久しぶりに脚本を書く

 HPの掲示板に書いたが、何故書けないのかを、ぼくが出ないから、と、考え、先週の稽古でやはり出たいからその方向の脚本で、と、申し出た。快く了承され、あれこれ考え、今朝3時半に起きて書き始めた。書き始めはいつもノートに書く。それがある程度進むと、あとはパソコンをたたき始める。今日はノート4ページ。まあまあ、か。ここで種明かしはしないけれど、今回は下敷きになる脚本があり、どこまで変えることができるかが勝負だと思う。舞台は佐伯。音も光も使うことになる。年末年始休暇の間に脱稿したいのだが・・・。

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向田邦子『寺内貫太郎一家』を読む

 昔、何回か観た。小林亜星が西城秀樹をぶっとばすシーンとか悠木千帆(現在、樹木樹林)の「ジュリイ~」とかの断片の記憶しかなかった。読みはじめて、加藤治子、浅田美代子、梶芽衣子、伴淳三郎、左とん平、篠ひろ子、由利徹などの顔がよみがえってきた。そして、ドタバタのドラマだったという思いが変わった。

 テレビはこういうドラマをつくるべきだ。

 老人を「きったねえ」と言ったり、老人も妻も子どもの殴る父親が貫太郎だ。西城秀樹が亜星からぶっ飛ばされるシーンは「約束」みたいなところもあり、壮絶な家族だった。でも、「嫌いな人間は殴らないよ」という貫太郎の母親の台詞があるが、家族が家族としてつながっていることが濃厚になっていく。だから、長女の結婚で、泣いてしまう。

 こんな時代に誰かを批判して何が生まれるか。

 あれだけ長く続いたものが何故一冊? 半分近くはあらすじでごまかしているのだ。別のライターが書いた回もあるようだ。

 向田邦子はいい。3月付近に倉本總を読んだ。あれも面白かった。でも、断然向田邦子。人間へのあたたかい眼差しが台詞の端々にある。いい台詞も沢山ある。

 もし生きていれば、うすさいオバサンになっていたかもしれない。でも、テレビドラマな確実に面白くなっている。ただ「驚き」だけのアホみたいな勘違いバカドラマは少なくなっているかもしれない。

 人間が呼吸しているドラマを!

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向田邦子『冬の運動会』を読む

 よくできている脚本は、読んでいて人物が浮かびあがる。向田邦子の脚本をはじめて読んで、その腕力に感動と驚きを覚えた。感受性に富み、よく寝られている。っして、人に対する視線の何と優しいことか。

 巻末の和田勉、丹波哲郎との話しも面白い。岩波現代文庫はいい作家を取り上げた。

 

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創作日記(1)

 敷地内禁煙で、校門でタバコを吸う。しばらくそれが面倒でやめていたが、半年くらいで復活した。どこの学校も同じような光景があるらしく、時に電話で「みっともないからやめろ!」という電話があったりするようだ。それは上が対応と判断をすることだ。ただ、生活の中には句読点と改行が要る。

 今日、タバコを吸っている時、「晴れのち曇り、時々殺意」というタイトルが浮かんだ。こっちの方がいい。「断然」を3つくらいつけるほどいい。これで決まりにしよう。

 『ハイヒールで乾杯』はずっとタイトルが決まらず、一人芝居バージョンに考えていたものを引き出しから出して、ホコリも払わずにつけた。タイトルもつけられずに書けるわけがない。

 おそらく、たぶん、きっと、次は『晴れのち曇り、時々殺意』です。3月中旬の公演になるかもしれません。これから、時々、執筆状況を書きます。

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鄭義信『バケレッタ!』を読む

 『焼き肉ドラゴン』は読んで面白く、舞台を観たいと思った数少ない脚本。

 小さな劇団故のあれこれにはウンウンと。

 ただ、面白くない。

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A.R.Gurney『 LOVE LETTERS 』を読む

 芝居を観たことはないが、男女二人が子どもの頃からのお互いへの手紙を朗読する形の芝居ということ、そして「Oha!4」の中田有紀(あき)アナウンサーも演じたはずだ。相手役の男優なんざ知らない。

 英語の脚本は持っていた。いつどこで買ったのか、とんと覚えていない。最近物忘れがひどいけれど、とにかく思い出せないくらい昔なのだ。

 脚本は二幕。一幕目は音読した。2幕目は、さすがに疲れ、黙読。50ページを2時間半。ダールの短編小説以外で、一気に読んだのは初めて。それほど面白かったといいう訳ではない。二人の顛末を知りたいだけ。世界にこういう「恋人」はいないんじゃないかと思う。生まれ育った環境に加え有為転変が過剰に思えてならない。

 ただ、有為転変を経てはじめてわかることも少なくないだろう。局面は違うものの、昔付き合っていた人を思い出して、今だから、と、いう、そんなこと、あるもんな。

 この本は、脚本を読むのが目的ではなく、英語のトレーニングのためでした。

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ハロルド・ピンター『温室』を読む

 面白かった。しかし、わからない。わからないけれど、面白かった。

 わかるということはどういうことか。芝居を観ていて、先を読んで、その通りになったら、膝を叩いたり、「やはりな」とつぶやいたりする。わかるということは知的なことだが、表現とは知的なものは部分でしかすぎず、心が揺り動かされる方が主要であり、それには名前がつけられない場合も少なくない。「なんて言っていいかわからいけれど」という枕詞のあとに「感動した」「面白かった」とつながる場合のように。

 わかろうとする知的活動は捨てて、「こんなことアリかよ」「びっくり」「切ないナ」みたいな感情で接してもいいかもしれない。そんなことをぼんやり考えた。

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デイヴィッド・ハロワー『ブラックバード』を読む

 演劇に限ったことではないが、続けるからこそわかること、みえることがある。そしてそれを持続するための何かは、もしかすると疲れを知らない好奇心かもしれない。

 この『ブラックバード』は、以前だったら面白く読んだかもしれない。面白くないという訳ではない。一気に読んだから。ただ、この世界はもういいや、と、思った。女と男は時にこのような奇妙な愛の形をとることがあるのだろうが、人間ではどうしようもない、たとえば時代とかを絡めることはできないものか。

 二人芝居の最後に少女が登場する。それはそれでわかるものの、登場させないことはできなかったのだろう。書いている時、ある誘惑が湧き、どうかなァと思いながら誘惑を封じ込めることができないことがある。それはそれで暗い想像が広がるからいい。でも、我慢しきれなかったのか、と、思う。二人でやってきた芝居なんだから。『ゴドー』の少年とは違う。

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土田英生『初夜と蓮根』を読む

 嫁入り前の娘と社会人の年齢だが社会に出ていない息子がいる夫婦が実は性体験を持っていないという設定。相変わらずのバカバカしい設定ではある。家庭という舞台のせいか、あるいは家族劇になっているせいか、どうも土田の天衣無縫さというかパンチがない。巻き込まれていく快感がなかった。

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別役実『風のセールスマン』を読む

 今日は家族でパークプレイスに行った。もう子どもたちに付き添う必要はない。むしろ付き添って欲しくない年頃になった。ぼくは、だから、家電販売店に行った。約束の昼食の時間まで90分。そこで鶴岡、津久見の卒業生に会った。二人の卒業には7年の差がある。時間の流れを感じた。ぼくの目的は一眼レフカメラだった。買うのではなく、品調べ。今使っているデジカメは4台(代?)目だが、持ち歩くには最適だけれど、それはメモにはいいが、文章を書けない。キャノンの派遣打ち切りがなければ、教え子も被害にあっていなければ、キャノンをみたかもしれない。ここ2代キャノンなんだけれど、完璧に無視。ぼくはNIKONを一番みた。昔、昔、キャンディス・バーゲンとかいう女優が趣味の写真と語る、その手元にあったのはニコンだったように記憶する。一眼レフは、カメラ屋のカメラにしたい。昔持ったのはキャノンAE1だったが、レンズ機能の進化は凄い。これはいいなあ、そう思ったものは20万を超える。買えない。ただ、下げる気持ちは毛頭ないので、買える算段をしながら、ハードディスクを買った。320ギガで1万を切る。パソコン2台目の時、ハードディスク8ギガを買った時、あるいは5年前修学旅行のためにデジカメを買った時に2ギガカードを買った時、1ギガ1万以上だった。それが、今は、ナンテコッタ、パンナコッタ。

 一人芝居。別役作品のいつもと同じ設定。ただ、別役の昔の暴力がない。すごく落ち着いてきた。川端康成がノーベル文学賞を受賞した時のスピーチは「美しい日本の私」。鶴城高校の国語の先生(徳永、だったか、今思い出すたびに、彼は素晴らしい教師だった)は、「日本と私、と、しなかったのがいい」と授業中におっしゃった。日本語の助詞は難しい。ただ、セールスマンには場所がない。風と同じ。じゃあ、今のワタシは?

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