい。そんなこんなで買ったんだろうけれど、数ページで、ポイ。『冷血』は最後まで読んだ。読ませられた。タイトル以外は何もおぼえていないけれど。

 映画はよくできていた。主演俳優はうまい。風景の切り取り方も、旅愁を誘う。でも、この映画で何を描きたかったのだろうか。トルーマン・カポーティー。フルネームではない。『冷血』の頃だけを描くにしても、まだ彼を描くことはできたように思う。

 作品の最初、饒舌で周囲を引き寄せようとするカポーティーがジェイムス・ボールドウインの名前を出す。読んでみようか。

 

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『ラブソングができるまで』を観る

 主演のヒュー・グラントは普通の人っぽくて、憎めなくて、好きな俳優だ。共演のドリュー・バリモアも愛嬌のある顔立ちで、やはり憎めない。憎めない二人の映画だが、映画はつまらない。面白くしようとするあの手、この手がことごとく失敗している。新しさもなければ、確かめることも何もない。時間の無駄だった。レンタル店に行く時は、老眼鏡を忘れないようにして、説明を読まなくてはいけない。ん。

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『死ぬまでにしたい10のこと』を観る

 夫にも、子どもにも、母にも、恋人にも、自分に死期が迫っていることを知らせずに、死への準備をしながら、やってみたいことをしながら死を迎える。彼女があたふたしないので、乾いた眼差しで、彼女を見ることができる。不思議なことに、彼女は美しく、魅力的になっていく。

 生きることは教えるのに、死ぬことを誰も教えようとしない。そういうことを言ったは誰だったか。ただ、死は誰も避けることができないし、生きるということは死に向かっていることも確かなこと。交通事故を恐れて、家に閉じこもっていても、地震で家がつぶれたり、飛行機や隕石が落ちてきたりというこも可能性がゼロとは言えない。宗教は、死から今を考える方法の一つかもしれない。ただ、ハムレットが言うように誰も死の国から帰ってきた人間はいないから、死んだらどうなるのかは誰にもわからない。そのわからないことに過度の恐れや脅えを抱えて生きても、おかしい。だから、ぼくは、通勤途中にドッカーンとぶっつかり、ぶっつけられ、死んでもいいような生き方をするしかないと考えている。しかし、いざ末期ガンの宣告をされた時、彼女のように冷静に受け止めて残りの日々を堂々と生きていけるか、自信はない。自分をこれほど考える契機になる映画も珍しい。

 

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『ショーシャンクの空に』を観る

 無罪の罪で終身刑になり、暴力と不正のはびこる刑務所に送りこまれる。脚本が素晴らしい。そして画面も引き締まっていて、最後まで目を離させない。

 『ノッティング・ヒルの恋人』の中の台詞に「男たちはギルダと寝て、私と目覚める」とかいうリタ・ヘイワースの言葉が使われているが、そのリタ・ヘイワースの映画がチラッと出てくる。その使われ方も見事。男たちの歓声もよくわかる。独房の壁のポスターがリタ・ヘイワースからマリリン・モンロー、ラクエル・ウエルチへと変わっていくことで、終身刑の時間の変化も出ている。

 そして最後は、それまでの押さえつけられて溜まりに溜まったものが一気に吹き飛ぶ爽快感。昔、ある同僚の女性が好きな映画に上げた時、何故すぐに観なかったんだろう。そういう素直さ(?)がないと、損することは多いとわかっているのに。大きな悔いと大きな収穫。間違いなく、ぼくのベスト5の一本に入った。

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『最高の人生の見つけ方』を観る

 封切りされる頃のCMで、これはいつか観るだろうと思っていた。昨夜、『ダイハード』を借りに行った店で、最初に目にとまったのも、縁、か。

 発想はいいと思う。しかし、J・ニコルソンを金持ちにしたのがよくない。金持ちだから何でもできる。そういうところで、最高の人生を語られても、ぼくのような昼食400円の人間にとっては接点が見いだせない。色々しなくていいから、たとえば、熊さんと八さんの二人が、という方が断然面白いと思う。

 最高の人生、その見つけ方も、すでに多くの人はわかっている。それを確かめるとこに金で解決してはいけないと思う。日常の当り前の「ほころび」から展開するようにした方がいい。ぼくなら、そう書く。

 昨夜から3本のアメリカ映画を観た。『ダイハード』はご都合、『幸福の追及』は実話だけれど作品の足腰が弱く、『最高の人生の見つけ方』は最高を金で解決した大間違い。腐ってもハリウッドだったのは昔。腐ってしまったハリウッドという印象を受けた。何が原因かは、ぼくなりに考えを持っているけれど、いずれ書くことになると思う。

 脚本を書く上で刺激を受けたかったのだけれど、ダメだった。古典でないとダメか?

 

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『幸福の追求』を観る

 いつかは生活が楽になるかもしれないと思いながらも、なかなかそうにはいかない。啄木はじっと手をみた。鏡で自分の顔をみる勇気はなかったのかもしれないし、鏡を買うこともできなかったのかもしれない。楽にならなくても、生きていかなければならない。それを受け止めて、生きていかなければならない。宝くじが当たった人間を殺して、その金を奪って、生きていけるかというと、生きてはいけない。何故なら、生きるということは積み重ねていくことだから、その積み重ねをチャラにしたら、どうしようもない。やった後で、チャラにした生活が愛しく思えるのではないか。

 実話を基にしたらしい映画だが、主人公には手をみる余裕はない。子どもがいるのがよかったし、それが生きる旺盛を支えていた。映画の最後で、主人公は貧困から脱出できたようだ。制作者のスタンスが曖昧で、何をどう描きたかったのかが、よくわからない。脚本にもうひと工夫があってよかったのではないか。実話が障害になったのだろうか。昔観た、マイケル・J・フォックスの『摩天楼はバラ色に』コミカルに描いていたが、そっちの方がぼくは好きだな。

 世界的に景気が落ち込みつつあるようだ。生活は過酷になるかもしれない。こういう苦しい人もいるけれど、彼のように旺盛に生きることに立ち向かっていかなければ、と、思う。主演俳優はいい。

 

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『ダイハード4』を観る

 落ち込んだ時はバカな映画がいい。その代表の一つが『ダイハード』。やはり、良い。観て、アハハ、そして何も残らない。アメリカ人はこういう映画をつくらせたらうまい。「何が映画が芸術だ、バカヤロー」ってなもんで。

 ただ、あんなに銭かかけて、アホだと思う。アホだと思うからいいんだな。

 大林宣彦の『さびしんぼう』の方がはるかに心は動く。

 でも、いいんだ。時にはこういうバカな映画も。

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『崖の上のポニョ』を観る

 さきほどスーパーに行ったら、突然の雷雨。スパーの明かりが消えた。レジも戸惑い程度の混乱。不謹慎かもしれないが、貴重な経験を楽しめた。

 さて、『ポニョ』。

 始まりの絵がちょっと雑な感じがした。ポニョが母親かと思ったら、そうじゃなかった。それにしてもポニョの旅立ちの理由と目的地がわからない。ただ、最後まで観せるのはさすがだ。ただ、観終わった後、世界が水没した理由、どうやって解決したのか、そもそもそこまでの異変を出したのは何故なのか、それが大きな疑問として残る。映画の中にその糸口すら見いだせなかった。昨夜オリンピックの野球をずっと観て、睡眠不足のため見落としたのかもしれない。もちろん、作品の中の全てに説明は要らないけれど、そこに一人の少女がいること自体が奇跡的なことに支えられているのだと言われれば、ぼくは大きく頷く。でも、その奇跡的なことを描いているとは考えにくい。『トトロ』は小さな田舎町の小さな話で、それが日本のどこにでもある話だったが、ああいう風にはならなかったのかな。ウーム。ただ、観て損はない。全て手描きらしいが、コンピュータ画像が多い最近の映画の中では、手描き故の魅力はあるし、観たあと考えるのもいいではないか。

 チケットを買った後、上映までの待ち時間に書店に飛び込んだら『文学界』があったのも収穫だった。

 

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キムタクの『Change』はいいかもしれない

 今日の夕方初回の再放送を見て、今二回目を観た。現実の政治は国民を全く見ていないが、テレビドラマはテレビの前の人間を無視できない。無視できないからこそ、テレビの前で「いいぞ!」「そうだ!」と思うところが結構ある。そりゃあちょっと(どころじゃない、か?)マンガじみてはいるが、現実の政治に比べてどっちが滑稽だ?

 若い人は観た方がいい。このドラマで描かれるのは政治の虚実綯い交ぜの絵空事かもしれない。しかし、若い人にとってはこれから50年以上を生きる日本だ。その日本を考える眼差しは必要だと思う。キムタク演じる主人公と右往左往しながら、その眼差しを持とうじゃないか。

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『ワールド・トレード・センター』を観る

 ニコラス・ケイジ主演。あの9.11の悲劇。あの歴史的な犯罪の裏でわが身を捨ててでも救助をした人たちに尊敬の念を覚えた。

 鶴岡高校で瓦礫に閉じ込められた脚本を書いたことがあり、その大人版を書こうとしている。そういう時にインターネットで番組表でたまたま見つけて観た。偶然? いやいや、必然なんでしょう。この世の中に偶然なんてない。全ては必然。つまり、書かなくてはならないということなのです。

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『追憶』を観る

 授業で歌を使い、それが The Way We Were 。その歌の解説に映画を出したけれど、自信がなく、借りて、観た。

 それぞれが生き方を持っていて、それが折り合わない部分があり、結局は別れて、・・・。

 新しい映画だけを追い求めるのもいいが、以前に観たものをもう一度観ることで、確かめられることは多い。 ヒロインを演じた女性は歌が上手い。彼女より上手い歌手がいるだろうかと思う。『ハロー・ドリー』のようなミュージカルならいいが、相手役が「きれいだ」という時の抵抗。きれいじゃない。でも、こういう映画をつくるハリウッドって、いいかも。魔術学校のクズみたいな映画よりははるかにいい。

 映画は今が全てではない。過去の作品の方がいいことが多い。

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『ギルバート・グレイプ』を観る

 ずいぶん前に観て、映画NO.1にしていた。それを観た。

 最初の感動ほどはないものの、やはりいい映画だと思った。脚本がいいんだろうな。無駄がない。適度の乾きを入れているので、悲しみにどっぷりということもない。俳優もいい。やはり名作。

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『武士の一分』を観る

 授業で『ゴースト』『ノッティングヒルの恋人』を扱った。脚本を丹念に読まないといけないので、論文を書くような気持ちで読んだ。そして、確信したことは、意味のない台詞はない、ということ。当たり前だが、予想していた以上だった。

 キムタクと山田洋二の『武士の一分』はそういう後で観たので、よくわかった。

 毒見役が、貝の毒で失明する。彼と妻と先代から仕える中元。その三人の心の動きがよくわかる。派手な動きも、妻の不倫での濡れ場もない。決闘にしても。静かな流れの中で、それぞれの心の流れまでがきちんとわかる。

 山田洋二は観客を信頼している。10あるものを半分カットしてもわかってくれると考えている。わからないのは観客のせいではなく、観客の前の人たちに問題がある。

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『ノッティングヒルの恋人』と神田うのの結婚

 『ゴースト』を授業でやって、主人公が死ぬところまで読んで、映画をみせた。一度観てしまうと、どうかな、と、思い。作品を変えることにした。それで『ノッティングヒル』。

 以前観て、面白かった。ジュリア・ロバーツを持ち上げるような映画だけれど、持ち上げてもいいように思う。

 入試に英語が関係ない三年生対象。恋だの愛だのを考えるにはいいかと思った。脚本はインターネットで手に入る。

 昔、キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」と解散した。普通の女の子の幸せを求めたのだろう(じゃあ、それまで異常な女の子だったのか?)。ジュリア・ロバーツ演じるアナは大女優。その大女優が普通の男との普通な生活を選ぶのだが、そこが現実的ではないにしろ、いやだからこそ受けたのではないか。『ローマの休日』のアン王女と新聞記者との恋は結実しないことは見えていた。二人にも、観客にもわかっていた。ただ、そこを変えようととはしなかった。そこを変えようとしたのが『ノッティングヒル』だったのかもしれない。

 『ノッティングヒル』にはオトナの恋愛へのヒントがあるように思う。それについて考えることは、卒業前の生徒にはいいかもしれない。

 そんなことを考えている時に、神田うのの結婚報道。結婚しても遊ぶ、家事はしないと言い放つ。ちょっと違うんじゃないか。アナの結婚は夢を与える部分がある。アナとほぼ同じ歳のうのの結婚は、単なるイベントでしかなかった。バカバカしいほどのショーでしかなかった。

 

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『ゴースト』を観る

 もう何回目になるか。でも、新しい発見もあって、楽しめた。

 カールがウイリー・ロペスの部屋に行き、サムは黒幕が親友のカールだと知る。カールが車に乗って去る時、サムはカールに怒鳴る。その時電車が走る。この一場面も結構考えているんだナと思う。

 映画はどんどん出てくる。新しいものだけを追うより、以前観たものをもう一度ってのも、結構いいと思う。それは本も同じだな。

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『天国と地獄』テレビ版リメイクを観る

 黒澤明の『天国と地獄』は面白かった。それがリメイクされて放送された。

 三船敏郎が演じた役を佐藤浩市が演じた。佐藤はいい役者で、彼のすごさはビールのCMで、それをみるととにかくそのビールを飲みたくなるほどだが、佐藤はじめ多くの役者の力量が活かされていない。作品が全体的にコブリになっており、CMもあり、黒澤映画のこだわりが微塵もなく、土曜ワイドと並んでしまった。

 去年、黒澤映画のカラー作品を覗いてほぼ全部観た。『天国と地獄』は黒澤の徹底がはっきり見えた傑作。黒澤を放送すればいいのに、何故リメイクするのか。わからない。リメイクするなら、超えるもの。その意気込みが見えなかった。

 是非、黒澤の『天国と地獄』を。

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今週の『水戸黄門』

 悪いバカな奴らは相変わらずだが、最近は家族に軸足がある。つまり、あれこれの「政治悪」が家族の絆を強めるという話。

 『水戸黄門』は家具と同じ。だから、旅先で観ても面白くない。日常の中で確かめるものしかない。

 久しぶりの名高達郎も良かった。小生意気な娘も良い。バカな父親を嫌いながら、「死ぬまでバカだ」と啖呵を切る父親に「かっこいい!」と言わせる。そいう脚本は良い。男が観てることを意識してるのだろう。名高の女房役が朝加真由美もいい。ああいう人が女房だったらという願望がある。

 ただ、気になったことが一つ。印籠ではい解決を締めくくる黄門の高笑いの表情が笑っていなかった。里見さん、具合が悪かったか、取り直しで押してたのか、ナ。

 

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「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」はいい

「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」「誰よりも明るく生きた脳性マヒの少年!! 不良少女との恋…友の死…母に残した衝撃の詩に込められた真意とは…感動実話をドラマ化」

 この長ったらしいタイトルを簡潔にすればいいのに、何故こんなに牛のよだれみたいにするのか、感覚を疑う。メインタイトルで十分なのに、ね。テレビ局ってのは、色んなブショがあって、そこにセンスのカケラもないくせにあーしろこーしろというバカがいるんだろうな。

 ただ、いいドラマだった。清潔感のあるドラマだった。清潔感のあるドラマって言い方は清潔感がないかもしれない。素直で真摯、それにもっとプラスしたい気持ち(バカだね)。森昌子がいい。

 タイトルは、主人公が母親にあてた詩の一節。

 飾りも無駄もなく、ズドンと胸に来る言葉。素晴らしい。嫉妬した。

 結構泣いたから、台風、水分はもういいから、消えろ!

  

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今週の『水戸黄門』

 風車の弥七が帰ってきた、ぐんと若くなって。

 黄門軍団は強すぎる。飛猿とか鬼若は壁も壊していた。たとえばターミネーターとかの映画の影響かもしれないが、日本の時代劇は技術を持った連中が知恵と勇気でもっと強い奴をやっつける構図の方がいい。弥七の内藤はさすがに空気に馴染んでいないが、これから「ご隠居」たちとの絡みの中で馴染んでくるだろう。

 『水戸黄門』は日本人の体質から生まれたと思う。人情に篤い国民性もあるが、悪を許せないというのもある。税金を上げながら、それが国民に還元されなかったり、政治家は水に月500万使ったり、そして年金管理の杜撰。積み立てた年金がきちんと残っているかというと、そうじゃない。今まで湯水のように使われてきた。そのくせ、年金が足りないと消費税の値上げとかを考えている政党があるらしい。

 黄門が出て欲しいな。

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印象派の画家たち

 WOWOW。残念ながら2話の途中からだったが、面白かった。書簡や日記等から構成したということだが、印象派の画家達の苦闘と栄光がよくわかった。

 セザンヌとエミール・ゾラが同郷の友人で、ゾラは絵を捨て、小説家として名を成していた時に、セザンヌは認めてもらえず、貧苦に喘いでいて、時にゾラから経済的な支援を受けていた。セザンヌの実家はかなり裕福だったようだが、定職につかない息子に「才能がないんだ」という父に「ありすぎるんです」と応えるセザンヌ。彼がナントカいう山を60枚だったかを描くが、ちょっと位置を変えてという結果だったらしい。

 モネにしても、一つの風景の前にカンバスを数枚起き、光の具合によってカンバスを変えていたらしい。

 徹底したこだわりと、諦めないこと。わが身を思うと、もう少しやってみよう、と、しおらしくなった日曜日の朝。

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『22歳の別れ』について再び

 昨日から色々と考えているが、何故伊勢正三の歌をドラマ化するのかが、よくわからない。『なごり雪』も『22歳の別れ』も別れを歌っているが、後者の別れは余りに漠然としている。ドラマを見出せにくい。ヒット曲で釣ろうとする魂胆しか見えない。まだ、鳥羽一郎の『男の港』の方がドラマ性を感じる。

 大林宣彦の作品では『さびしんぼう』が断然いい。作者の皮膚感覚みたいなものがあるし、切なさがキュンと染み渡る。富田靖子がきれいで、永遠の憧れのように映っている。あれだけのものを作れるからこそ、今回はちょっと落胆。

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『22歳の別れ』を観る

 臼杵や津久見が出てくるし、かなりの人がエキストラでかりだされたので、はて、どんな具合に出来ているのかが気になって観た。

 一言で言えばうるさい。全編音楽が流れて、それがうるさい。そしてその音が少々おどろおどろしかったりする。そして暗い。会場の問題もあるのかもしれないが。

 もう少し流れを整理して、ストレートな物語にした方がいいと思う。内容の薄さを作り方で誤魔化しているような印象を受ける。

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木っ端微塵、『生徒諸君!』への期待

 庄司陽子の『生徒諸君!』を生徒が持ってきてくれて、職員室で読んで泣いたのは、もう20年くらい前のこと。大学時代に下宿していた女子高校生が庄司の『ヘイ、キャシー』を貸してくれて読んで、庄司陽子の名前を覚えた。キャシーが飼っていたセントバーナードの死ぬ場面で泣いたのだった。

 テレビドラマ『生徒諸君』はその流れでかなり期待していた。だから、じっくり楽しもうとぼくの部屋で観た。しかし、場所と登場人物が違うだけの焼き直しで、えげつないだけのドラマになっていた。

 終わると、小学校5年の娘が顔を出し、「『生徒諸君』観た? 面白かったな。続きが観たい」と興奮気味に話した。そして、ぼくが庄司陽子を読んだことを話していたので、「マンガと同じ?」と訊いたので、「マンガの方が100倍面白い。今度買ってあげる」と言った。子どもに否定的な言葉は出せなかった。

 時代が違うといえばそれまで。しかし、新しさは何もない、そう、まさに子どもだまし程度の脚本。「鉄火面」という文科省のエリートの絶大な権力。無気力で無責任な教師t達。そして不気味な生徒。奇形だらけ。もうその手の手法は捨てた方がいいと思う。庄司陽子が続篇でそう書いているのか?そうであれば、悲しみは更に深まる。調べてみよう。

 

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『ロミオとジュリエット』を観る

 『ロミオとジュリエット』の翻案もので一番有名なのは『ウエストサイド物語』だと思う。

 井上由美子版の今回の翻案は、警察と犯人の子どもという設定。対立をそういう形にしたか、と、安易なようで、ちょっと物足りない。最後も人情モノになっていて、別にシェイクスピアを下敷きにした意味が薄い。だからか、最後のヒロインの台詞「だって私たちロミオとジュリエットじゃないもん」が作者の開き直りの言葉に聞こえた。

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『王様の心臓』を観る

 シェイクスピアの作品がテレビドラマになり、明日は『ロミオとジュリエット』らしい。

 シェイクスピアの四大悲劇の中で『リア王』は他の『ハムレット』『マクベス』『オセロ』の中では一番悲惨で残虐だと思うが、それが喜劇になった。オリジナル作品もいいが、名作を現代に思い切って翻案・脚色しても面白いなと思う。シェイクスピア学者は憤慨するかもしれないが、シェイクスピアがこうしたのか、と、おかしくて仕方なかった。西田敏行って、どうやっても彼だから許せるようなところもある。おそらく彼だから出来たのかもしれない。史上最高の肥満のリア王!

 結末をどうするか、それがたのしみだった。オイオイと思いかけていたが、『リア王』に沿った形だったと思う。

 人間の愚かさ。それは至るところで見られる。リアも愚かだったが、周囲の人間も愚かだった。どうやら脚本家は喜劇的に進めるのがしかないと思ったのだろう。正解だと思う。ぼくは昔『リア王』の論文(めいたもの)を書いた。だから観た。満足。もっと観たい。明日の『ロミオとジュリエット』も、論文(めいたもの)を書いている。明日がたのしみだ。小田島訳でもざっと読んでおこうかな。翻案ものは、原作を読んでおいたほうが断然面白いです。

 

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『大脱走』を観る

 昔、勝新太郎の兵隊やくざシリーズの一本を観た。その後アメリカ映画『史上最大の作戦』を観た。日本が戦争に負けたの理由が分かったような気がした。日本の軍隊では上官の前では直立不動で命令には絶対服従。しかし、アメリカの軍隊ではちょっと違った。軍の上下はあるが、人間の上下はない。

 『大脱走』は一人一人の持ち味が活かされて、それが機能していく面白さがある。多くの人が死ぬ。しかしその悲劇の裏で生きることへ向った人たちの懸命が感動になる。スティーブ・マッキーンはやはりカッコイイ。

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『暗くなるまで待って』を観る

 オードリー演じるヒロインは盲目。そこに男達が「獲物」を求めて来る。ヒロインを盲目の設定にしただけで、単純なストリーが膨らみ、面白くなる。一点だけで観客を最後まで引っ張っていく。脚本の設定のお手本だと思う。スピルバーグの『激突』も単純だが、どうも彼の映画全般に言えることだが、人間の感触が希薄なんだな。オードリーファンの欲目かな?

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『50回目のファーストキス』を観る

 美人とは思わないけれど、何か魅かれてしまう女優だった。

 事故で、眠るとと前日の記憶を失ってしまう女性にあの手この手でアタックして、という物語。

 ぼくは入り組んだ物語は好きじゃない。物語を追うのに懸命になって、人間を観ないからだ。物語なんてのは作品の要ではない。その中で人間がどう感じ、考え、どんな行動をするか。そこが面白い。だから『スター・ウオーズ』は映画の技術発展には寄与したが、バカな映画ファンをつくりすぎてしまったと思う。技術を抜けば、あんな映画はゴミでしかない。

 人間を描くことが表現だ。じゃあ、風景画は? 私にとってはこの景色はこぅいう形、こういう色なのだ、ということではないのか。特撮とかCGに関心が向いた時点でそれは表現ではなく、説明になる。映画の内容より、これはどうやって撮ってるのだ?という疑問に傾いていたりする。だから演劇には所詮かなわないんだ。うん。

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ジョン・ヒューストンのこだわり

 ヒューストンは『黄金』という映画で父親を配役している。電話で出演の依頼をして、「歯を全部抜いてくれないか」。日本でもクロサワは歯を抜かせている。

 こだわりと徹底。分かっているんだが、遠慮してしまうぼくはダメなのだな。

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