テレビ局に意地はないのか

 コンサートのドタキャンで沢田研二が「意地です」と語った。
 それを報じるテレビ局こそ意地を出して欲しいと思う。
 いわゆるバラエティ番組ではいつも同じ顔があり、ウンザリしてしまう。あの局が彼を使うなら、うちは彼ではなくアイツを使おうくらいの意地があってもいいのではないか。タレント事務所側は大物を出すなら、こっちの小物も、と、抱き合わせみたいなことがあるかもしれない。しかし、局は観る側のことをもう少し考えた方がいいように思う。
 意地と知恵とこだわり、この3つが、最近のテレビからは消え失せているように思う。

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遠山の金さん

 松方弘樹シリーズのを毎日観ています。
 好きなんで、色んな金さんを観ていますが、松方バージョンが一番かも。
 時代劇語みたいなのと、平語、それに合わせた動き。
 ただ。
 気になるのは、「吟味の上明白でrある。さよう相違ないか」という台詞。明白なら、訊ねるな。吟味したんだから。
 それと「余の者終生エントウ」と申しつけるが、再放送で毎日観ていると、一週間で50名前後になると、その島は大変な人口密度になるんじゃないか。

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そうきたか『ひよっこ』

 NHK朝の連続ドラマの中で一番だと思っている『ひよっこ』。
 行方不明になった父親をどう処理するするかに注目していました。
 まさかああいう形とは。昔の白黒映画で『心の旅路』(だったか・・・)の主人公が同じような、そんなことを思い出した。古典的な処理かもしれないが、いい処理だと思います。

 以前、ぼくは『ひよっこ』には悪い人間が出てこない。人が対立するのではなく、時代と対立しているからだみたいなことを書きました。その考えはまだ変わっていません。
 高度成長期の中で、日本人は家族の絆が希薄になっていったように思います。戦後強くなったのは靴下と女性だみたいなことも言われました。父親が行方不明になって、ひょんな形で驚きの形での再会。
 おそらく、父親が父親になることで、家族は再生するのではないか。現在が舞台では絶対できないドラマ。ああ、でも、若い人には感得できないかも。

 今後の展開が楽しみです。白石加代子も楽しく遊んでいるし、シシドカフカという魅力的な存在もあり、出演陣がみんないい味を出している。とにかく、テレビドラマ史上の傑作のひとつになるでしょう。

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『ひよっこ』はツボを押さえている

 今日の『ひよっこ』は初給料。「給料日のみんなはいい顔をしている」とかいう台詞を和久井映見が言うけれど、ついつい自分の初給料の時を思い出したりしました。

 このドラマには今のところ悪い奴が出てきません。ドラマは対立があって、それを軸に展開することが多い。『ひよっこ』は、対立するのは、時代かもしれないと思いました。だから特に悪い人間を出す必要はないのでしょう。

 『ひよっこ』の今後の楽しみの一つは、父親の処理です。これは難しいと思います。ただ、この脚本家は、かなりの手練れなので、ストンと落ちる形を用意しているのだと思います。楽しみです。

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(『ひよっこ』のタイトルバックが素晴らしい

 ちょっと前にNHK朝の連続ドラマの『ひよっこ』がいいと書きました。

 桑田圭祐の歌も意表をつくけれど、それ以上に桑田の歌のバックの画面がすごく面白い。素晴らしいアイデアと、おそらくとてつもない時間と労力をかけただろうナと思わせる。おそらくNHKだからこそできる仕事ではないかと思います。

 丹念な仕事が、『ひよっこ』の15分には満ちている。

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『ひよっこ』はいい作品かも

 『ととねえちゃん』に唐沢が出るというので、できるだけ見始めるようになった。

 唐沢の痛快な演技で観続けた。

 その勢いで『べっぴん』も観た。でも、後半はぎくしゃくした展開だったように思う。
 『ひよっこ』は、今のところ丹念に描いている。それがいい。奥茨木の生活とか風土、人も面白く描いている。時代を明確にしながなら、一人一人の人をおろそかにせず丁寧にドラマを作っている。説明的でない物語運びがいい。ヒロイン役が、特別美人ではないけれど、だからこそ吸収するようなところもあるし、脇役もいい。

 民放は視聴率で右往左往してるようだ。
 ただ、だから過激な表現をして視聴者は支持するだろうか。
 「そうだよな」と頷ける部分がない。
 過激である必要はないし、ビックリも要らない。でも、医学での警告番組なんか観たくもない。

 観る側の気持ちを「忖度」できていない。

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『くちびるに歌を』を観る

 中学校の合唱部の顧問の音楽教師が産休で、代わりに彼女の友人が赴任する。ところが、この教師はピアノを弾かなない。その辺の設定にどうも無理があるような気がする。そういうのは要らないと思う。

 ヒロインの抱えている問題も深刻。途中入部した男子生徒の抱えている問題も困難。中学生が背負うにはあまりに重過ぎるかもしれない。学校でも町中でも、ぼく達は、制服姿の学生を一様に見ているかもしれない。制服の中の生身の彼らはそれぞれ違う事情がある。その辺を考えずに、「近頃の中学生は、高校生は」と言ってしまう。
 ある学校のある女生徒が夜街をうろつく。何回も注意され、指導された。彼女は母親と二人暮らしだが、母親に男友達ができ、夜になると訪ねてくるようになった。彼女は、男友達が帰るまで、家を出て、街を歩き回ったという事情を知った。そんなこと友達に言えるはずもなく、人を一様に見てはいけないことを教えられた。

 ぼくはこういう映画が好きだ。大作ではない。でも、たぶん、どこかで、形は違うだろうけれど、こういうドラマは起きているだろう。何らかの問題を抱えている若者に、寄り添ってあげたくなる。もしかすると、主役は合唱部が歌うアンジェラ・アキの歌かもしれない。いい歌だ。

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『劇場版 はぐれ刑事純情派』を観る

 おそらく、刑事ドラマで『はぐれ刑事純情派』は一番好きだと思う。自分で好きなのに「思う」というのは何ともいい加減だが、もしかすると、昔大好きだったものを忘れているからかもしれない。

 昨夜、その劇場版が放送され、オネムの時間をこらえて、観た。
 ただ、途中で、腹が立っていた。脚本がひどすぎる。村井國夫演じる刑事の描きようが情けないほどだった。小西博之演じる容疑者も、陳腐。以前どこかで観たドラマの断片をつなぎ合わせたようなドラマだった。

 やっさんの扱う事件は一時間だからこそいいのだ。最後は「さくら」のママから酒を注がれ、鼻の下をのばす安浦。あれがいいんだ。娘二人の父親への対応も面白い。BS朝日とOABで、毎日観ている。「また観たくなる」ドラマだと思う。劇場版は、テレビのいいところ断片もない。一時間を2時間に延ばしたようなムダな場面が多すぎた。

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『ジェーン・オースティンの読書会』を観る

 ジェーン・オースティンの作品とその読書会に参加する人たちの断片が描かれている。ただ、オースティン作品を知らないもどかしさがずっとつきまとう。

 まだ読みかけのまま放置状態の『マンスフィールド・パーク』を探し出した。その腰巻に、

 「オースティンがこれほど重厚的に書かなかったら、恋愛は小説のテーマたりえなかったのではないか」

と、角田光代が書いている。
 700ページを超える長編。もう恋愛絡みはゴメンだナと思うけれど、まァ、ここは枯れ木だからこそ味わえるかもしれない。読んでみるか。

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『アゲイン 28年目の甲子園』を観る

  食べ物好き嫌いも、関心の方向も度合も、女性の魅力やらも、齢を重ねるに連れ、変わります。若いころは、たぶん、何もわかっていないのに「いいね」とかを言い、日本ながらの人情劇を最初から拒否してようなところがあったと思います。若いころはバカさ全開。しっかりしている人はかなりいたのに、ぼくは青年、中年までゴキブリみたいに動いていたような気がします。

 ようやく、自分の物差しで測って、自分なりの良し、悪しを気兼ねなく言えるようになった気がしています。そう考えると、蜷川幸雄は「蜷川天才」というのを表札にしたくらいだから、「譲れない私」が確固としていたんでしょう。

 マスターズ甲子園が主舞台。それに昔の事件が絡む。
 つながる、ということを示しながら、後味のいい映画だった。

 ぼくはアクション巨編とかが好きではない。テンポも速すぎる。だから、こういう映画はすごくいい。中井貴一は相変わらずの演技だけれど、こういう場合には適任かもしれない。


 

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