瀬尾まいこ『図書館の神様』を読む

 中学の国語の講師が主人公。何か大きなことが起こる訳ではない。妻子持ちのケーキ職人との不倫と別れも痛切ではない。ただ、文芸部のただ一人の部員垣内君が素晴らしく、いい風を吹かす。この生徒を書きたいための小説ではないかと思ってしまう。そして弟もいい。何にもとらわれず、自由で、自由が故の直球発言。主人公は、採用試験に受かり、新しい土地で教師生活に向かう。何もないけれど、その何もないささやかな物語は気持ちがいい。

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あさのあつこ『ランナー』を読む

 いい小説。数行読んだ時に思った。

 うちの風呂場にはナントカいうCMでも流れている石鹸があり、それをコッソリ使った後、頬を指先でさすると、シットリ感がある。そんなシットリ感を感じさせる文章。

 面白い小説には必ず「私」がいる。人が自分を知るためには多くの他人と付き合うことだと思うが、「いい小説」はそれが読むことでできる。

 主人公の妹の杏樹が可愛い。女神といわれる理由もわかる。

 切なくて切なくて仕方ない。人物の配置の妙と語りすぎない書き方で感動に覆われる。となると、次は『バッテリー』なのだろうか・・・?

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川西文『チャリンコ日本一周』を読む

 副題に「女一人2年7カ月」とある。23歳の時に出発して、26歳に家に帰るまでの記録。

 行く先々での人の温かさに溢れている。川西さんの人間の魅力にも溢れている。ただ、ぼくが速読モードに入ったのは、その繰り返しだからなのだ。これから、同じことをする人への情報や注意点が少ない。プラスと同じくらいのマイナス面をどう乗り越えたかが欲しい。

 学校の図書館で借りたけれど、少々くたびれている。以前なら、裏表紙の裏のポケットの中に貸し出しカードがあり、誰が借りたかわかったものだが、電算化されて、それが全くわからない。この手の本を読むと、以前読んだ人のことを知りたくなる。

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松本清張『点と線』を読む

 今年は太宰治と松本清張の生誕100年ということで、あれこれの出版物やら行事やらを目にする。しかし、大岡昇平もそうだったんじゃないか。ぼくは中では大岡が一番好きなんだが。

 日本の推理小説の古典。携帯もファックスもメールもなかった時代だから、問い合わせが電報というところに、「もどかしさ」を感じながらも、一気に読めた。かなり昔に読んだことがあるし、テレビで観たことがあるから、幕開きの4分は覚えていたし、結末もわかっていた。それでも、面白かったのは何故だろう。的確な描写は頭に映像を描かせてくれるからか。東野圭吾にhない、骨太というか、凄みというか、そういうものを作品の向こうの作家に感じる。

 開高健が「食べてみたいものは」の質問に「清張の唇」と答えていたような、そんなことを思い出した。

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矢島裕紀彦『名作を生んだ宿』を読む

 作家がホテルに缶詰めになって作品を書く話はよく聞く。これは井上靖や山本周五郎、吉川英治、山口瞳等十数人の作家が作品を書くにあたって選んだ旅館を写真入りで紹介している。

 秋は漂泊の思いに駆り立てられる。旅の雑誌だと、そのホテルから宣伝代をとってるんじゃないかと勘繰りたくなるが、これは違う。その旅館の部屋や庭、部屋から見える風景をみていると、作家のあれこれを想像するのも楽しい。それにしても、いい宿。泊まりたくなる。

 ぼくが一番気にいったのは、岡本綺堂が選んだ修善寺温泉の新井旅館。時計に関係なく、自分の時間の中でゆったりと過ごせそうな気がする。二階の窓から庭の池の鯉にパンくずを投げたくなる。こういう本がもっと欲しい。

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深谷・ホートン・月川『アイルランドに行きたい』を読む

 外国には行ったことがない。行きたいとも思わない。ただ、たとえば開高健の釣り紀行を読んだり、テレビで度番組を観たりすると、行きたくなることがある。気持ちがあっちこっち飛んでも夢のあぶく玉遊戯で切ない。それで、アイルランドに絞ることにしたのは10年前くらいか。

 理由はジョイスとベケットを生んだ国だから。後は、気候と風土。あまり派手でない方がいい。

 この本、というより冊子に目を通して、アイルランドのパブもいいかもナ、と。ぼくは食べ物にはあまり興味がない。もちろん旅の楽しみではあるけれど、目と耳をはるかに優先する。だから、カップ麺での旅行でもOKだ。少しの酒があれば、だけれど。

 シャッターを押す指がかじかまない季節に、アイルランドへ、行ければ。

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椎名誠『哀愁の街に霧が降るのだ』を読む

 小説というより、回想録。ここが面白い、というより、描かれている世界の空気というか感触が、学生時代に近いものがあり、懐かしさを感じるものがある。

 学生時代、田舎の国立大学の学生はみんな貧しかった。当時の授業料は36000円。月額3000円だ。今の高校の授業料よりずっと安い。

 ぼくの下宿の部屋は4畳。ある友達の部屋は3畳。その3畳で8人で酒を飲み、眠った。数人は足を廊下に出したりして。部屋に鍵はない。何も盗まれるものはなかった。当時、「出前一丁」が出た頃で、それを買い置きしておくと、友達が持っていくということがあったくらい。ただ、それは「無断で借りた」のであり、後日そっと置いていたりした。もっとも、時にはスープ袋の代わりにコンドームを入れたりしていたが。それにしても、開いて、またくっつける作業に敬意を表したものだ。

 酒は、一番安いウイスキー。サントリーホワイトが1000円までいかなかったと思うが、それさえ贅沢品。レッドやニッカのHIHI(ぼくたちはヒーヒーと読んでいたが)ニッカ。それを金を出し合って買い、女学生やらの話しだけを肴にあおっていたのだった。

 そういう学生時代の空気がぼくの周辺に漂いながら、楽しめた。

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星野道雄『アラスカ 光と風』を読む

 暑いときに、寒い場所について書かれた本を読むのもいいか、ナ。星野は誠実で、その人柄に打たれる。アラスカに住んでいる人たちとの交流。星野みたいにできるだろうか。アラスカの魅力も知った。それ以上に星野の魅力に打たれた。

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角田光代『ぼくはきみのおにいさん』を読む

 小学校の娘が読書感想文を書くのに、ある本のタイトルをあげたら、母親から「そんな本で感想文はダメよ」と言われた、と、こぼした。

 読書感想文は作品批評でも研究でもない。それを読んで、「私」のなかに湧きあがったものがあれば、それを書けばいい。だから、何を読んだかではなく、どう書いたか、それがポイントではないのか。そうしないと、もし、ドストエフスキーの作品を選んだら、どうするんだ。

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大原照子『これなら作れる男のごはん』を読む

 定年後のことをおぼろげながら考えるようになっている。娘たちが高校卒業後進学した場合はまだ5年は働かないといけないのだが、その問題が解決できれば(できっこないけれど)、料理学校か農業の勉強をしたいとここ5年ほど考えている。料理は手を使うから、様々な感触も刺激としてはいいだろうし、植物は文句を言わず、かけた愛情が目に見えることがいい。

 どうなるかはわからないけれど、まァ、少しでも料理についての知識を増やしておいた方がいいだろうと思い、簡単そうなものを買った。基本的には、賛成する考え方だ。ここに書かれてあることを実践して、慣れたらバリエーションを付け加えれば、学校に行かなくてもいいかもしれない、と、思う。

 ただ、基礎知識がないから「ひたひたに浸す」という言葉に立ちつくしてしまったりする。しばらくは本で学ぼうかと思う。胃袋のことを考えない人間は頭のことも考えない、と、ジョンソン博士は言った。うん。

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村上春樹訳『さよなら、愛しい人』を読む

 3羽の雀がやってくる。犬の食器に残ったものを食べにくる。この3羽が実に仲がよく、自分が咥えたものをほかの雀に口移しであげる。その光景はほほえましく、ふとわが生活を振り返り、教えられるような気がする。だからという訳ではないが、昼から下の娘と友達をプールに乗せていった。自動販売機の前のテーブルで2時間半、本を読み、脚本の手直しをした。

 『ロング・グッドバイ』に比べて、比喩が多いと感じた。1ページに5つはあるんじゃないか。まるで、比喩博覧会みたいだが、ぼくは物語よりも、比喩を楽しんだ。

 85セントの夕食は、捨てられた郵便袋みたいな味がした。

 新しい郵便袋の味も知らないけれど、捨てられたものになると、・・・。

 湿った空気は灰になった愛に劣らず冷ややかだった。

 時に、時の彼方の愛もかすかな温もりを感じ、ほのぼのと思い出を撫でることもある。「灰になった愛」と言われてもピンとこないんだけれど、不思議なことに「冷ややかさ」が実感できる。比喩の力、か?

 レイモンド・チャンドラーは面白い。そして彼が創り出したフィリップ・マーローも魅力的だ。その二人はまるで双子ではないかと思わせる。ホームズとワトソンの関係と言ってもいい。

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小川糸『食堂かたつむり』を読む

 6月の読書の記録を整理したら、6月は戯曲を一本しか読んでいない。どんなに少なくても週に一本は読む姿勢がないとなァ、と猛烈に反省した。その後、WOWOWで「QUEST~探究者たち~」を観て、浪曲の革命児の猛烈なエネルギーに圧倒され、早速、生活の見直しを始めた。 

 『食堂かたつむり』。小説作品としては、欠点が多いかもしれない。ただ、作者の誠実さにひかれ、その誠実さを確かめるように読み進めていった。そして、結構温かい気持ちになって本を閉じることができた。そして、作品に出てくる料理がおいしそうで、また料理の勉強をしたくなった。そういうと以前勉強していたように思うかもしれないけれど、そうではない。以前に何度か勉強しようと思い、今またそう思ったということ。よろしいか?

  

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村上春樹『1Q84』を読む

 ベストセラーになているものは読まない。読んだ後にベストセラーになると、早く読んでてよかったと思う。図書館担当になっていなければ、読むことはなかった。ベストセラーを図書館に置いてないのもどうかと思うし、それを全く知らないというのもまずいかもしれないと思い、届けられて1番手の読者になった。

 面白かった。村上作品は『ノルウエイの森』以来。その後も何冊か買ったけど、読んでいない。ぼくみたいな人間が言うことではないが、村上の成長は著しい。該博な知識を駆使して、先へ先へとページをめくらせる物語を仕上げている。

 6月23日の朝日新聞に、3人の人が「『1Q89』を読み解く」と題して、短い文章を寄せている。この人たち、こんな読み方をして面白いのだろうか、と、不思議に思う。だから面白い作品を書けないんじゃないのか。

 トイレに村上訳の『さようなら、愛しいひと』を置いて、1ページずつ読んでいる。チャンドラーの比喩には感心する。村上の比喩も面白いけれど、まだチャンドラーを越えていないように思う。

 『ノルウエイの森』では最後に大泣きした。今回は泣かなかった。ただ、無性に切ないエピソードがちりばめられている。ぼくの小説の面白さは、登場人物と感覚部分で触れ合うことができるかどうか。面白さは理屈じゃない。

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吉本隆明『現代日本の詩歌』を読む

 最近図書館で借りる本は、まず自分では買わないであろうもの。で、詩、なのだ。

 最近こそばななの父親ということで紹介されるかもしれないが、ぼくらの学生時代は怪物のような存在という印象があった。何故かは知らないが、彼の名前が出る場所、人、それがそういう印象を形成したのかもしれない。

 『現代日本の詩歌』は多くの詩人、歌人、俳人の人と作品をわかりやすく解説している。とにかく、ほめる。中島みゆき、松任谷由美、宇多田ヒカル、村田英雄の「王将」の歌詞まで出し、ほめる。しかし、その吉本の解説にはキラリと光るものがあり、詩についての認識のきっかけになることが多い。

 もし、歌を書くことに興味があるなら、これは読んでおいたほうがいいように思う。難しい、わからないで詩を敬遠してきたけれど、下手な小説より広がりと深さと面白さがあるのではないかと思わせる。これが吉本リューメイの腕力かもしれない。

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湊かなえ『告白』を読む

 先週一週間ノンアルコールで過ごした。夕方ビールを飲みたくなる、それはアルコール依存症の前兆だとか、そんな文章を昔読んだことがある。とにかく、一日アルコールを抜こうと考え、もう一日が続いたのだが、どうやら依存症ではないかもしれない、と、自覚できたことは収穫だ。

 アルコールを抜いて、変わったのは眠りの質。どういえばいいのかわからないが、眠りが深くなったように思う。そして、夢が生き生きとしてきた。それが面白くて、一週間続いたのではないかと思う。金曜日、ビール、チュウハイ、焼酎を飲んだ。おいしくないと感じたのは以外だった。味覚も変わるのか。もちろん、早寝、早起きなので、煙草の量は半分になり、酒を遠ざける効果は結構プラスアルファが多かった。

 今年の本屋大賞作品『告白』はネットリしている。書いた人間がいれば、それを面白いと思う人がいても不思議ではない。でも、大賞を取るほど多くの「本屋」が投票したのは少々意外というか、不思議というか。この小説は虫の目で書いた作品だ。おそらく誰もが見ない、気付かない部分に鋭く入り込んでいる。ぼくは好きではないが、最後まで読ませてしまう力量がある。ラストは、虫の目が、ポンと弾ける。ぼくだったら、投票はしないだろうけれど、よく書けていると思う。好き嫌いだけの問題になる小説。

 休日が過ぎ去るのは実に早く、窓の外には黄昏が忍び寄る。この一杯を最後に、またしばらくノンアルコール。さて、どんな夢が訪れることやら。

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井上ひさし『兄おとうと』を読む

 吉野作造兄弟とその妻を中心に時代の変化のなかで明確になっていくもの。

 吉野作造って、聞いたことがあるようなないような。

 だから、よかったのかもしれない。なまじっかよく知っていると、「そうじゃないだろ」とかいう思いがあぶく玉のように出たりする。

 このなかで描かれた吉野作造は、人間の代表みたいな人だ。そう。そうなのだ。作中の吉野にうなずく度に、世界を最適化しているような気がした。

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まど・みちお『すべての時間を花束にして』を読む

 「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」とかで有名な詩人へのインタビューで構成した一冊。子どもを一個の人間として作品を書く姿勢はいい。

 昔、ある劇団のセールスが来て応対した時、「高校生向けの舞台です」にカチンときた。高校生だからと子ども扱いする姿勢が良くない。高校生には難しくても、いいものはわかる。だから、その劇団の舞台を招いたことはない。

 まど・みちおは、子どもを人間だから響くものがあるはずだ、と、考えて向かう。ただ。

 「やぎさんゆうびん」はぼくは大好きななんだけれど、まどが「空腹」で説明していたのには、少々肩すかしを食った感がある。ヤギが腹が減っているから食べた、それだけなのか。食ってしまっての堂々巡り。フム。

 まど・みちお、人間として面白く、魅力的な人だと痛感した一冊。

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雫井脩介『犯人に告ぐ』を読む

 明日が下の娘の運動会のため、今日は出航日。いつものように近くまで車で送り、メダカの水くみに道の駅弥生まで行く。メダカと書いたが、メダカということでもらったけれど、体長が7センチはある。そんなに大きくなるだろうか。10数匹でスタートしたけれど、今や3匹。彼らの水槽の水を2週間に一回汲みにいく。その後、ウッドデッキで読書。

 WOWOWで放送され、娘たちの母親が熱心に観ていた。彼女はトヨエツのファンなのだ。ぼくは観なかった。トヨエツは好きじゃないからだ。でも、作品は面白かった。読みながら場面場面がはっきり見える。連続児童殺害事件に挑む捜査員の指揮官を中心に捜査という行為が主人公になっている。2段組み372ページの最後の数ページで犯人がちょっと出てくるが、作品はその犯人の人柄や犯罪の何故にはほとんど触れいないまま小説は終わる。でも、不満は残らない。面白かったという思いだけが残る。ただ、どうしても、主人公にトヨエツを重ねてしまって、邪魔で仕方なかった。

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恩田陸『光の帝国ー常野物語ー』を読む

 キャラメルボックスが舞台にした短編小説の連作。

 不思議な能力を持った人々、常野(とこの)の人々を描くには、短編という形で独立した物語を集めた形の方が広がりが生まれる。話の流れは面白い。でも、それだけ。『夜のピクニック』の方が断然いい。

 キャラメルボックスの舞台の劇評は好意的だった。成井一派はどうもSFっぽい設定が好きなようだが、成井の場合逃げに思えて仕方ない。ここをどうするのだ!というところをSFで処理してしまう。まあ、それはそれで極めればいいんだろうけれど。

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向田邦子『隣の女』を読む

 ある球技の女子チームの監督が言った言葉を思い出した。「男はアホみたいに体力を使い果たすが、女は必ず余力を残している」。トップアスリートはそうもいかないだろうが、そうではなく、高校生の、それも全国大会にいけるかいけないかくらいのチーム。ふ~んそんなものなのか。

 竹内久美子の『そんなバカな!』をその話を聞いてから数年後に読んだとき、納得できた(ような気がした)。遺伝子がそうさせているのだ、たぶん。遺伝子のせいにした方が、気は楽になる。そして遺伝子はあらゆる事態を想定しているので、想定の数だけタイプがある。

 向田邦子の小説に出てくる女性は説明できない。説明できないから小説にしなくてはならないのだが、それにしても、楽しんで読めない。怖いものみたさ、そんな気持ちで読み進んだ。女の本性みたいなものか、それを感じて、疲れた。もうこれで向田邦子は卒業だけれど、エッセイだけでいい。エッセイは一品だ。

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恩田陸『夜のピクニック』を読む

 昨日は番匠川でシジミ貝を掘った。最近掘っている人の姿をよく見かける。4,5年前はザックザックで、労力に応じて掘ることができた。しかし、台風で、堤防を越えるかもしれないほど水かさが増して以来、1平方メートルに一個見つかるかどうかという状態が続いた。それが、1平方メートルに5個くらいになったか。掘りながら、こんな根気だけの仕事はダメだな、続かないな、と、思いながら、結局2時間。掘り始めて道具の柄が根元から折れてしまうアクシデントもあったが、どうやら、今朝のシジミのみそ汁にはありつけそうだ。

 『夜のピクニック』は、まさに小説。ただ歩くだけの若者たちをつづっている。しかし、それが、小説以外で可能かというというと、どうも無理がある。演劇では不可能。映画だとナレーションに頼ってしまうのだろうか。

 ただ歩く。そこに幾つかの仕掛けがあり、読むほどに面白くなった。最後の30ページは泣きながら読んだ、80キロを歩く、それに賢明な若者たちへの羨ましさが少し。いいねえ、という共感がほとんど。若い人が今読む小説だと思う。

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向田邦子『思い出トランプ』を読む

 女性の書いたものは最後まで読みとおしたものより、挫折したものの方がはるかに多い。ヴァージニア・ウルフ、ジョージ・エリオット、ジェーン・オースティン、カーソン・マッカラーズ、瀬戸内晴美、河野多恵子、倉橋由美子、渡辺えりこ、玉砕。ところが、向田邦子のエッセイは面白く読めた。ところが、小説になると、印象はガラリと変わる。エッセイが陽なら、小説は陰。女の生臭い感性が匂い立つ。『思い出トランプ』は短編小説を集めたものだが、エッセイをまとめて読んで、陽に慣れてしまった分、意外な感じがした。

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佐野洋子『100万回生きたねこ』を読む

 子どもだまし、という言葉がある。ただ、子どもをだますのは難しい。たとえば、ジブリのアニメがヒットした背景にはオトナが感じたからこそがあるように思う。あちこちで書いたり、しゃべったりしていているが、『となりのトトロ』の最初に出るのは「忘れ物を届けにきました」という文字。子どもが忘れ物をしているだろうか。

 絵本は難しい。子どもだからと侮ると作品自体が乱れてしまい、子どもがそっぽを向く。何もないものは何も生まない。書き手が、全心で向かわないと作品にならない。

 『100万回生きたねこ』を若い女性から頂いた。昔、子どもに読んだ記憶があるものの、今回読んで、「何故、今度、ねこは生き返らなかったの?」と訊かれなくてよかった、と、胸をなでおろした。

 この絵本を渡されたとき、はて、何故、と考えた。読んで、ぼくなりに、理解できた。「何故生き返らなかったのか、わかりますか」。ぼくは、子どもに読ませて、同じ質問を発して、話し合えばいいのだ。絵本の背景には人間世界が広がっている。それをわかりやすく、表現する。並大抵のことではない。

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向田邦子『男どき女どき』を読む

 学校では職員集合をして、新型インフルエンザへの対応を確認した。黄金週間の5連休を前に、よりによって、と、思う。人が集まるところが敬遠されるなら、そういうところの人にとっては痛烈な打撃になるかもしれない。ただ一部保護者にとっては、骨まで休めるためのいい口実になるかもしれない。

 向田邦子の全エッセイを読み終えた。だいたいが女性の書いたものはえっせいであれ、小説、戯曲であれ、最後まで読みとおした経験より、挫折した経験の方がはるかに多い。ヴァージニア・ウルフに興味を抱きつつ、何度も挫折した。ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオット、サガン、倉橋由美子、河野多恵子等々々、女性作家の名前は思いつく数だけ挫折の数になる。

 何故、向田邦子は挫折しなかったのか。面白かったから。何故面白かったのか。それはぼくが以前より少しだけ成長して、わかるようになったからかもしれない。でも、それより、向田邦子の中の女性的部分、男性的部分の絶妙なブレンドによるのではないか。全ての人間にそれは混合されていると思う。向田邦子はその黄金比率の人だったように思う。女性、男性、その部分がどちらも勝っても、劣ってもだめだったのではないか。

 脚本が文庫本になって読める。全巻、読みます、と、二海堂書店に注文した。これから、帰ると、ポストに入っていることを考えるだけで、気分はゴールデン。読みたい本を読める幸せ。これに勝るものはない。

 それにしても、向田邦子にはもう少し、いや、今も生きて闊達なエッセイを書いていてくれたら…悔やまれてならない。

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向田邦子『女の人差し指』を読む

 日本版「プレイボーイ」が創刊されて、創刊号だったか、2号だったか、インタビューに三浦雄一郎が出た。PBのインタビューは面白く、深く、読み応えがあった。そのインタビューの中で三浦は人間を2種類に分けていた。「星を背負っている人間とそうでない人間」。確かに同じことをしていても、流れに乗る人間と乗れない人間がいるような気もする。

 向田邦子がラッキーだったのは、最初ラジオ番組で、そしてテレビの脚本を書き始めたころ「だいこんの花」で森繁久弥といっしょに仕事をしたことではないか。そして、ある番組の打ち上げか何かで、森繁は、渡された花束を向田におくり、「あなたの時代が来ましたね」と囁いたという。

 もし生きていたら、そういう仮定はないものねだりの甘ったるさを感じて好きではない。でも、『竜馬が行く』を読んだ時、その仮定法がクルクルと頭上を旋回していた。そして、向田邦子のエッセイを続けて読みながら、また、同じフレーズが旋回している。せっかく招き寄せた「時代」を生きていれば、どえりゃあ名作が誕生していたかもしれないのに、と、思う。

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向田邦子『夜中の薔薇』を読む

 中学生の娘が友達と大分に遊びに行くというので、駅まで送っていった。切符の買い方を説明。みんなニコニコで、「切符買うのって面白~い」という声が出た。上り下りを説明しようと改札に行くと、ちょうど大分行きの普通が止まっていた。彼女達はドドドッと乗り込んだ。バスに乗り継ぐらしいが、予定より30分ほど早い電車だから、開店を待つことになるのか、それでも間に合わないのか。

 午後はひたすら向田邦子のエッセイを読んだ。時折メモを取るのは図書館便りの「本の中の言葉」の2回目に使うため。

 この『夜中の薔薇』を書いていた頃、向田は恋をしていたのではないか、と思えるフシがある。それに沿って読み進めたが、途中でそれを忘れるくらい面白かった。今までのエッセイ集の中では一番好きだ。上手くなっている。

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向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』を読む

 趣味は何ですか、と、最近訊かれることはない。そういう場所にいかなくなったからだろうし、また、他人から関心を持たれることもなくなったからだろう。もし、訊かれたら、草取りとこたえるかもしれんな、草取りをしながら考えた。

 昨年11年目の家の外壁を塗り替え、ついでにウッドデッキを広くし、玄関へのアプローチ部分を整えた。トラック数台分の小石を家の周囲に新たに敷いたのだけれど、草はその隙間からニョキニョキと出てくる。今朝も5時過ぎから30分ほど取った。数えてはいないけれど、500本くらい。休日はその5倍くらいは取る。取っても取っても、顔を出す。最近は気にしなければわからないくらいになったけれど、ここまで熟練してくると1センチ以下のものだって容赦しなくなった。そういうことに家人は気づいている気配はない。朝の草取りの時はまだ寝ているから当たり前だ。もし、ぼくがある日突然召され、バタバタの数か月後、家の周囲を埋め尽くしている緑の侵食者に、ぼくのコツコツの草取りに気づくだろうか。草よりも、毎週のゴミ出しの時、不便を感じるかもしれない。いや、それよりも使っても使っても減らないトイレットペーパーがなくなった時の方が不便の度合いは大きいかも。便の時の不便。いずれにしても、所詮はその程度かもしれないナ。そんなことを考えながら草を抜く。結構快適な時間でもある。

 これは、向田邦子のエッセイを読み始めてからのことのような気がする。ありふれた日常にちょっと目を凝らすようになった。ちょっとした日常がとても面白くなった。

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海堂尊『チーム・バチスタの栄光』を読む

 休日だから、6時過ぎに起きて、ウッドデッキで本を読む。もっとも、雨で、トレーナー一枚では寒く、カーディガンを羽織る。昼前には雨も上がり、夕方近く時折、ホントにチラチラ程度の時折、あえかな日差しがあった。

 遅ればせながら、話題作を、話題が途絶えて読んだ。別に話題作を読んでいないことに何の後ろめたさも恥ずかしさもない。『源氏物語』を読んでいないのは、恥ずかしい。今年中に誰かの訳で読んでみるつもりではいる。その「つもり」も忘れることが多い。必要なものは、向こうから来る。慌てることはない。

 知らない(知りたくない)世界を専門用語が氾濫するジャングルではあったが、そこそこ楽しめた。安部公房が読んだら、どう、思うか。そんなたあいもないことをがふとかすめた。

 医学的治療を受けるのは嫌いだが、医者は嫌いではない。自分が現場にいなければ、好奇心がウズウズする世界のことは知りたい。そのウズウズの「ウ」くらいのところで読んだ。ぼくはそれほど評価できない。何故なら、この作品には人間が描かれていないからだ。映画になったが、それは観てみたい。小説のいいところを活かして新しい世界にしているか。それに興味がある。それ以上に、竹内結子をみたいから。

 

 

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金子兜太『放浪行乞』を読む

 佐伯の不動産業者が山頭火についての本を出したから、か、どうかわからないが、今まで山頭火の名前はかなり目にしてきた。俳人がどう評価しているのか、と、軽い気持ちで手にした。

 基本的に見開きで一句。句といっても、五七五や季語の規制はない。その規制を突破して生まれるものに意味があるのかもしれない。

 山頭火の句は面白い。山頭火の生き方の方が面白いかもしれない。そして、山頭火と句について書く金子も面白い。ということは面白い本なのだ。この面白さについては、考えてみる価値がありそうだ。

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向田邦子『無名仮名人名録』を読む

 向田邦子の文章を読んでいると、人にはそれぞれ欠点があるが、それはそれでいいんじゃないの、悩みなさんな、と、言われているような気がしてくる。この中でも、向田自身のオッチョコチョイや愚かさ、思いこみの激しさ故のドタバタ等が、率直に語られている。こういうのは、一回やってしまうと、おおっぴたにすることで、自身が救われる場合もあるように思うが、向田の何とおおらかに語ることか。その辺が愛された理由か。

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向田邦子『眠る盃』を読む

 脚本を書いていて、ここはこうしないと、というところが増えた気がする。昨年、木下順二、チェーホフの全戯曲を読んだ時にはなかったが、倉本効果だろうか。30冊は、放送回数にすれば300回分くらいの量になる。それをほぼ40日で読んだということは、一日7時間ちょっと観た分量になる。効果がない訳がない。

 さて、向田エッセイ第2弾。ミ~ケさんが以前書いた部分に出会った。男性鑑賞法の中に、倉本聰の項があり、そこに書いてあった。ぼくが膝を打ったのは、『うちのホンカン』を向田が「短編小説として読んだ」という一行。ぼくは何回か倉本の脚本は小説だと書いたが、向田が賛成してくれたような気がする。それにしても、倉本にズドンと言えるのはそうはいまいと思うのだが、向田はストレートにズドン。痛快だ。

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向田邦子『父の詫び状』を読む

 面白い。今まで本屋の棚で何回か手を出しかけたものの、とどまった理由はわからないが、後悔後に立つ。

 視点が面白い。文章の歯切れがいい。発泡酒だったかのCMで快感は?に松坂が「バットをへし折った時」と答えるのがあったが、向田邦子の直球の切れ味は松坂以上に爽快だ。笑ったり、泣いたり、フムフムだったり、文字を追いながら、心が動いているのを実感できた。

 母と妹の香港旅行を見送るシーンでは、胸を打たれた。「どうぞ、飛行機が落ちませんように。落ちるのであれば帰る時でありますように」という祈り。思わず息を飲んだ。

 向田邦子を読み始めた、と、ある女性にいったら、「彼女、ファザコンでしょ」という言葉が返ってきた。知性と可愛さ(逆の方がよかった、か?)の人からのファザコン言葉に、ああそうなのか、と一つの視点を与えられたような気がする。

 向田の父親のような父親は、もう絶滅しているかもしれない。向田の父親の多くのNOは結局はYESになっているように思う。そして、その結果、向田の内部に潔さとかアッケラカンの強さが育ったのではないか。エッセイを読んでこんなに楽しんだことはない。『徒然草』『枕草子』なんかメじゃない。ぼくが大学に居残りを決めた年の刊行なのに、古さは全くない。普通の人間がそこにいるからだ。

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宮本輝『夢見通りの人々』を読む

 そんなことでか、と思ったものの、とにかく親父を迎えにいかなければいけない。娘たちと列車を乗り継いで網走刑務所に向かう。時々、ぼくだけが乗り遅れたり、やたら坂の多い道を車で走ったり、迷路みたいな旅館に泊まったり、何故か死んだばあちゃんがいたり、と、波乱万丈の大活劇みたいな夢だった。夢で疲れて目覚めると、2時半。こりゃ早い。早いと思いながらも、もう眠れない。こういう時はウダウダするより、と、今日の職場でのあれこれを考えずに、起きた。パソコンを階下に運び、女房のパソコンにつないであるケーブルをさして、スイッチを入れる。部屋の温度は14度。ウッドデッキに出ると、雨。自転車通学の娘のことがふと気になる。

 昔、映画青年だったころ、淀川長治の文章だったか、これまた記憶が定かではないけれど、ビリー・ワイルダーの映画のラストで、カメラが主人公の部屋の窓からズームアウトしていく、それはつまり多くの人の中の一人の物語だということです、そんな内容だった。その影響があるように思うのだが、ぼくは丘の上からの夜景よりも、ホテルの窓からの、家とかアパートの部屋の一つ一つの明かりが見える方が好きだ。明かりのついていない部屋の拾人のことをあれこれ思いめぐらす。退屈しない。街には色々な生活がある。

 『夢見通りの人々』はオムニバス。夢見通りに住む人達を取り上げて描いている。この小説は失敗作だと思う。それぞれの人を一人称で描くべきだった。そうしないと多様性が出てこない。そして、共通の問題を絡ませた方がよくないか。たとえば、安易ではあるけれど、近くにショッピングモールが建設されるとか。一人の詩を書く青年が人々をつなぐのでは、弱すぎる。この辺が宮本輝、打ち止めか、ナ?

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山本一力『あかね空』を読む

 小学生の頃はゴーヤが嫌いだったが、今は好物。高校生の頃は佐伯に魅力を感じなかったが、今は終の住処。大学の頃は経験なんかなくても想像力があると信じていたが、今は一つの経験が次の経験へ、と、考えている。初心を忘れるなというけれど、忘れていなかったらと考えるだけでぞっとする。

 山本一力という名前は知っていた。だが読んだことはなかった。読もうとも思わなかった。昨年図書館で『だいこん』に何故手を伸ばしたのか。今でもわからない。面白かった。どでかい人間や出来事はないが、だからこそ自分の隣にいる人間としみじみ話すような、そこに味も魅力もある。

 『あかね空』は京都の豆腐職人が江戸に出て豆腐で生きていく親子2代の物語。名所を訪れたというより、ふと入り込んだ路地で出会う歓び。山本一力の作品はそういう意味で忘れ難い。

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みうらじゅん『色即ぜねれいしょん』を読む

 旅行社が卒業旅行を大学生から高校生にまで触手を伸ばしているというニュースに触れたのは何年前だったか。ニュースに出ると、「かなりの高校生が」と思ってしまうが、実際はどれだけなのか。大学生の卒業旅行にしても、最盛期でも、してない学生の方が多かったのだ、きっと。

 『色即ぜねれいしょん』は高校生のひと夏の経験がメインに描かれている。フリーセックスという言葉が多用されるが、性的な描写は皆無。何か特別なものではない。ただ、最後まで一気に読んでしまった。書店で目にとまり、何気なく手にして、買って、一気に読ませたものは何なのか。たぶん、フツーの高校生のフツーの生活をかっちり描いているからではないだろうか。ぼくは主人公の言動に何度もうなずいたのだった。

 映画化され、この夏公開されると腰巻には書いてある。映画よりは読むのに少し時間がかかるだろうが、読んで想像する方が断然面白い。ウン。

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『16歳の教科書』を読む

 歳をとるにつれて増えるのは後に立つ後悔。ぼくなんかジャングルを成すくらい。その後悔ジャングルの一区画が学習、勉強、学校関係で、ここがダウンタウン。高校時代の学習、大学の選択と入学後のあれこれが中心。

 もう十分後悔した身にさらに追い打ちをかけるが、学生にはバイブルみたいな本が、『16歳の教科書』。 

 ドラゴン桜公式副読本とあり、「なぜ学び、なにを学ぶのか」と副題にある。各教科、一流の講師がわかりやすく話してくれる。うちの娘の机の上にそっと置きたい本だ。今なら間に合う。

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宮本輝『愉楽の園』を読む

 外国に行ったことはないし、行きたいとも思わない。あえて行きたい国を挙げれば、アイルランド。ベケット、ジョイスの生まれた国だから。映画『サウンド・オブ・ミュージック』のロケ地のザルツブルグも魅力的な町に思えた。ただ、こうやって挙げていき。意識を外国に向けていくと多くなる。多くなるけれど、日本のあちこちにも行きたいところがたくさんあるので、そちらを優先というのが実情。

 この宮本作品の舞台はタイ。タイの魅力も感じた。しかし、外国を放浪する男とタイの男の愛人になった女は無国籍で、無国籍だからこその部分もあるけれど、だから根っこがないようにも思えたりする。気楽に愉しめばいいのだろうけれど、愉しむには作品に無理があるように思えてならない。読むのに足かけ2年かかってしまった。

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宮本輝『花の降る午後』を読む

 人は何故生きるのか。それは結構意味不明な、バカげた質問かもしれない。小学生のころの「何しよるん」「息しよる」と似ている。

 人は何故生きるのかわからない。でも、ぼくは何故生きるか、こたえることはできる。最後のピースをはめ込むためだ。歳を取るということは、ジグソーパズルの作業に似て、最後になるほどに、全体が見え、だからこれだ、そういう判断ができるようになることではないか。

 宮本輝の全集は、以前読んだものをまた読んだりして、以前読んだからもういいか、とかで、7割ほど読んだ。宮本は好色だが、それを満たすほどはモテない男かもしれない。読むほどに、作者が見えてくるような気がするけれど、ぼくの考えはあまりに一般的すぎるし、宮本には外れているだろうナという思いはある。ただ、宮本も、たくさんの小説を書きながら、最後のピースをはめ込む瞬間に向かっているように思う。そこまでには紆余曲折がある。曲がって、折れる道だからこそ、最後のピースの価値は高まる。でも、誰もそのピースをはめ込むことはできないのだろう。

 宮本のエッセイ集の文庫を読んで、ぼくは小説を読み始めた。エッセイ集に井上靖についての文がいくつかある。宮本が靖を尊敬していることがよくわかる。ぼくは靖のいわゆる中間小説が好きだが、靖の描く女性に比べると、宮本の描く女性は魅力がない。読んでて、惚れない、あこがれない。底意地か? ああ、ぼくには宮本の足元にも及ばない、と、思う夜更け。

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宮本輝『道頓堀川』を読む

 『泥の河』『蛍川』に続く川三部作の最後の作品。

 宮本輝の作品には、母親より父親の影が大きいように思うことがある。父親を描きながら男を描いているとも考えられる。

 宮本輝の作品は、主人公を取り巻く脇役の人たち。この作品では、社会の底辺を生きている人達の「うごめく生」みたいなものが描かれている。生きるということ、それに皆様々なものを引きずりながら日々を送っている。宮本は、もしかしたらずば抜けた想像力の人で、場面、場面がはっきり見えているように思う。だから、映画を観ているように読めるのかもしれない。

 今日、図書館利用のライバル生徒に「あれから何冊借りた?」と訊いたら、「2,3冊かな」だと。逆転させてくれない。

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宮本輝『避暑地の猫』を読む

 怖い小説だった。5人が死ぬのだから。そしてその背後にあるものが尋常ではない。映画にしたらいいかもしれない。以上。

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東野圭吾『ガリレオの苦悩』を読む

 最近の科学を使った犯罪になると、そういうことが可能なんかいナ、と、どうも騙されているような気がしてしまう。ただ、犯罪者が最新機器を駆使することは十分考えられるし、実際、犯罪の質も犯罪者の質も、以前では考えられなかったケースは多い。

 大阪大学工学部出身の東野だから、書けるんだろうなあ。主人公湯川学は、どうしても福山雅治の顔で、喋り方で読んでしまうのは、まァ仕方ないか。

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宮本輝『錦繍』を読む

 学期末のバタバタが一段落。数ページずつだったのが一気に読み終えた。最後の方で、脇役の一人が泣くシーンがある。そこを読みながら、一緒に泣いてしまった。昼休み。女生徒が3人質問に来た。ヤバイ。泣いている所を見られてしまう。しかし、隠せない。いいや。開き直った。

 修学旅行や宿泊研修で大浴場を利用することがある。嫌がる生徒は少なくない。気持はわかるが、だからとコソコソと隠しながら動くと、他の人は見る。ところが堂々としてると、他の人は目をそむけてしまう。そんなことを言ったことを思い出した。そう、隠してはいけない。何のコッチャ。

 この小説は登場人物よりも、脇役が面白い。一緒に泣いた令子は一番いい。彼女の祖母ちゃんもいいが、令子がいい。令子に会ってみて下さい。

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宮本輝『海岸列車』を読む

 もっとどうにかできなかったのか。そういうもどかしさが残る。そのもどかしさがどこにあるのか、それを考えてみようとは思わない。ただ、面白くないことはない。男と女について考える上ではいいかもしれない。もどかしさの正体は、もしかすると、そこを考える上で邪魔なものが多いからかもしれない。

 魅力的な女性だ、そう思って動かなくなって久しい。どれくらいかはいえないが、何もせず、何もいわず、日々のあれこれの中でまぎれて、消えさるのみ。これじゃあ、イカンかもしれん。老いらくの恋という言葉もあれば、灰になるまでとも言われる。灰をつついていたら、小さな残り火をみつけた。宮本輝の男と女を読んでいると、そんな部分がある。比喩、だからね、比喩。(何の比喩や?)

 

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宮本輝『蛍川』を読む

 川三部作の二作目。『泥の河』のあの少年が中学三年になったのかとも思えるが、あの少年が引っ越したのは新潟だったから・・・。

 少年を取り巻いていたのは生きることだったが、中学三年生には様々な事情だ。事情は誰にでもあるし、作ることもできる。ばあちゃんには、早退の事情に何度もなってもらった。「そういう事情なら仕方ない」という言葉はどこでも使われるだろう。だから、事情は、「狼が来た」という事情のように、冷酷に却下されることがある。

 ただ、最後の蛍の乱舞は美しい。でも、でも、でも、オラシオンが走る映像の方が好きだな。

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宮本輝『泥の河』を読む

 戦後間もない大阪が舞台。とにかく一所懸命に生きている人達を少年の目を通して描いている。生の手触り感がある。それだけで読んだ価値はある。

 豊かさとは生の感触を失っていくことなのか、と、時々思う。何もかもがファッションやエンターテインメントになってしまっている。かなり昔、ある評論家は1億そう白痴化と言ったが、当時は何のことやらわからなかったけれど、そうだと実感をもって理解できる。そして評論家の時代より、事態は深刻になっている。これには仕掛け人がいると、考える。ういう人たちにとって、民衆はバカな方がいいのだ。消費の道具でいいのだ。道具になり下がってはいけない。

 開高健は「人間は一本の管」と言った。入れて、出す管。中学生の時に買った江戸小話の本で理解できなかったものがあった。ある丁稚さんが店先で放屁する。近くにいた若旦那が「菜っ葉臭い屁だね」とバカにする。すると今度は若旦那が放屁。丁稚さんは「クソ臭い屁だ」と言う。逆転。ファッショナブルなアイドルもくたびれたオジサンも所詮は一本の管。空虚なものにしがみついた生き方より、もっと面白い生き方があると思うのだが、選択の自由。

 『泥の河』には生の感触がある。時には人間が確かめていいのではないかと思う。

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宮本輝『優駿』を読む

 来週から期末考査で、朝から英語不得意生徒のための試験対策講座をやり、休み時間、昼休み、放課後、その生徒達が押し寄せてくる。教員になって27年になるが、もしかすると、今が一番熱心かもしれない。それで、夕暮れの家路につく頃はぐったり状態。7時過ぎにベッドにもぐりこんだ。目が覚めて枕もとのG-SHOCKのライトをつければ、まだ11時過ぎ。それからウダウダしてたが、眠りに入れず、12時過ぎに起きた。ストーブもつけず、窓は開けたまま。風は冷たく。椅子に正座して、背中を丸め、宮本輝の『優駿』を読んだ。

 オラシオンという馬の周辺の人たちの物語。面白い。競馬に興味を覚える。今まで読んだ宮本輝の作品では一番面白い。作品の中の言葉を一つ。

「死のうなんて、頭がよくて心が腐っている人間の考えることさ」

 29年前、一度だけ競馬場で馬券を1枚だけ買ったことがある。大井競馬場に『俺達のDJ』という単発ドラマのロケに行った時のこと。パドックというのか、出走馬がズラズラと歩くのを見ながら、顔立ちのいい馬を選んだが、もちろん当たるはずはない。日頃競馬とかに触れる機会は皆無なので、思いだすこともなかったが、小説って、何かに触れては、そういう忘れていたものを思い出させることがある。

 頭の中でオラシオンが風を切って走っている。たぶん、この鮮明な映像を保存するためには、競馬場に行ったらダメかもしれないナ。

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宮本輝『ドナウの旅人』を読む

 母親がドナウ川をみたいと旅に出て、娘が後を追う。すると、母親は17歳も年下の男と一緒で、娘は昔の恋人と再会し・・・。

 800ページの長編小説。主人公はドナウ川か。書かれた頃と今では状況は大きく変わっているだろうが、ドナウ川が注ぎ込む黒海までの7か月の旅は面白かった。

 年下の男は4億5千万の借金を背負い、死ぬつもりの旅だが、皮肉な結末となる。

 返した後、宮本作品を2冊借りた。弁当を食べながらの読書だけれど、現在学校の図書利用7位。年度末までには、3位以内に入りたい。

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『ジョージ・コフマン特集』を読む

 書籍を整理しているが、なかなか進まない。また読むかどうかを基準にしているが、中には悩むものもあり(こういうのは処分に回すべきだとはわかっているのだが)、時々読んでいないものが出てくる。それが、法政大学出版会が出している「アメリカ演劇」のジョージ・コフマン特集。

 何故買ったのかとんと覚えていないので、一気に読むことはなかろう、と、トイレに置いて、座るたびに少しずつ読んだ。1900年代前半を代表する喜劇作家らしい。共同執筆が多かったらしいが、読みながら、三谷幸喜が念頭に何度も浮かんだ。面白そうなのだが、今まで名前を聞いたこともなく(何故買ったのか?)、翻訳が出ているのかどうか。たぶん出てないのではないか。これから、調べてみるけれど、もし、情報があれば、是非知らせて下さいませませ。

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増田明利『今日、ホームレスになった』を読む

 15人に取材したもので、管理職や経営者が中にはいる。ビルを持ち、BMWに乗っていた人が、今は手荷物を持って転々としている。その実態に驚くばかり。

 15人の中には今の暮らしの方が気楽でいいという人もいるけれど、本心なのか、それとも認めてしまうと今を支えられなくなるからなのかはわからない。ただ、多くは悔いと苦労の毎日だ。

 厚生労働省の調査では現在のホームレスは1万6千人程度だとか。ところが、その調査が、そういう人がいる公園などに係員が出向き、昼間、目視で数えるという方法らしいので、実際はもっと多いと増田は書いている。

 15人の転落の様子に触れ、これは他人事ではないように思えた。現在の不景気は更に多くのホームレスを生むかもしれない。身の丈にあった生き方と、今の仕事があるだけでも幸せだと考えることが肝心か。

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立川談春『赤めだか』を読む

 面白い。談春の前座時代を中心に語られている。ただ、談春よりも師匠の談志の方が存在感が大きく、談志の方が見えてしまう。それくらい談志が偉大ということなのだ。確かに、弟子が引用する談志の言葉は偉大さを証明している。こういう面白い本を読むと、生きていてよかったと思う。

 脚本見習のぼくに響いた言葉を一つ。「ドラマ性をどんどん追及していくと、クサく、くどくなっていく」。そうなんだよなあ。

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宮本輝『血の騒ぎを聴け』を読む

 最初の「遠足」でやれてしまう。似たような思いはぼくにも経験がある。小学校の頃って、自分が何や何やらわからず、上手にコントロールできず、っていうやつ。

 宮本輝の小説は随分前に数編読んだ。面白い。『ドナウの旅人』を買ったところで、何かがあったんだろう、そして読もうとしたら、上下巻の上が見つからず、そこで終わったような記憶がある。それまでに読んだ小説は、今思い出そうとしても、どんな内容だったかだけでなく、タイトルさえ思い出せない。これは宮本作品だけでなく、これは面白そうだと買って帰って、読み始めたところで、これは・・・と思い、それでも読み続けて、ああ、これは以前読んだ!と気づいた時のショックは、老いを突きつけられたようで、何とも惨めで情けなくなる。

 もうエッセイは書かないらしく、これが最後のエッセイ集らしい。小説を読みたくなった。とにかく上巻をさがすか。

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チェーホフの短編小説を読む(1)

 チェーホフの短編小説は11巻までに収められているのでかなりの量になる。はたしてどれくらい時間を要するのかわからない。千里の道も一歩から。

 今日読んだ数編の中で一番面白かったのは『隣の学者への手紙』。隣の学者に幾つかの科学的なことへ反論する手紙なのだが、彼の理論というか、それに笑い転げてしまう。彼の最初の作品かどうかわからないが、初期のものであることは確か。こんなに可笑しいものを書けるのに、彼の「喜劇」で笑えないのは何故か。もしかすると、短編小説がどこかで変わってくるのかもしれない。となると、彼の作劇の秘密が見つかるかもしれない。

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伊坂幸太郎『グラスホッパー』を読む

 最近読んだ小説の中では一番時間がかかった。読むのが苦痛だった。死の匂いに満ちていて、だからといって何もない。『終末のフール』の作者だから、何か仕掛けがあるのかと思って、でも耐えきれなくて、閉じて、とにかく最後まで読もうとした。

 昔、鶴岡高校の夏休み明けの読書感想文を読んだとき、『ハリー・ポッターと賢者の石』が多く、知らなかったので、書店に注文した。しかし、2ページでポイした。新しさも何もない。ところが、作者は今や城を買って・・・。だから、伊坂作品を我慢して読んだのではない。とにかく最後まで読まないとわからないし、何も言えないと思ったからだ。

 最近の図書館の本は、腰巻を表紙裏に貼り付けている。「面白いにもほどがある」という腰巻が貼られていた。そう。「ほどがある」んだ。こんな「ほど」はゴミという「ほど」か?

 3人の視点での繰り返し。何人が死んだか。そして、ウソ以外に何があるのか。頭で書くとこうなるのかもしれない。よかった、頭がなくて。

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伊坂幸太郎『砂漠』を読む

 5人の男女の大学4年間を描いている。一人が左腕を失うような犯罪絡みのあれこれに出くわす。それなりに波乱万丈なのだろうが、犯罪を抜いてしまえば、それほど面白い学生生活には思えなかった。ぼくの学生時代の方が断然面白かったように思う。読み終えて、ぼくは大学時代をなぞったのだが、この本は面白すぎたらいけないと思って書かれたのではないかと思った。何故なら、自分の学生時代を思い出すきっかけを与えるのが目的だから。

 さて、ぼくは今日から夏休みに入る。9日間。チェーホフに挑むつもりだったけど、はて・・・。

 

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伊坂幸太郎『チルドレン』を読む

 小説で時々途轍もなく魅力的な人物と出会うことがある。『チルドレン』の陣内がそうだ。言うこと為すこと、笑ったり、すごいと思ったり、感心したりする。もしかすると小説家の才能は、そういう人物を創りだせるかにあるのかもしれない。

 図書館で伊坂作品を数冊借りた。『終末のフール』が面白かったからだ。『チルドレン』は家裁が舞台だけれど、『終末』に比べ、設定が小さいから、その小ささ故の面白さもあるけれど、『終末』は設定だけで読ませるし、何でもありの状況が想像をめぐらせた。2作目だが、ハズレはない。

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東野圭吾『容疑者Xの献身』を読む

 そこそこに面白い。それぞれの人物がもう少しくっきり浮かび上がる描写があれば、ドラマが生まれるかもしれない。

 昨日時間つぶしの本屋に入ったら、同じ本の文庫が積まれていて、映画になるらしく、物理学者を福山雅治が演じるらしいが、読みながら福山の顔がちらついて仕方なかった。でも、ピタリのキャスティングかも。その時、仕事帰りのOLとぼしき人がその山の上から2番目を一冊取った。妙に親近感を覚えて、声をかけたくなったが、やめた。

 そこそこに面白いと書いたが、かなり、じゃないけれど、面白い。暑さを忘れた。

 

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伊坂幸太郎『終末のフール』を読む

 地球に小惑星がぶっつかって世界が滅ぶという設定で、その中を生きている人達を描いている。そういう状況になったら、はて、自分はどうするかしらんという思いが読ませる。こんなことはしないだろう、これはするかも、そういう思いが入り混じりながら、最後まで行く。そう言う思いで、今日を生きていくしかなかろう、と、平凡だが確かな考えがくっきり浮かんだ。

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東野圭吾『黒笑小説』を読む

 最近目にするので、本屋にぶらりした時に文庫本を買った。『放課後』以来だから、20年以上ぶりになるか。江戸川乱歩賞受賞作ということで新刊を買ったが、それほど満たしてくれなかった。今読んだらわからない。

 長編はどれも厚いので気遅れした。短編集の方が、気楽な気がしただけのこと。

 昔遠藤周作を読んでいた頃、狐狸庵シリーズみたいなものかしれないと思った。本腰を入れて書くための、気休めというか、バランス取りというか。文章が推敲されていない粗さみたいなものを感じた。解説の人も「ガス抜き」という言葉を使っていた。ただ、「インポグラ」や「みえすぎ」は面白かった。やはり才能のある人なんだな。それで図書館で長編を一冊借りた。同時に、伊坂幸太郎と吉本ばななを。結構、今まで手を出さなかった作品群ではある。

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河合隼雄・吉本ばなな『なるほどの対話』を読む

 以前、河合が村上春樹との対談を読んだとき、村上の創作の姿勢、書き方みたいなものを知り、面白いと思った。今度は吉本ばなな。吉本の作品は読んだことがないけれど、読みたくなった。創作の根っこの部分がほの見えてきて、芝居を書く上でも、生きる上でも参考にもなった。

 いよさん、あなたも読んでみたらいいとおもいます。暑さにめげず、しっかり生きて、楽しんで、またいい作品を書いて下さい。高校生相手ではなく、オトナに向けて書きませんか。もちろん、ぼく達が上演します。

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山本一力『だいこん』を読む

 一度は読んでみたい作家だった。テレビでの話し方にひかれたのだ。

 雨や火事の多い作品だ。ヒロインつばきの生き方が気持ちいい。家族もいいし、周囲の人もいい。文章の端々に作者の優しが漂う。もう何作か読んでみたい。

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マイケル・モーパーゴ『兵士ピースフル』を読む

 一応「児童文学」のジャンルらしい。今年の課題図書の一冊になっているとか。高校生の図書委員の研修会があり、そこでの読書会でうちの生徒が司会進行をすることになっているので、ぼくも読んだ。2か月ほど前に読んで、読んだ本を生徒に回して、そして校内で読書会をやってみて様子を見た。慣れていないせいもあり、シドロモドロだったが、ぼくは読書会に出たことはないから、「理想の姿」はわからない。

 高校演劇とは何か。高校生がつくる演劇だ、としか言いようがないように、児童文学もまた読者に「児童」を想定して書いたもの、としか言えないのだろうか。ただ、高校演劇でもオトナが観ても十分楽しめるものがあるように、児童文学も、また、同じ。

 ピースフルという名前の兵士も「熱い氷」みたいなものがあるが、子どもが大人になっていく成長を描いたものと考えてもいいかもしれない。ただ、その成長のために用意されたものが、父親の死、学校、初恋、生活のための苦闘などに、戦争が加わっている。無駄のない文章で、丁寧に、愛情を持って描かれている。結末に反して、読後の感じは悪くない。「読んでみたら」と子どもに言いたくなる。

 

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横山秀夫『クライマーズ・ハイ』を読む

 大分まで映画を観にいく気力も時間も金もないので、文庫本を買った。ぼくは本を読むのが遅いけれど、一気に読んだ。日航ジャンボ墜落事故を報じる地方新聞社の人間達と家族が無駄のない引き締まった文章で、描かれている。しかし、これをどう映画化したのか気になって仕方ない。

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村上春樹訳『ロング・グッドバイ』を読む

 面白い。その一言で十分な作品に久しぶりに出会った。

 昔、文庫本を買って読まないままだった。チャンドラーの『長いお別れ』を処分するはずはないから、ぼくの部屋か実家のどこかにあると思う。今回、村上訳を買ったのは、子どもの算数の問題集を買いに行った時、財布を忘れていることに気づき、カードは免許証と一緒に持っていたので、それを使うことにしたが、300円にカードも何かアンバランスな感じがして、それを埋め合わせるだけの厚い本がいいと思い、近くにあった『ロング・グッドバイ』を手にしたという次第。

 ストーリーよりも、文章がすごくいい。描写がいいし、会話がしゃれてる。フィリップ・マーロウもカッコいい。そして、村上春樹のあとがきがいい。作品を読んだ後、それを読みながら、チャンドラーを読む面白さを共有できる。これは手放せない。いつかまた読まなければ。

 ぼくが生まれた1953年にベケットの『ゴドー』が生まれた。何も関係ないけれど、誇らしいものを感じたりする。これからは、『ロング・グッドバイ』も生まれたことを付け足すことができる。

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『日本小国民文庫 世界名作選(一)』を読む

 戦前に発刊された。「日本小国民文庫」というシリーズのタイトルが凄いもんな。「小」が「国民」につくのか、「文庫」につくのか。前者であれば、大国民は何を読むのか。

 世界名作選は山本有三編とある。表現に確かに昔のものだと感じさせるものが多々ある。この復刊は今は亡き河合隼雄の働きかけが大きかったようだ。彼の著作でそれを知り、注文した。トイレに本を置くぼくの真似をして、子どもがどこからか引っ張り出して置いていた。それで座るたびに読んだ。面白い。このアンソロジーの諸作品は、どれも今読んでも面白い。二巻だったような気がするけれど、それも読まなくては。

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山際淳司『スローカーブを、もう一球』を読む

 部屋を整理している。本さえなければナンテことないので、その本を7割処分しようと考えてい。開高健は井伏鱒二の書斎には国語辞典しかないことを理想と書いていたが、そんなのではなく、増えて足の踏み場が限られて、そうなると掃除をしようにもできないからだ。本当は見ないでボンボン箱に詰め込んでしまえばいいのだが、服や外で飲まず、ひたすら(というほどでもないか)本中心の生活だったので、一冊ずつ確かめている。そうすると読んでいない本もあったり、もう一度読んでみようかというのもあって、時間がかかる。春にはすっきりして迎えようと思う。

 さて、基本は小説と演劇中心の読書だけれど、時々つい買ってしまったりする本もある。その一冊だったのが、『スローカーブを、もう一球』。これには、ヒーローの陰に隠れた何人かのスポーツ選手が描かれている。もっとも江夏はスーパーヒーローだが、日本シリーズでのあの21球の江夏の心は、ホウ、と思った。マウンドの江夏のところに行って囁いた衣笠のエピソードもいい。

 ただ、表題作のピッチャーは断然いい。マウンドで、一塁手のあいつには彼女がいて、二塁手のあいつにも、・・・何故俺には・・・というのも高校野球って、こんなもんでいいんじゃないかと思う。ピンチの時に捕手がマウンドに行って攻略法を話し合っているかと思えば、オイオイというようなことだったり。

 スター選手にも壮絶なドラマはあるけれど、そうでない選手にも心を動かすドラマはある。最近朝のテレビを見てて、どのチャンネルでも同じ内容。順番が違うくらい。スターはあの局に任せて、うちは」というところが出てこないかナと思う。著者の山際の語り口は淡々としてて、極めて暖かい。

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モーム『劇場』を読む

 女怖い。女優はもっと怖い。そう思った。

 サマセット・モームの肩書は小説家だけはなく、劇作家もある。劇作家が小説で女優を描くとなれば、生半可ではない。舞台で生きることのあれこれが描かれている。ヒロインはかわいいところもある。ただ、かわいいからこそ、怖いのだろう。

  面白い小説。

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出会った言葉(1)

 この宇宙には四千億もの太陽が、星があると申します。それぞれの星が平均十個の惑星を引き連れているとすると惑星の数は約四兆。その四兆の惑星のなかに、この地球のように、ほどのよい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつあるでしょう。たぶんいくつもないでしょう。だからこの宇宙に地球のような水惑星があること自体が奇蹟なのです・・・。

・・・水惑星だからといってかならず生命が発生するとはかぎりません。しかし、地球にあるとき小さな生命が誕生しました。これも奇蹟です。その小さな生命が数かぎりない試練を経て人間にまで至ったのも奇蹟の連続です。そしてその人間のなかにあなたがいるというのも奇蹟です。こうして何億何兆もの奇蹟が積み重なった結果、あなたもわたしもいま、ここにこうしているのです。わたしたちがいる、いま生きているというだけでもうそれは奇蹟のなかの奇蹟なのです。こうして話をしたり、だれかと恋だの喧嘩だのをすること、それもそのひとつひとつが奇蹟なのです。人間は奇蹟そのもの。人間の一挙手一投足も奇蹟そのもの。だから人間は生きなければなりません。

井上ひさし『きらめく星座』の中の台詞。生きることに背中を押してくれる。そういう言葉が沢山ある。これから時々。

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『チャタレイ夫人の恋人』

 この小説はメラーズからコンスタンスへ(チャタレイ夫人)の手紙で終わる。長い手紙だ。ただ、この手紙を書くために、それまでの600ページ近いあれこれが必要だったのではないかと思う。この手紙は生きている。現代にも痛烈なメッセージになっている。猥褻文書で裁判にした人たちのアホみたいな感受性こそ罪悪だった。

 オマケながら、メラーズにも妻がいた。この女がすごい。他人(もちろんメラーズも入る)口を通して語られるバーサ・クーツには笑う。史上最大の悪女の一人に認定しよう。

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ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』を読む

 小説の傑作。若い頃、性描写を探すような読み方をしたので、また、そういう読み方をする年齢だったのでこの小説の偉大さを理解できなかった。

 ロレンスは小説家であると同時に詩人。ただ、彼の先見性。この小説の中で書いてある通りの時代になっている。ポルノ小説ではない証拠の一つとして;

「メラーズは女のなかにはいっていきながら、誇りや威厳や人間としての純粋性をうしなわないで、やさしいふれあいにはいっていくこと、これがおれのやらねばならぬことだとさとった。」 (羽矢謙一訳)

 人間を考える時、時代を抜きにしては語れない。ロレンスは時代を見据えている。それを男と女を通して描ききっている。小説の醍醐味を久しぶりに味わうことができた。

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栗山民也『演出家の仕事』を読む

 芝居に向かう人は必読かもしれない。演出家は芝居の全てにタッチするから、芝居の全体像がわかるし、向かい方がわかる。岩波新書。

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無人島に持っていく一冊

 もし無人島に行くとして、一冊だけ本を持っていくとしたら、何にしますか。

 懐かしい質問。世界中では、多分聖書だろうな。日本では、読めない。井上ひさしは自分の書き込みをした『広辞苑』とかどこかで書いていた。

 ぼくは多分ポール・ヴァレリーの『文学論』ではないかと思う。毎朝自分のノートに書き続けたというヴァレリーの文を集めたもの。文庫で小指の幅ほどもない。

 熊本の人吉でお母さんを読者に北御門二郎はトルストイを訳した。騒音に乱されることのない晴耕雨読の生活。私が私であることができる生活。そういう生き方だってある。自分にあった時間、空間。そこに行き着くこと、それが「終の棲家」か。

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『朗読者』を読む

 7、8年前に買って、途中でやめてた小説。何故、以前、最後まで行かなかったのかはわからない。それが本の隙間から見つかった。そろそろ読んでもいい頃じゃない?とでも言いたげな感じ。一気に読んだ。

 甘くて、切なくて、悲しい。そして、奇妙な言い方だが、貴重な小説だと思う。作者の志が明確で、わかりやすく、丁寧に書いている。作者と作品の幸せな融合。

 7年ほど前の日本語版。映画化されると書いてある。映画を観たい。

 小説は演劇より映画に遙かに近い、と、思った。読みながら、舞台に、と、思ったが、できない。

 読んで損はない作品だと思う。

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ロアルド・ダールを読む

 一番好きな作家を一人あげるなら、迷わずダール。3年前、サンタさんは忙しくて、何を贈ったらと迷う時間がないので、ダールの本を5冊にした。最初は、友達はゲームなのに、何故うちだけ本なんかなァ、とがっかりしていたが、結局面白いと全部読んでくれた。

 ダールは子ども(孫だったか?)を楽しませるためにかなりの子ども向け作品を書いている。映画になった「チョコレート工場」ものその一つ。

 でも、ダールが面白いのはイギリスのテレビで放映された「予期せぬ出来事」シリーズ。大学の教養の英語でテキストになるくらいなので、英語もわかりやすい。日本語訳では小説家の開高健や詩人の田村隆一のものがある。ダールは男はどこかバカに、女は狡賢く描いていて、女にひどい目にあった時に読むと、すっきりすることがある。ぼくは舞台化できる作品はないかと、今、読み返している。面白い。30年以上前に出会って、以来、時々読み返しているが、何回読んでも面白い。秋の気配が漂ってきました。秋の夜に是非。

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オールビー『動物園物語』を読む

 思い出さえも届かないはるか昔に読んだことがある。演じる上で難しいのは原稿用紙20枚程度の長台詞。脚本を読む時は、上演を考えて読むが、その長台詞で無理だと思った。結末は面白い。

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エラリイ・クイーン『Yの悲劇』を読む

 30年ぶりに読む。もちろん、何も憶えていなかった。

 不朽の名作とされているが、ちょっとクビをかしげる。それほどでもないように思う。これぞ!っていうミステリを見つけたい。

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エリザベス・レアード 『ぼくたちの砦』を読む

 パレスチナの少年が主人公で、イスラエルの攻撃で外出禁止令が出る生活の中での経験と成長。

 パレスチナ問題に全く無知だったことを痛感した。それでインターネットでチョコット調べ、大国の横暴の結果だと知った。

 これは高校生の読書感想文の課題図書。課題図書という呼び方で、まず手が出なくなる。面白くない、面倒臭いという気持ちが前面に出てしまう。読者の気持ちをもう少し考えたらどうだ!と言いたくなる。せっかくの作品が、その呼び方で背を向けられてしまう。(オレ、だけか?)

 こういう現実を若い人は知っていいかもしれない。アメリカに留学だの、ヨーロッパ旅行だので国際人の端くれになったつもりの若い人がいるようだが、外国に行かずに、本を通して様々な国の現実を知るだけでも、国際的な活動なのだ。むしろ、ブランド漁りの奴らよりは遙かに素晴らしい。最後まで読ませる力もある。読んで損はない。さすが課題図書。やっぱ、課題図書は、まずい。思い上がった連中の押し付けとしか響かない。最後の課題図書との接触だ!

 

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司馬遼太郎『坂の上の雲』を読む

 長い。長いけれど、必要な長さであり、日露戦争が手に取るような思いでわかり、面白い。リーダーに求められるものも分かれば、生き方についても多くのヒントがある。

 日露戦争は運で勝っただけだった。戦争の愚かさ、バカバカしさが分かる。それは現在展開されているイラクや幾つかの地域でのことを観る目を養ってくれる。

 兄が陸軍、弟が海軍で活躍した秋山兄弟、それに正岡子規を絡めて描いた大作、力作、傑作。一度読むことを薦める。

 小説というよりは「記録」かもしれない。ただ、準備に5年かけ、執筆に4年3ヶ月かけた「雲」はライブ感覚になっていく。「竜馬」では竜馬ファンになったが、「雲」では秋山兄弟と同時に司馬のファンになった。ここ1週間はあらゆる時間を読むことに費やした。極めて、満足。

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ジョン・ヒューストン『王になろうとした男』を読む

 面白い。ハンフリー・ボガード、マリリン・モンロー、マーロン・ブランド、モンゴメリー・クリフト等の俳優、トルーマン・カポーティ、サルトル等の作家の裏話も面白いし、彼の映画への取り組み、趣味の徹底ぶりも面白い。最近読んだ中では最も面白い一冊だ。

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ジョン・ヒューストンの自伝が面白い

『王になりたかった男』をトイレに置いて、読んでいる。現在レッドパージの部分。あの頃のアメリカはひどかったようだ。ヒューストンも呼ばれたが「私が好きなのは、馬と強い酒と女だ」でチョンってのも、いい加減さと同時にヒューストンの肝っ玉の大きさがうかがわれる。年内の読み終えることができるかどうか。今年一番面白かった本になるだろうな。

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