演劇右往左往~Officeせんせいしよん(3)~
『12人の優しい日本人』の旗揚げ公演は大分市のコンパルホールで行った。稽古は、あちこち場所を変えながら転々とした。半数が教員だったので、その中の一人の学校の体育館を使わせてもらったこともある。
旗揚げ公演って、結構エネルギーがあって、さまよいながらの稽古でも、みんな無理を重ねたと思う。ぼくが転任した先で声をかけて、巻き込んで役者までやった人もいた。多分、誘う意気込み、言葉にも力があったのかもしれない(ウ~ン、あまりに身勝手、か?)。
工夫は少なく、役者だけの芝居だったが、まァ、それなりに、と言う結果。ところが、会場にある批評家とある新聞社が来ていて、その批評家は新聞紙上で絶賛。新聞社は、翌年の正月4日目に、今年のホープに今はメジャーになった沖縄のBeginと同じ紙面に載ったのだった。
ぼくはその公演パンフに「東京の人が観に来る芝居をつくりたい」と書いた。当時、つか劇団でやっていたという人が劇団をつくり、東京のどこそこで上演するとか威張っていた。大分県で支持されていないのに、と、思ったのだ。『立見席』はおかしい。だったら、みんなで東京行けや。ところが東京で勝負できるほどの力量もない。
パンフにそう書いて、ぼくはもう東京を向くのはやめた。今ここにいる連中でやればいい。そして、やる限りは誰が観てもいいものをつくりたいと思った。
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